JINSEI STORIES

滞日日記「東京最終公演、最高の最高だったね。みんな、メルシーボークー」 Posted on 2024/08/06 辻 仁成 作家 パリ

滞日日記「東京最終公演、最高の最高だったね。みんな、メルシーボークー」

某月某日、今日は引退コンサート、東京の最終日、であった。
いや、楽しかった。3デイズ、3回とも3様で、いろいろとあったが、極まった最終回となった。東京の皆さん、どうもありがとう。
今日は、朝、起きて、駅の立ち食いうどん屋に行き、栄養を付けるための「肉うどん」を食べた、父ちゃんだった。
タクシーで会場入りし、ステージ横の通路を歩いていると、
「辻さん、ぼくです、ハチです」
という男が道をふさいだ。
一瞬で、記憶が蘇った。
ECHOESのローディをやっていた中村君だった。必殺仕置き人の中村もんどのすけに似ているので、ECHOESのギタリスト伊藤君が、八丁堀とあだ名をつけ、それがだんだん、縮小されて、最後は、「ハチ」になった、のだった。
ECHOES時代、ぼくはライブの最後で、よくギターを楽屋袖にいるローディ目掛けて投げていたのだ。そういう時代だった!あはは。
空中を舞う、ギター。
数メートルは飛んだ。
それを一回も落とすことなく、受け取ったのが、この「ハチ」なのだった。偉い!
やんちゃだったねー。笑。
ぼくが一度だけ、結石になり、痛くて動けなくなった時に、飛んできてくれて、お医者さんに連れていってくれたのも、ハチ、なのだった。
命の恩人だった。
どうしているのかなァ、と10年に一度くらいの割合で思い出していたので、35年ぶりくらいの再会だったが、ああ、ハチじゃん、とすぐに思い出した。
変わらない、そのまんま、大人になった感じ、でも、この男だ! 
大人になったね。
「今、どうしているの?」
「舞台監督の南谷さんのところでお世話になっています」
「おおおお、なんやー」
南谷さんが、ここ最近のぼくのライブの舞台監督をやってくださっている。
なんか、そうか、そうか、そういう関係かい、ま、嬉しかった。
しかも、ハチが、ぼくに虎屋のようかんをくれたのだ。あのハチが、虎屋のようかんを、ぼくに、・・・。長生きするものだねー。涙。
信じられない。あの「ハチ」が、虎屋のようかん、あんな立派な和菓子を、・・・。
みんなで、食べた。
メルシー、中村君、涙が出るくらい、嬉しいよ。

滞日日記「東京最終公演、最高の最高だったね。みんな、メルシーボークー」

※ 右が、中村八丁堀です。

滞日日記「東京最終公演、最高の最高だったね。みんな、メルシーボークー」



滞日日記「東京最終公演、最高の最高だったね。みんな、メルシーボークー」

※ 会場のグッズコーナー、大人気だった、みたい。これは知り合いから送られてきた写真なのであーる・はんぶら宮殿。

滞日日記「東京最終公演、最高の最高だったね。みんな、メルシーボークー」

※ 幻のディスク、「命の詩」にサインも書いた。これも、最後だろうな。昨日、不意に思い出して、販売しようよ、と言ったら、用意してあったものが売り切れた、らしい。よかったよかった。

滞日日記「東京最終公演、最高の最高だったね。みんな、メルシーボークー」

※ 本番前、普段着の父ちゃん。ここから、変身しまする。

滞日日記「東京最終公演、最高の最高だったね。みんな、メルシーボークー」

※ で、変身後の、父ちゃん!!!! ひゃああああ、ちょっと動くと、横から、胸が見える~。ひゃああ、大丈夫かにゃー。

滞日日記「東京最終公演、最高の最高だったね。みんな、メルシーボークー」

※ ライブ前の儀式、世界的に、だいたい、一緒なのであーる・ぬーぼー。



滞日日記「東京最終公演、最高の最高だったね。みんな、メルシーボークー」

そして、ライブが始まると、みんな大盛り上がり。どんどん、加速していき、ほぼ、総立ちになった~。みんな、マジで、ありがとう。
なぜか、今日は、東京最後だからかな、ECHOESのドラマー、今川勉のことを歌いながら、思い出してしまった。

ECHOESメドレー、やっぱ、盛り上がるね。

滞日日記「東京最終公演、最高の最高だったね。みんな、メルシーボークー」

滞日日記「東京最終公演、最高の最高だったね。みんな、メルシーボークー」

で、アンコール、予定外の曲を突然、歌いだす、父ちゃん。バンドのメンバー、必死でついてきた。ピアノのドクター・きょん。同世代だから、痛いところも痒いところも全部わかってくれる、素晴らしいミュージシャン、仲間、これからも、音楽を通して、付き合いが続くんだろうな。ミュージカルとか、一緒にやりたいよね?



滞日日記「東京最終公演、最高の最高だったね。みんな、メルシーボークー」

そして、ライブが終わり、みんなが去り、スタッフが片づけをしている、たぶん、この中に、「ハチ」もいたのだろう。
「東京3夜、お世話になりました」
深々と、客席に向かって、お辞儀をした父ちゃん。手を合わせる舞台の神様に。
最後の東京ヒューリックホール。3デイズ、ありがとう。
記憶に残った。
そして、スタッフの皆さん、関係者の皆さん、ありがとう。
残るは、大阪フェスティバルホール、ただ、一日となりました。千秋楽、予定外の曲、やります。世界株安に動じず、辻組は大阪夏の陣、へと・・・・。
めるしー。

滞日日記「東京最終公演、最高の最高だったね。みんな、メルシーボークー」

つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
ライブ終わり、タクシーで宿に戻り、荷物をおいて、コンビニへ行き、蕎麦いなり弁当を買って、ビールを飲んで、今、日記を書いています。ふー、洗濯をして、片づけをして、から、寝ますね。
みなさん、7日、大阪で会いましょう。熱血は、つづく。

滞日日記「東京最終公演、最高の最高だったね。みんな、メルシーボークー」

TSUJI VILLE
自分流×帝京大学