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滞仏日記「ぼくがどうやってぼくを創ってきたのか、その人類最大の謎に迫る、歴史絵巻」 Posted on 2024/09/09   

某月某日、ぼくがなぜぼくであるのか、ぼくはどうやってこんなぼくを生み出したのか、こんなぼくはどのような人生を経て今のぼくにたどり着いたのか、幼少期から今日現在までの「ぼく」の原風景を1500字以内にまとめてみました。エッセイ「黒の原風景」をご一読ください。笑。

「黒の原風景」

ヘッドライトの光が暗い道の先を照らしていた。父が運転をし、母は助手席で流行歌を口ずさんでいた。
ぼくら兄弟は狭い後部座席で騒いでいた。
どこまでも暗い北海道の原野を突っ切る一本道の上を、か細いヘッドライトの灯を頼りに帯広を目指していたが、ぼくは嬉しくてしょうがなかった。
父の車は、まるで銀河を行く宇宙船みたいで、振り返ると、そこには真っ暗な宇宙空間が広がっていた。
生を受けて今日まで、その時の光景以上に家族を強く感じる瞬間はなかった。
福岡から帯広に転校した頃の記憶だが、黒をカンバスに叩きつける時、ぼくが再現したいのはあの日の夜の漆黒に他ならなかった。
家は十勝川の近くの大通りに面していた。
一階が父の会社の営業所で、ぼくらは二階に住んでいた。
屋根は雪が降り積もるのを防ぐため鋭角に傾斜していた。
引っ越した最初の冬は家族総出で雪かきに追われた。
父の背を超える高さの雪が家を取り囲み、ショベルで作った洞窟のような道を潜って登校した。
東京の団地で生まれ、幼稚園の時に福岡の社宅に移り、中学に上がる前に帯広に転校した。
温度差が60度ほどあったので、母は体調を崩した。
寂しさを紛らわすために父がぼくに白いラジオを買ってくれたので深夜放送にハマった。二段ベッドの上で布団にくるまってラジオを貪り聞いた。真冬の深夜、DJの話に耳を傾けていると、不意に建物が激しく揺れた。
慌てて窓から覗くと、降りしきる雪の中を移動する戦車の車列が見えた。

滞仏日記「ぼくがどうやってぼくを創ってきたのか、その人類最大の謎に迫る、歴史絵巻」



新しい中学校の窓から見える海峡の色は鮮やかな青で、その先に本州、青森が見えた。
新しい家は営業所の横に隣接する一軒家で居間にロシア風のペチカがあった。
父はウイスキーを舐め、母は刺繍に没頭していた。
ぼくの部屋は玄関脇の六畳間だったが、父の会社が駅前に移転したので、空っぽになった営業所にベッドを持ち込み、一人暮らしの練習をはじめた。
「宝来御殿」と名付け、そこを想像の根城とした。
傾いた机で小説を書き始め、ギターアンプやドラムを持ち込み、拾ったイーゼルを自分で直し、生まれてはじめて油絵を描いた。
その絵を壁に飾り、バンド仲間に見せ、時にはそこで演劇や詩の朗読会の真似事をした。札幌や東京から髪の毛の長いヒッピーたちが口コミでやって来るようになった。
ワーカホリックな父に遊んでもらった記憶はないが、ぼくの自由を大目にみてくれていた。
高校二年生の夏、あの日の黒を再現したくなって、その部屋の4メートルはある一つの壁を黒ペンキで塗りたくった。
若い芸術家たちは、それは何か、とぼくに聞いた。
知床から帯広の家に戻る途中の夜の原野だ、と答えた。世界が暗いのに、ぼくの心の中にはうっすら灯があった。
あの国産車の狭い空間を描きたかった。
幼いぼくが家族のぬくもりを感じながら、振り返った北海道の原野は、宇宙そのものだった。
つまり、これは家族の思い出だ、とぼくは連中に嘯いた。
鼻で笑う者もいたし、じっと見つめる奴もいた。

滞仏日記「ぼくがどうやってぼくを創ってきたのか、その人類最大の謎に迫る、歴史絵巻」

※ この写真が唯一現存する「宝来御殿」の写真なのである。ぼくは右端のヤンキーっぽいやつ。というのは、柔道部だったからね。この髪型なの。同じ高校の同級生たちと、バンドの練習をする、の図! 



ノルマンディの海沿いのアトリエで、あの黒をもう一度描きたいと思って、再びカンバスと向き合うようになった。
思い出ではなく記憶。原風景というものが人にあるなら、ぼくのそれは、北海道の原野で見たあの宇宙であった。
ぼくはあの日、幸せだった。世界が黒く暗く果てしなく深いほど、小型車の中の灯は温かく、家族と近かった。
母が口ずさむ流行歌のメロディが、子守歌のように優しく記憶の中でこだました。
ぼくは嬉しくてしょうがなかった。
そこに家族があり、ぼくがいた。 
 

滞仏日記「ぼくがどうやってぼくを創ってきたのか、その人類最大の謎に迫る、歴史絵巻」

※ このガキ大将が、半世紀もすると、下のような妖怪に化身するのだった。あはは。

滞仏日記「ぼくがどうやってぼくを創ってきたのか、その人類最大の謎に迫る、歴史絵巻」



つづく。

このエッセイは、父ちゃんの気まぐれエッセイ教室でぼくが自分が出した課題に応える形で、書いたエッセイになります。今年のエッセイ教室は、今回で、最終回になりました。また、来年、たぶん、一月の前半とかに、2025年の第一回エッセイ教室を開催したいと思います。レベルが上がって来たので、とっても、嬉しい講師の父ちゃんでした。
あはは。
さて、そんな父ちゃんがパリから生放送の、「ラジオ・ツジビル」次回は、9月14日となります。ふるって、ご参加くださいませ。
詳しくは、下のツジビルバナーをクリックください。

TSUJI VILLE

※ そして、パリの個展は、いよいよ、10月4日から、12日まで! ご近所にお住まいの皆さん、絵が好きなお友達をお誘いあわせのうえ、どうぞ!!!!

滞仏日記「ぼくがどうやってぼくを創ってきたのか、その人類最大の謎に迫る、歴史絵巻」

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