JINSEI STORIES
子育て日記「息子は今、南の島にいる。気が付けば一人で子供を育てないとならない、あなたへの応援歌」 Posted on 2024/08/02 辻 仁成 作家 パリ
この夏のあいだ、息子は、ガールフレンド君のご家族に招かれ、彼らの実家がある、アフリカにほど近い、レユニオン島周辺でのんびりと暮らしている、らしい。(レユニオン島は、フランス共和国の海外県、海外地域圏。マダガスカル島東方のインド洋上に位置するー)
たくさんの写真が送られてきた。
向こうの家族の方々に、快くむかえ入れられ、どうやら、かなり幸福なバカンスをおくっている、ようだ。いいねー。
順調に育っていて、親としては、まったく、ほっとしている。
ガールフレンド君のお父さんの影響を今は強く受けているようで、フランス的社会との向き合い方などを教わっているのだ、とか・・・。
ぼくが社会的なことを教えてあげられなかったから、彼は今、とっても、いい勉強をしているようだ。
ま、親としては、嬉しい限りである。
※ レユニオン島。
※ レユニオン島は、フランス領なのだ。日本におけるハワイみたいな感じだろうか、行ったことがないので、イメージで申し訳ないが、パリからだとかなり遠い。あいつ、飛行機代、どうしたのだろう・・・。
さて、今日の話しは子育てについて。
ぼくが幼かった息子をどうやって、育てたのか、という話しである。
夫婦であろうと、シングルであろうと、気が付いたら、一人でお子さんを育てている、という方が多いのではないか。
夫がいるけれど、子育ては私が担当している、というお母さんも多い。その逆もあるだろう。
シングルマザーであればなおさらである。
ぼくもシングルなので、子育ては、言葉では簡単に言い表せないほど、大変だった。
ある時、知り合いの女性から、
「どうやって、辻さんはご子息と向き合ってきたんでしょうか」
と質問をされたことがあった。
ある時、若いお母さんから、
「夫は子供のことを一切手伝ってくれません、どうやって育てていけばいいのか、悩むことがあります」
と言われたことがあった。
そういう立場の人に向かって、必ず告げる言葉がある。
「キッチンで育ててください」
たとえば、子供と一緒にカレーライスを作る、とか、そういうことだ。
出来るだけ、小さな頃から習慣づけていく方がいい。
ある程度、大きくなってしまうともうやらなくなるから、ある種、役割分担というか、一緒に作ろうと、言ってキッチンに並ぶことが何より大事なのだ。
結果、美味しい料理が出来なくても、それが、絆、を作ることに繋がる。
「えええ!わたし、料理下手なんですけど」
というそこの奥さん。あるいは、
「俺、料理できねー」
と思っている、そこのお父さん。
出来るから教えるのじゃなくて、一緒に、インスタントラーメンでもいいから、レトルトのカレーで十分だから、一緒に何かを作るのである。
そこでふれあいが生じます!
出来るだけ、小さなうちから、スタートさせた方がよい。
それを習慣化しておくと、自然と親子間に、「生きるコミュニケーション」が生まれるのだから・・・。
そう、料理は生きることだ。
子供のうちから料理と向き合うことを経験させておくは、間違いなく、将来にいい影響を与える。
うちの子の場合、将来フランスで生きていく上で、自炊が大事になるはずだと思っていたので、チャンスをみて、今だ、と思う時に、手ほどきをし続けてきた。
小さい頃はみんな素直なので、一緒にキッチンに立つことを面白がる。包丁は危ないからこそ、その使い方をちゃんと教えてあげることが大事なのだ。
つまり日々の「料理教室」はいつか子供の財産になる。
そうやって、少しずつ、少しずつ、関係性を保つことが出来れば、反抗期になっても、思春期になっても、必ず、食べ物がきっかけで、戻ってきてくれる。
だって、長い時間、一緒にキッチンで料理と向き合った歴史が出来ているのだから・・・。
何も関係がなくて、すれ違っていたら、夫婦と一緒で、子供も、やがて離れていくだろう。
今からでも遅くない、・・・キッチンを目指そう。
うちは息子が小学生の時から父子家庭がはじまったので、その早い時期から、無理やり、キッチンを憩いの場に変えてきた。
キッチンで繋がるのが一番自然だった。
美味しいものが2人をつなぐ。
最初は餃子の焼き方とか、お米の研ぎ方とか、冷凍食品の解凍の仕方なんかを教えたが、いやいや、これはバカにならない。
こういうことが出来ると子供は社会の仕組みを覚えていく。
あえて、失敗させ、やり直させ、ちゃんとしたものとちゃんとしてないものとの差を食べ比べさせることで、調理そのものに目覚めさせることも出来るのだ。
冷凍餃子とか、乾麺のうどんとか、蕎麦のゆで方、ご飯の美味しい炊き方、を学んだら、次に教えるのは目玉焼き、卵焼き、ニラ玉、卵炒飯など、卵系の料理などがいいだろう。
そうすることで、料理がだんだん好きになっていく。
とにかく、少しずつでいいのだ。
自分も料理を学ぶ経験が出来る。
家族全員で料理と向き合えば、なお、素晴らしい。
自立に向かう息子に、父親として、いくつかとっておきの辻家の定番家庭料理の作り方を教えておきたい、という最初の思いが父子の料理教室の根底にあった。
せめて、白いご飯くらい炊ける男子になってほしい、という願いもあった。一つ一つクリアして、今の息子が出来てきた。
人生は、料理と、似ている。
その時々で、難しい時期の息子とキッチンで語り合った。
料理は、和解の場でもある。
当時を、にやにや、思い出すことが出来る。
料理をしながらだとタブーな話にも切り込むことが出来る。
子供の精神状態を知ることもできる。
実は、ぼくも息子が最初に恋をした時のことは、キッチンで、料理をしている最中に、知ったのだ。
キッチンは、心を開く場所だ。
そして、キッチンはぼくにとっては悲しみを癒す場所だったし、歌の練習の場所でもあり、ツイートをする場所でもあった。
息子は、ぼくを探す時、なぜか、まず、キッチンにやってくる。
それだけ、ぼくはキッチンにいることが多いのだ。
正直、あと一まわり大きなキッチンだったらなぁ、と思ったこともあった。
でも、いや、逆にこの狭さが二人を繋ぐいい距離になってきたのかもしれない。
「手伝おうか」
と機嫌がいい時、息子から声がかかった。
「ありがとう。じゃあ、米研いでくれる?」
こんな会話が出来るようになったら、もう、心配することはない。
子育ても、熱血で、いけ。
ちなみに、こちらは、2020年の4月。ロックダウン真っ最中に、息子がチョコレートタルトを作った時の日記であーる。
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