JINSEI STORIES
退屈日記「これから買い物に出かける。ぼくの基本装備」 Posted on 2020/04/22 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、これから買い物に行くのだが、息子がやって来て、今日も重装備だね、とフランス語で言った。しょうがない、と返した。この恰好で、二か月前にこの辺をうろちょろしていたら、間違いなく警察に通報されていたことだろう。でも、今は誰も何も言わないし、もっと凄い恰好の、つまりギャングみたいな人が溢れている。マスクなんか絶対に付けないと豪語していたフランス人の仲間たちも、今はみんな喉から手が出るくらいにマスクを欲しがっている。
外出する時は帽子で髪の毛に飛沫がかからないようにし、大きめのマスクをつけ、特大の眼鏡をかける。顔がほぼ、分からない状態になる。サージカル手袋も忘れない。だいたい三種類(ヴィニール、ラテックス、ニトリル)売ってるのだが、使用感が一番楽だったニトリルをぼくは使っている。実は首からぶら下げてイオンを噴出するパーソナル除菌器も持っているが、それをぶら下げて歩くとさすがに人目を集めるので、相当混雑した場所(機内とか)じゃない限りは使わないことにした。なんか、あんまり重装備で出歩くと、元の世界に戻れなくなりそうで、マジ、精神的にやばくなりそうだから、この辺くらいでやめている。
フランス政府によると、5月11日のロックダウン解除予定日までに国民の5,7%の人間が感染をすることになるらしい。20人に1人の割合だが、それでも、集団免疫を国が持つことのできる70%までにはまだまだ遠い。(最近、フランスでは集団免疫そのものが本当に有効かという議論が繰り返されている。コロナの抗体を持っても、理由はわからないが、持続しない人が結構いるらしい)仮にフランス政府が集団免疫を最終的に目指しているとしたら、ぼくの運命はちょっと絶望的だが、昨日、再びばったりと会った哲学者のアドリアンは、ぼくの恰好をみて、
「お前、バカか? 空気感染はしないし、社会的距離をとってりゃ、絶対うつらない」
と笑いながら言い切った。
「アドリアン、転ばぬ先の杖という日本のことわざを教えてやる」
アドリアンの笑いは収まらない。
「杖を早くから使うようになると足腰が逆に甘えて悪くなり早く年を取るってフランスでは教えられてるんだ。その言葉をお前にくれてやる」
となじられ、悔しかった。
「笑ってろ、お前みたいに葉巻ばっかすって、ワインばっか飲んでると重症化したら取り返しがつかなくなる。マジ、俺はお前が一番心配なんだ」
と言うと、彼は空を振り仰いで、
「ツジー、コロナから人類はもう逃げられない。俺は哲学者だから、わかる。一年後、インフルエンザのようなものになってる。どうも、コロナみたいなんだって、言うやつばかりになるわけだ。実際、もうなってるだろ?風邪ひくのと変わらない感じになる。致死率が一人歩きしているし、マスコミが煽り過ぎるんだよ。コロナが俺たちの生活の一部になるよ、インフルエンザのように。一つ質問だが、お前、インフルエンザの注射、最近、打ったか?」
「いいや」
「じゃあ、コロナのワクチンも最初だけだろ。そのうち、気がつかないうちにうつされて、免疫を持つようになる。ツジー、お前もう免疫保持者かもしれないんだぞ。そういうことだ」
哲学者は笑いながら交差点を横切っていった。ともかく、ぼくはぼく、アドリアンはアドリアンなので、気にしない。ぼくはそれでも完全防備で外出をする。哲学対コロナの戦いは続くだろう。しかし、いつだって、「だれの人生だよ!」でいくしかないのだ。