JINSEI STORIES

滞日日記「人生の後半をどう生きるか。後半をおろそかにしない生き方」 Posted on 2024/07/26 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、人生は後半の方が長いというのに、後半をおろそかにしがちだ。
そういうことをここ数年、ぼちぼちと考えてきた。
たとえば、ぼくはサッカー選手に知り合いが一人二人いるが、彼らは30代の後半で「引退」をする。
先ごろ、引退をした元日本代表の岡崎慎司選手も、将来どうするか、少し前から相談というか、会えば、そのことが話題になっていた。
彼はやはり自分にはサッカーしかない、と気が付き、現役引退後もサッカーの指導者としてサッカー界に残ることを決めた。
そのことをパリのレストランで打ち明けられた時、岡崎さんは自分の人生を持ったな、とぼくは思った。
つまり、彼はそこから新しい岡崎をスタートさせる、ということだ。素晴らしい。
スポーツ選手は若い頃に一生分を稼ぐ人がいるが、大事なことは引退後なのだ。なぜなら、そこからの方が人生は長いからである。
ぼくはサラリーマンを経験したことがないので、定年退職という概念を最初から持っていないが、仮に、60歳で定年になっても、100歳まで生きるとするなら、まだ40年も時間が残っていることになる。40年は恐ろしく長い。
40歳で退職をした人は60年もある、ということだ。
後半の人生の方が長かったりするのだから、ここは、きちんと考えておく必要がある。

滞日日記「人生の後半をどう生きるか。後半をおろそかにしない生き方」



そもそも「老後」という言葉はよくない。
老いた後、というのは誰がどの角度から決めつける概念であろう。
定年退職で人生は終わりと思うのではなく、そこから新たに始まる、と思えば人生が面白くなる。
ぼくには定年退職がないので、音楽の引退を決めた。
引退をする、ということは、ぼくにとって、終わるということではない。
けじめをつけて、先へ進む、ということだ。
ぼくの場合、音楽興行の世界から引退をするが、逆を言えば、自分の音楽の新しいステップに入るということを意味している。
定年、退職、引退、これらはチャンスを含んだ区切りだと思うのがよい。
人生の後半は思ったよりも長い。その時間をもっと楽しもうと思えば、生き甲斐も増す。
退職したあと、何もしないで生き続けるのは残酷かもしれない。
逆に自由になるのだから、知恵と経験を振り絞って、何かを始めるのがいい。
今日は、ライブに備え、耳鼻咽喉科に行き、そのあと、行きつけの美容院に行って、髪の毛の手入れをしてもらった。
スクワットを100回やり、腹筋を300回やった。
修理に出していたギターを回収し、弦を張り替えた。
最後の大仕事をやり遂げたら、次の人生を考えよう、と思った。
それはとてつもなく、楽しいことに違いない。
死ぬまで現役でいられるように、ここからが勝負だ、と決意したのだった。

滞日日記「人生の後半をどう生きるか。後半をおろそかにしない生き方」

滞日日記「人生の後半をどう生きるか。後半をおろそかにしない生き方」



行きつけの鉄板焼き屋さんに行き、にんにくを焼いてもらった。
栄養が不足しているからだ。
女将さんが、ちょこっとずつ、健康になるものをこしらえてくださった。
ぼくは長生きをしたいわけではない。
でも、周りの人に迷惑をかけたくないので、健康を意識している。
息子には頼ることはしない。
音楽興行の世界から引退をしたら、ぼくはもうワンステップ、豪快に踏み出してみようと思っている。
まだ、何をやるか、はっきりとはわかっていないが、後半の方が長いのだから、ワクワクしかない。
老いているとは思わない。老いてる暇もない。
老いは、自分が決めるものだ。
若さと闘うつもりもない。この瞬間を切に生き切ることだ。
バイデン大統領は退くことを決めた。相当に悩んだことは誰もがわかっている。
でも、飛ぶ鳥跡を濁さず、彼は残りの任期を全うすると宣言して、去ることを選んだ。
やめる道筋をみんなで作ったのだろう。軋轢や人間関係や様々な問題があっただろうに。
やめる美学というものがあって、そこから始まるものが必ずある。
次の大統領がだれになるか、それはわからないけれど、バイデンさんが終わりを決めたことが彼らの世界にとって、大きな転換の基軸となった。
ぼくも一度やめて、新しい自分を発見しようと思っている。
まだ、その全貌はわかっていないが、自分にはまだそれをやりきるだけのエネルギーが残っている。
一度、やめてみる。
ぼくは、そう思った。

滞日日記「人生の後半をどう生きるか。後半をおろそかにしない生き方」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
東京の路地を歩いている時、ああ、誰かに見降ろされているな、と思いました。自分の行動の一つ一つは誰かに見られているのだ、と思えば、背筋も伸びます。感じのいいカフェでコーヒーを飲み、通りを歩く人々をじっと観察しました。横断歩道を渡ろうとする年配の人と、自分の母親が重なりました。溌剌と歩く青年が息子と重なりました。

滞日日記「人生の後半をどう生きるか。後半をおろそかにしない生き方」

滞日日記「人生の後半をどう生きるか。後半をおろそかにしない生き方」



自分流×帝京大学

毎月、5の付く日に3回、熱血ラジオ父ちゃん、やってます。詳しくは下のバナーをクリックね! 10月5日の放送だけ、ライブと重なり、3日になります。

TSUJI VILLE