JINSEI STORIES
フランスごはん日記「長谷っちと寿司を頬張りながら、昔、父ちゃんが怖かったものについて語る」 Posted on 2024/10/10 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日は一日中、雨降りであった。
なので、ギャラリーもいつもより、人が少ない、ということだった。
「先生、今日は日本の方が多かったです。雨で、通りすがりの人はほとんどおらず、静かな感じです」
雨の日はしょうがないね。
三四郎の散歩も難しい。雨だと動いてくれないからである。
でも、させないわけにかいかないので、レインコートを着せて、いつもの公園に。
最近、「来るな」というのが、歩き方でわかるようになった。ふふふ。
もちろん、しない日もあるので、するか、しないか、も見極められるようになった。
ピッピもポッポもしてくれたので、三四郎はお留守番させて、今日は長谷っちとサンジェルマン・デ・プレのお寿司屋「築地」さんで、出版関係のミーティングを行ったのだ。
今後の海外出版に関して・・・、いろいろと、話し合い。
でも、それは口実で、笑、・・・。
「先生、個展、どうですか?」
「ま、あんなもんでしょうね」
「作品は無事に嫁入りされそうですか?」
「ま、半分ちょっとかな」
「おー、素晴らしいですね」
「でも、まだ、迷っている方もいるので、終わらないと最終的にはわからないし、終わっても、引き続き、連絡とり合う感じ。フランスは、のんびりしている」
「なるほど、いいじゃないですか。まずは、好調ですね」
「かな」
カンパイ。
長谷川さんは健康上の理由から、現在は、お酒を減らしているので、ビールちょっと。ぼくは日本酒。
昨日、ブルターニュとノルマンディのアトリエ候補地を見に行ってきたので、疲れているのだ。
「仕事場、どうです?」
「うん、決まりそう。昔、職人さんの工房だったところが出たの。そこだと、かなり広いんだ。周りが、森。でも、車ですぐのところに海がある」
「いいですね」
「でね、パリの事務所、家賃高いから、コンパクトに小さくしようかな、と思っているんだ。みんなテレワークでいいし、パリの事務所の規模を小さくしようかなって」
今、父ちゃん、100平米くらいの事務所、ぼくとさんちゃんが寝る30平米くらいの部屋、それに小さなアトリエと駐車場を借りているので、経費が凄いのである。
音楽は引退したので、大規模なライブはやらないし、小さく生きる方法を考えているのだ、と説明をしたのだった。
もっとも、パリ事務所における正式社員は、MMと岡っちだけで、長谷川さんや他のスタッフはアソシエというシステムで、なんだろう、日本だと契約社員みたいな?
その仕事ごとに、お願いをしている、という感じ。
でも、大きなアトリエを借りれたら、古い絵や機材などはそこで保管できるから、パリは、小さなアパルトマンで十分、という、相談。
「先生、小さく生きるって、すごくいいです。大賛成! でも、先生、小さく生きられますか? 日本一、態度でかい男だからねー」
出戻り長谷っちは、笑っていた。
「ぼくがだれか知らないのに、今回の個展で、ふらっと画廊に入って来てくれた人が、一枚の絵の前で一時間もいるって、理解できる?」
「はー、なんでしょうね、それ」
「地下の絵を見て、上に戻って来て、また地下に降りて、30分くらい戻ってこないんだけれど、ずっと絵を見てくれるんだよ。何人かわからないんだけれど、ぼくが日本でどういう活動をしているのか、知らない人たちなんだ」
「なるほど」
「卵を12個持って入って来た近所の若い人が、やはり、30分くらい、一枚の絵の前で、立っているから、声をかけてみた」
「へー」
「ガブリエルという青年で、通りかかったら、この絵に呼び止められたって、言うんだ」
長谷川さんはお寿司をつまみながら、うなずいていた。
「ぼくは何回もライブをやって、何度かテレビなんかにも出て、小説家でもあって、そういうチャンネルから、ぼくの絵を見に来てくださる方が日本ではほとんどだから、日本での個展の来場者って、ある意味、ぼくを知っている人たちなんだ」
「ですね」
「でも、パリの個展は、もちろん、日本の人も多いけれど、ふらりと入って来るフランス人や、マレ地区の画廊目指してきているアート好きな外国人ばかり。実は、ドキドキしていたんだよ。見向きもされなかったら、どうしようって。あはは」
長谷っちがぼくを見た。
「先生でも、そういう風に思うことあるんだ。怖い人いないのか、と思ってました」
「いるよ、やっぱ、この人はどう思っているからなって、思うことは正直あるよ。君、福田和也知ってる?」
「文芸評論家の?」
「亡くなったんだよ。昨日、ニュースで知った」
「そうですか」
「あの人は怖かったな。若い頃、何度か飲んだし、あの人の行きつけのイタリアンでご馳走になったことがある」
「先生の先輩ですか?」
「いやいや、ぼくの方が年上だよ。でも、やっぱ、読む力がある人だったから、何か言われやしないか、ドキドキしていたんだ。若い頃はね」
「へー、面白い話。先生は、人のことなど気にしないと思ってました。ましてや、文芸評論家なんか」
あはは。
「福田さんと二人で呑んだ時に、芥川賞受賞の直後で、その時、なんで、変な恋愛小説なんか書くんですか」
って、言われたことがあった。
その時は、ちょっと、確かに、依頼が多かったから、書いたら、売れちゃったりしたからね。で、すごいヒットしたあと、また、会うことになって、その2年後くらいだったかな、そしたら、こう言った。
「ま、三島さん(三島由紀夫)も、週刊誌とかでくだらないのいろいろ書いていたから、しょうがないけれどね」
ぼくはとくに反論はしなかったが、読んでるんだな、あんな本でも、と思った。
「へー、面白い」
「あのね、くだらないこと、思い出したよ。ぼくはフランスで出版された本を全部、皮装にして、書棚にいれているじゃないか。でも、フランスでは出てないのだけれど、日本でヒットした小説があって、そんなに好きじゃないんだけれど、映画化されたりして、ま、文庫が出たばかりで、皮装にしようかな、と思って、仏語のタイトルを福田さんに相談したんだ。まだ、渡仏する前で、ぼくは仏語をしゃべることができなかった。そしたら、考えてくれた」
「あ、あれ、そうですか?」
「そうなんだよ。ふと、思い出した」
※ これは「サヨナライツカ」という小説の文庫版を、フランスの装丁家に頼んで、作った皮装で、そのタイトルを、福田さんに相談したのだった。「サヨナライツカ」をこう訳す、ところが福田和也のセンスだな、と今、在仏23年にして、思うよ。直訳じゃないし、彼らしい。
作品もちゃんと読まないで、ぼくなんかを、面白おかしく批判する人が多い時代だったからね、でも、福田和也はちゃんと読んでくれていた。
「白仏みたいな小説を立て続けに10冊書けばいいのに」
福田和也氏が亡くなったというニュースは、古い記憶を揺さぶって来た。
今日は、長谷っちと、そのことを話し合った。
あの人は、保守の論客のように言われていたけれど、ぼくはちょっと違う感想があった。ま、ここで迂闊に書けないので、この話は終わりにする。
福田さん、もう一度くらい一緒に六本木のあなたのいきつけのイタリアンに行きたかったなァ。あの頃は「ここはぼくのテリトリーだから」と福田さんにご馳走になった。
次はご馳走したかったのに・・・。
ご冥福を・・・。
つづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
人間ドック、行くことになりました。で、右肩から右腕にかけての腱鞘炎、まだ、指先がしびれるものの、重いものも持てるまで回復してきたので、ご報告させていただきます。ただ、左肩に痛みが出てきて、あはは、きっと、右腕をかばってきたせいでしょうね。やんなっちゃうなー。笑。
はい、個展は、10月12日の17時で、閉幕、となりますので、パリ在住の皆さま、お暇であれば、どうぞ~。銅像。
※ そして、10月15日に、父ちゃんのラジオ放送、生放送があります。月に3回のツジビル・村営ラジオ、です。下のTSUJIVILLEのバナーをクリックしてみてくださいませ。