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滞仏日記「9月入学か4月入学か、その議論の前に」 Posted on 2020/05/05 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子の様子がおかしい。ロックダウンが始まって、最初の頃は一緒に走ったり、ご飯を作ったりしていたが、マクロン大統領がロックダウンをさらに4週間延ばすと宣言したあたりから、ジョギングが10時から19時まで禁止になったあたりから、言葉数がぐんと減ったし、雰囲気が変わった。とにかく部屋から出ない。家の中で前は運動もしていたけど、それもやめてしまった。ご飯の時だけ、出てきて一緒に食べるのだけど、何も話さないし、食べたらすぐに部屋に戻ってしまう。しかも、ダイエットをすると言い出して、野菜しか食べなくなった。この二か月に及ぶロックダウンが子供たちに与えている影響は小さくない。ぼくは毎日、買い物に出ているが、小学生、中学生、高校生らに会うことはない。外を歩いているのはお年寄りばかりだ。
「みんな、どうしてるの?」
と今日、夕食時に訊いてみた。
「知らない」
という返事だった。
「ウイリアムやアレックスは元気なの?」
「うん」
実は心配なので、様子を窺っているのだけど、一日中、スカイプで仲間たちと話し込んでいる。寝室は隣なので、息子が仲間たちと話す声は聞こえている。でも、それが何か家の中にいるというのじゃなく、みんなで心の内側に避難してしまったような、現実を見なくなったような、そういう雰囲気にも聞こえる。今回のコロナ危機で一番心配なのは子供たちかもしれない。



今日、電話出演したBS番組で、日本では休校が続いているので、9月入学が検討されているのだけど、どう思うか、と訊かれた。日本の経済発展を視野にいれたグローバルな学生の国際化を考えるなら、確かに危機が改革を実現する契機と捉えるこのタイミングは大きな賭けをしかけるチャンスかもしれない。けれども、いきなりこの9月から一気に変更しようというのは、教育界全ての立場や空気を無視した無謀にも感じる。政治がコロナによってここまで混乱している日本(世界の中の日本)でやるにはリスキーな面が大きい。その前にやるべきことがかなりあるし、そもそも、9月までにウイルスが終息するとは思えない。9月にどのレベルの感染規模になっているか誰にも言い当てられない今の状況で踏み切ったはいいが、ごめんなさい、やっぱ、まだダメでしたね、じゃ許されないよね。もちろん、議論は賛成である。



現実的な方法としては、来年の9月からを目指し、今年はその準備期間と捉え、今回の経験を本格的議論の導入とするのが無難かもしれない。そのために今年は異常事態の中でのイレギュラーな編成にするのだ。そうすれば考える幅が保てるのではないかと思う。欧米では9月入学というのがスタンダードだが、アジアでは4月という国もまだ多い。パリで暮らしているぼくが言うのもおかしなはなしだけれど、欧米ばかりを見ていくのが良いとは思わない。日本のメディアはとくに欧米のメディアが書いた日本論が気になるようだけど、ぼくは欧米の一流紙が日本批判をする時、またか、と辟易としている。いいところは真似をしたいけど、外国の記者が書いた単純な日本批判や意見をそのままコピペするのはやめるべきだ。自分の国の批判は自分たちで考えて自分たちで言った方がいい。日本批判が好きな欧米メディアは自分の国のことをもっとちゃんと批判してなさい、と言いたい。ぼくは2月には今のアメリカのコロナ危機を訴えていたけど、アメリカのメディアはその頃、日本を叩いていた。自分の国の危機をまったく予測できないニューヨークタイムスとかをそのままコピペしてもどうなんだろうね。話しは逸れたけど、欧米がいつまでもグローバルスタンダードという偏った基準を一度捨ててみるのもいいかもしれない。 

その上で、ここフランスで生まれた息子を16年間育ててきた父親の目で9月入学の良さを説明させてもらいたい。一番いいのは夏休みの宿題がなくなることなのだ。自由研究なんてものもない。夏休みは毎年、子供たちが自分の人生をリセットするための大いなる転換期として機能する。9月10月11月12月が一学期、1月2月3月が二学期、4月5月6月いっぱいが三学期となる。9月3日くらいから翌年の7月3日くらいまでが学校期間。夏は学年の移行期だから、夏休みというより、自由時間ということになる。宿題も自由研究も求められない。のびのびできるというわけだ。子どもたちはここで家族や仲間たちと自分の可能性を探す旅に出る。このメリハリの付いた一年の過ごし方をずっと見てきたけど、自分の時とは違って、いいものだな、と思った。7月8月は思いっきりみんな自由に時間を使うことが出来る。そこで大きな人生の可能性を探している。9月に新しい学年が始まって、物凄くリフレッシュした意識と身体でその学年を乗り切っていくのだ。その中に冬もあり、春もある。ダイナミックでドラマティックな一年の流れがある。実は日本も明治期に9月入学方式を検討している。実現はしなかったけれど…。個人的には日本も9月入学になればいいのに、とぼくはずっと思ってきた。でも、欧米を見習って真似るのじゃなく、あくまでも、9月からはじまる方が子供たちにとっては一年にメリハリがつき、有効で合理的になるからに過ぎない。今年どうなるかはさておき、議論は続けた方がいい。

滞仏日記「9月入学か4月入学か、その議論の前に」

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