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滞仏日記「SF・その後の世界」 Posted on 2020/04/21 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ドイツが段階的なロックダウンの解除をはじめたようだ。フランスは5月11日を目指してロックダウンの解除へと向かっている。こちらも段階的な解除になるだろうと言われているので、たぶん、感染者数の最も多いパリが、一番最後に解除されることになるだろう。どのような世界が待ち受けているのかを今日は暮らし慣れた自分の地区を散歩しながら考えてみた。ロックダウン前と後でもっとも影響が出るのが、カフェやレストランじゃないか、と思った。解除されました、はい、皆さん、ランチ食べに来てください、とはならないだろう。二か月にも及ぶ厳格なロックダウンが続いてきたパリ、解除といっても感染者がゼロになるわけではない。北半球での感染爆発が制御されたとしても、南半球で今度は感染爆発が起きる。この新型が季節性インフルエンザのようになる可能性も大いにある。市民も一度持った警戒心をいきなり捨てて元通りの生活に舞い戻れるとは思えない。マスクなど付けたこともなかったフランス国民が奪い合うようにしてマスクを求めている現在のこの状況から想像するに、彼らの意識も180度の変化が起きて当然だ。僅かひと月やふた月でこの恐怖が消える去るとは思ってはならない。新たなパンデミックが登場する危険性も実はすでにあるのだ。

滞仏日記「SF・その後の世界」



仮にカフェやレストランが再開されたとして、客席は2メートルほど離されるだろうし、そもそもくしゃみの飛沫は8メートルも飛ぶ。テーブルには消毒ジェルが置かれ、ギャルソンはマスクを付け、もしかすると手袋さえ嵌めての接客も十分考えられる。そのような行政指導が出るかもしれない。夕方18時からのハッピーアワーともなると以前は仕事帰りのサラリーマンでどこのカフェも満席となった。外まで人が溢れていた。あのパリらしい賑やかな光景ももう暫くは見られなくなるだろう。人と人が重なり合うようにして、接近し、ビールグラスを傾け合っていたパリは消える。もちろん、飲みに出る勇敢な人間もいるかもしれないが、ぼくのような用心深い臆病者は警戒心ばかりが膨らんで、足が遠のくのじゃないか、と想像する。間引かれた席でこれまでのような経営が成り立つだろうか? 観光客が消えたパリで観光客相手のレストランやカフェはどうなっていくのだろう? 星付きレストランの予約は? オペラ地区のラーメン屋に行列は出来るだろうか? 寿司屋は?

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パリは文化の街なので、演劇会場、劇場、コンサートホール、ライブハウス、そして映画館が地区によってはカフェ並みに林立している。今現在、夏が終わるまで全てのフェスやイベントが禁止されているが、仮に許可が出ても、ぎゅうぎゅう詰めのライブハウスや演劇会場に人がすぐに戻ってくるとは思えない。ある程度の様子見の時間が必要となるだろう。演劇は特に日本もそうだけど、小劇場が多いので厳しいかもしれない。ライブハウスも同じだ。映画館だって、隣の人との距離は10㎝も離れていないので、或いは公演や上映をやる場合、全ての客の前後左右を空席にして行う、という新しい形態での再開も想像できる。カンヌ映画祭もこれまで通りの開催は難しいということになった。トゥール・ド・フランスも延期。サッカーとかラグビーのようなスポーツの試合も同様であろう。無観客ライブなどが今は流行っているが、残念ながら臨場感が根本的に違うので、音楽や演劇やスポーツの在り方、スタイル、中身までもが変わる可能性がある。いや、すでに変わりつつあるのじゃないか。

風俗営業などもってのほかだろうけど、じゃあ、指圧とか、美容院とかはどうなるのだろう?使い捨てのビニールにくるまっての指圧とか、美容院などは無いと困るので、医療従事者のように防護服などを着て営業をするところも出てくるかもしれない。

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ぼくらがロックダウン前に持っていた当たり前の日常や価値観というものがロックダウンの後には大きく変更を余儀なくされるだろう。今はまさに戦中のような時代なのだ。いつかこの戦争が終わった時に、第二次世界大戦後のフランスや日本やドイツのように、人々の心の地形までもがすっかり変わっているということもありえるかもしれない。バスなどの密閉式の乗り物に乗って、大勢で長時間移動することに恐怖を感じる人は増えるだろう。或いは飛行機でさえ、怖い。今時の飛行機は機内の空気を数分置きに入れ替える装置が付いているので機内は空港の百倍安全だ、と言った航空産業の友人がいたが、そうだとしても、そもそも空港はやはり怖い。クルーズ船、新幹線(TGV) 、長距離バス、メトロ、タクシーだって、今までのように気軽に乗ることが難しくなるかもしれない。マスクだけで、コロナは防げないので、交通会社はどこもそれ相応の対応を迫られることになる。人々は移動を恐れるようになるだろう。オーストラリア第二位のヴァージン航空が経営破綻するとの見方が強まっている。世界の半分くらいの飛行機会社が潰れると言われ始めている。移動手段がなくなれば、観光業などにも大きな影響が出る。世界経済は、すべて数珠繋ぎ。宅配業者は伸びるので、Amazonのような会社が応用力を持って、新しい娯楽、新しい経済の仕組みを考え出し、或いはGoogleなんかと組んで、インフラを整備し、人間をオンラインなどで結んで、仮想世界に集めるかもしれない。

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昨日、息子に「ロックダウンが終わったら、パパは真っ先に何をしたい」と質問された。ぼくはすかさず「パパは家にい続けたい」と答えた。息子は笑っていたけど、まもなく、ありえるね、と呟いて、明後日の方角を向いてしまった。解除が終わって畏怖を感じていたフランス人たちも、半年くらいすると再びかつての日常を取りもどすことになるかもしれない。ところが、そこに新型コロナの第二派、第三派が襲ってくることも考えられる。スペイン風邪もペストも収束までの間、何度か大きな波に襲われた。もちろん、時代が違うので、先進国では封じ込めがある程度はうまくいくし、ワクチンも出来て、一定の成果は出るだろうが、変異の早い新型コロナのワクチンはインフルエンザ以上に開発が困難とも言われている。おさまっては繰り返し、収束まではぼくらの想像を超えて長い戦いになる可能性はある。貧困国では手が付けられない状況が続くと思われる。そうなると、世界中が鎖国のような状態になり、政治経済の枠組みもこれまでとは違った形態に変わる可能性がある。超大国が消えて、世界中が分離し、小さい世界になった場合、これほどの人口を抱えたこの世界がこれまでのように回り続けられるのか、シュミレーションするのは難しい。とりあえず、明日、この世界があればいいか、と思って生きるのが一番心の健康面では良さそうだ。島国である日本は大陸の国々と違った未来を描ける可能性は残されている。その時、日本にとって一番必要になるのは農業であろう。 

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