JINSEI STORIES
滞仏日記「今日がどういう日なのか、ぼくはもう一度、墓地にて、かみしめる」 Posted on 2024/08/22 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、8月2日、トマの奥さん、Mさんが天国に旅立った。
その人は、大阪で生まれたが、フランス中部の街、トゥールで亡くなり、その郊外の光が降り注ぐ、本当に美しい墓地に埋葬されたのだった。
今日は、Mさんの友人たちとその家族(夫と子供たち)が墓参りをする日。
8年にも及ぶ、長い闘病生活が続いたが、トマがMさんを支え続けてきた。
ぼくはそれほどMさんと親しかったわけではなかった。でも、友人のトマのことがちょっと心配だったし、割り込むような形で、参加することにした。
はじめて、普通のフランスの墓地に足を踏み入れた。ここの墓地は、お墓が円形に配置され、魂が、円環を象るような形で、葬られている。
考えてみた。
日本で生まれ、トマと出会い、フランスにやって来て、彼とパリで生きた、日本女性。
ある時、絶対に治らない病にかかっていたことが判明し、幾つもの薬を試しながら、生きようと頑張った。
その8年間、痛みとの闘いだった、という。
でも、8年も頑張ったのに、戻らぬ人になった。そして、彼女はトゥールという、それまで、縁もゆかりもなかった、トマの生まれ故郷にて、埋葬されたのだった。
トマのご両親が、Mさんを家で看護しようと提案した。本人は生きるつもりだったが、お医者さんたちは、もう助からないとわかっていた。
お医者さんたちでさえ、生存の方法をもたない、特殊な癌だった。
すると、トマのご両親が、うちで、人間らしくいい時間を持とう、と誘ったのだという。それは、ぼくが想像をするに、うちで、看取ろうという申し出だったのじゃないか、と思う。
お父さんとお母さんは、Mさんを病院ではなく、家で看取りたいと思ったのに、違いなかった。
フランスの素晴らしいところは、医者が夜中であろうと、自宅まで診察に来てくれるということ。しかも、癌にかかる治療費はすべて、この8年間分、国が負担をする。
トマのお母さんは麻酔医だったこともあり、医学の知識が豊富だった。
Mさんは、気分を変えるために、トゥールのトマの実家に移ることを決心した。日本風の小さな竹林があり、彼女は、その美しい光を見つめて過ごすことになった。
これは、どう考えたらいいのだろう。
トマの家には、トマの弟も住んでいる。お父さんとお母さんは、そこまでMさんとべったり過ごしたことがあったわけではない。
トマとMさんには、お子さんがいなかった。
どういう経緯があったのか、わからないが、トマのご両親は、息子夫婦に、「うちに来なさい、病院じゃなく、うちで、療養をしなさい」とすすめたのだった。
看取ることをわかっていて、ご両親は、Mさんの世話を申し出た。
その2週間後、彼女は帰らぬ人になった。ちょうど、ぼくが日本で引退ツアーをやっていた時のことだ。
なので、ぼくは8月8日に、そのことを知った。
Mさんの親友4人、そのご主人、そのお子さんたち、Mさんと仲が良かった人たちが、フランス式のお墓の前で、茫然としている姿を、ぼくだけが少し離れた場所から眺めていた。
みんな、泣いていた。みんな、鼻をかんでいた。
誰もが信じられない、という顔で、静かに墓石を見つめていたのだった。
「・・・あなたは、ここにいるのね」
と誰かが、言った。
ぼくは、その時、空を見上げていた。ちょうど、雲が割れて、天使のような、こう書いていいのか、わからないが、光のリングのようなものが出現した。
携帯を取り出し、撮影したが、間に合わなかった。
彼女は、あなたたちの上にいるよ、と言いかけたが、ぼくはやめた。
お墓は、生き残った人たちが、彼女との思い出をつなぐ神聖な場所なのである。
そこに彼女がいるわけじゃないが、そこに彼女と再会するための扉があった。
Mさんは、みんなの心の中にいた。
お墓参りのあと、トマのお母さんがみんなにご飯をふるまう、というので、ぼくらは、トマの家へと向かった。
トマは泣いていなかった。トマはずっと泣かなかった。ご両親も、ずっと、微笑んで、みんなを気遣っていた。テーブルに食事が並べられ、みんなが座った。
地元の郷土料理をお母さんが作って、ぼくたちのために、だしてくれた。
お母さんは、Mさんが、息を引き取るまでの詳細をMさんの友人たちに語りだした。まるで語り部のように、最後の瞬間を迎えるまでの時系列を、静かに、みんなの心の中に降り注ぐ雪のように、語った。
お父さんは笑顔で、みんなを励ましていた。子供たちは駆け回りだした。三四郎は、トマとMさんが飼っているうめちゃんというフレンチブルドッグとじゃれ合っていた。
綺麗な光りが、そこに降り注いでいた。
今日、ぼくたちは、そこにいた。
ぼくは思ったことがあった。
Mさんが生きたいと思って頑張って希望を託した「明日」というものは、ぼくらが今、Mさんのことを思っている「今日」なのであった。
今日を生きられるぼくたちは、今日を夢見た人の分まで生きなければならない。
疎かにできない命を、ぼくたちは、託され、明日へと持っていくのである。
※ 何も差し上げるものがなかったから、慌てて、ぼくが、Mさんの残された家族のために描いた、ほとけさま、の墨絵です。Mさんの生前の元気な姿の写真をうつしながら・・・。
つづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
今を、精一杯生きましょうね。
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