JINSEI STORIES
滞日日記「とにかく、終わった。今後のことを話したい。今、考えていること」 Posted on 2024/08/09 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、大成功に終わった、日本引退ツアー。今は、移動の新幹線の中でこれを書いているのであーる。
日本の音楽興行から(JINSEI TSUJI)として、足を洗ったので、今後、公式の、規模の大きな、チケットぴあさんとかに名前が出るような音楽活動は終了ということになった。
オーチャードホールは3回も中止になったが、もう、そういう素敵な会場でライブ開催はやらないことになる。
昨日の大阪フェスティバルホールが、なので、我が音楽人生の大団円ギグ、ということになった。おつかれさましたーーー。
しかし、不思議なことに、今回のツアーで、スタッフ、メンバー、関係者から、「マジでやめるんですか?」みたいなことは、なぜか、誰からも言われなかった。
ただ、ひとりだけ、モニターの中さんが、打ち上げの席で、
「ほんとにやめちゃうんですか? ええ、もっと続けてください。やってほしいです」
と唯一、直訴してれたのであった。
実は、ちょっと嬉しかった、父ちゃん・・・。メルシー。
※ この子が、モニターPAの中さん、苦言ならぬ、唯一、進言をくれたのだった~。
あと、ライブはこの引退ツアー、毎回、楽しくて、ずっと笑顔だったのだけれど、昨日の大阪フェスティバルホールの中盤、ECHOESメドレーの2曲目、ジェントルランドのサビのところで逆照明になって、客席が明るくなった。すると、大勢の人が、ECHOESのタオルや、Tシャツを着ていて、それを見た瞬間、さすがに、動揺してしまい、思わず、声が出なくなって、真空、になった、父ちゃんだった。
すまん。ありがとね・・・。
でも、本当のことは言えないけれど、ぼくは脂ののっている今、お客さんもまだこぶしを振り上げることのできる年齢だし、ここで、一度、日本で引退というのは、良かったのじゃないか、と思って疑っていない。
正直、ぼくはフランスの田舎に住んでいるし、なかなか、日本に戻って来て、2時間半ほど歌って踊ってハイになるのも難しくなっているので、年齢的にも、健康上も、経験上においても、goodタイミング、最高の幕引き、まさにベスト潮時、なのであった。
余力を残してやめられることは、逆に、素晴らしいことだと思っている。
そして、当然、音楽そのものはやめないので、ここから、何をやっっていくのか、だと思うが、まずは、今回の4か所のコンサートを(ZIZZスタジオ、ジョン・礒江チームによって)ライブレコーディングさせてもらったので、これを磨いて、ミックスし、マスタリングして、「Jinsei TSUJI・ LIVE at OSAKA Festival Hall」と銘打って、世に出したいと思っている。
なかなか、いい出来になると思うぞよー。
その後、ノルマンディのアトリエに小さなスタジオを作り、4,5年かけて(笑)、フランスで作った新曲のレコーディングを開始したいと思っているのだ~。これは、時間をかけて、こつこつと、こつこつと、三四郎の成長とともに・・・。いいね。
完成したら、全世界へ配信できるような、アートミュージックになるんじゃないかな。ロックとかポップスとかではない、ちょっと、不思議な世界を目指したい。
何年かゆっくりと時間をかけて、ノルマンディの四季の中で、朗読するような感じのアルバムを作成してみたい、と、うっすらと考えている。これも、仕事じゃない。偉大な遊び。
遊びの場合、時間がかかるので、実現できるか、自信はない。
ライブに関しては、9月25日、26日に、コルシカ島のアジャクシオ市でのライブが決まっているので、英国在住のギタリスト、HIDEとはせ参じ、ナポレオンを生んだコルシカの人たちに大和ミュージックを届けてこようと思っている。
こういうコンサートは、飛行機代も宿代も現地の方々が提供してくださるので、ノーリスク、ただプレイに行けばいいから、やれるときは続けていきたい、と思ってる。ジャズフェスとか、ブルースフェスの話もあるし、来年は南仏で絵との抱きあわせで、ライブの依頼もある。
そういう形で、自分の新しい音楽を届け続けられたらベストだね。自分らしく、ささやかな感じで、ソーラン節がね、とにかく、受けるのだ。
言語を超える何かプリミティブな力があるからねー、あの土着感、万国共通なんだよね。
CDなんか作っても誰も必要ない時代になりつつあるから、音楽でビジネスをしようとか思わず、音楽は芸術活動の一環のようなものへと移行する感じかな。
さ、それがどういうものになっていくのか、まさに、ここから、はじまるのだ。
廃墟のお城とか、古い闘牛場やコロシアムで、演奏会とかをやりたらいいなァ、と思っている。それこそが、アートのような世界観、なんとなく、見えてきた・・・。やっと。
ということで、大規模なコンサートからは離れるのだけれど、月に3回、フランスから生放送自由ラジオは続ける予定だし、今後の音楽活動にかかわる情報もそこで発信していくことになるでしょう。プライベートライブ、イベント、フェスとか、ツアー、細かいアナウンスはここでこまめに出していく予定なので、時々チェックくださいね。
いわゆるマスメディアの反対の場所で、ぼくは内海的な活動を続けていくことになるのであーる。地下アイドルみたいに・・・。笑。
ともかく、ノルマンディに戻ったら、音楽がひと段落したこともあり、家周りを充実させ、広めのアトリエを借りて、次の創作へ向かって、三四郎と、巣作りを開始しないとならない。(結局、三四郎はジュリアの知り合いの獣医先生のところで、耳の中に棘がささっていた棘をとった、らしい。ダックスの耳って、無防備だからね、心配です)
さて、小説の準備にも入っているし、来年の個展の依頼にこたえるべく新作の油絵もがんがん準備中だし、他にも、いろいろ、発信するものは山ほどあるから、ぼくがいなくなる、ということはありません。でも、昨夜の大阪フェスティバルホール、最後の最後で、あゝ、終わった、と自分にお疲れ様を言えたのは、実によかったのであーる。やっぱ、終わりがよければ、全部がよくなるのは、真実じゃないかな、と思うのだ。
今まで存在しなかった、唯一無二の日本人、アーティストのはじまりであーる・ぬーぼー。
あはは、ご期待あれ。
つづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
パリに戻る準備をしておりますが、2,3、YouTube番組の撮影とか、今後の打ち合わせなどがあり、もうちょっと、日本にいます。そろそろ、お盆ですから、ご先祖様にもご挨拶に行かないとなりませんね。
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