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退屈日記「モップという名の犬がピエールに教えた人生の意味」 Posted on 2020/04/21 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、少し前から午前10時から19時までジョギングが禁止になった。それまでは息子と毎日走っていたのだけど、新しいルールに変更になってからぼくらは走らなくなった。午前中は10時前にぼくが起きれないから、19時以降はものすごい人だからだ。物凄い人というのがどのくらいか、ちょっと写真を見てもらいたい。どこもかしこも、ロックダウンだというのに、うじゃうじゃ出てきて一斉に走りだす。こりゃ、3蜜違反だろ!

退屈日記「モップという名の犬がピエールに教えた人生の意味」

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退屈日記「モップという名の犬がピエールに教えた人生の意味」

退屈日記「モップという名の犬がピエールに教えた人生の意味」

20時から医療従事者への拍手を毎日欠かさずやっているのと、その後は夕食だから、夜はもう走れなくなってしまった。息子に、一人で走って来いよ、とすすめるのだけど、「パパ、人が吐き出す息は4~5メートルも飛ぶんだよ。あの人の中に、感染しているけど無症状の人とかいるでしょ? そこでうつらない保証はあるの?」と言われ、走る必要はない、と言う結論に至った。厄介な時代である。



夕方、卵が切れていることがわかったので、近所のスーパーまで卵を買いに行ったら、仲間のピエールがランニング姿でやってきた。一応社会的距離を保ち、ぼくらは通りを挟んで会話をした。
「ツジー、走らないのか?」
「ピエール、君、ふだん走ってたっけ?」
「いや、ロックダウンになってから走るようになった。家が狭いからさ、こうやってジョギングするのが今の楽しみなんだ。きっとみんな同じだと思うよ。そこの公園の周辺、千人は走っていたよ」
「知ってる、ちょっと、怖くて近づけない」
「まあな、でも、暗くなる前、夕飯の前となると今しか走れない」
普通の人は10時から19時まで家でテレワークをしないさい、ということだ。走りたければ早朝か、夜に走りなさい。で、ご年配の人や幼い子供連れの家族が日中散歩すればいい、という政府の考え方なのだろう。
「でも、走るのは健康にいいからね」とぼく。
「ああ、実はうちの犬がこの素晴らしさを教えてくれたんだ」とピエール。
ピエールはモップという名前の雑種を飼っている、というのかモップと二人暮らしなのである。ピエールがモップを連れて歩く姿がまるで清掃員さんに見える。可哀想だからモップって名前をやめようと言ったことがあるが、ピエールはモップのどこがいけないだ、と怒ったことがあった。本当に可愛がっているので、ま、いいか。
「うちのモップが毎日どんなにこの散歩を楽しみにしているのか、よくわかった。たまに、気分がのらなくて、犬の散歩を忘れることもある。でも、モップはきっと一日中連れ出されるのを待ち続けていたんだよ、今の俺みたいに。だから、それを思うと胸が痛んだ。人間も犬も一緒だったんだってわかって、ロックダウンに感謝だ。だから、朝はモップを連れて散歩し、夜は一人で走ってる」
ぼくは肩を竦めて、犬の気持ちが分かってよかったな、と言っておいた。
「ツジー、俺たちは今、鎖につながれた犬のような状態だ。だからこそ、自由な日常の有難みがよくわかった。モップの気持ちも分かった。俺はいつも死にたいと思って生きていたけど、反省をした。今は生きる希望が芽生えている。だから、毎日、走ってるのさ。悪いか?」
それはとっても素晴らしい結論だった。
「いいんじゃないの、じゃあな、ピエール」
「ボンソワレ、ツジー、もうちょっと走ってくる」
そう言い残して、ピエールは走り出した。ぼくも走らなきゃ。早朝か深夜にでも…。

退屈日記「モップという名の犬がピエールに教えた人生の意味」

※ちなみに、このわんちゃんはモップ君じゃない。近所の家のわんちゃんで、いつも、この窓から、通行人を見下ろしている。ぼくと毎回目が合う。きっと、飼い主さんは散歩に連れてってくれないんだな。この子の心の声が聞こえてくる。飼い主さん、気が付いてあげてね。

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