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滞日日記「30年ぶりに小田急線にのって、世田谷でうまいもの食べた父ちゃんの巻」 Posted on 2024/07/23 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、30年ぶりくらいに小田急線にのった。
というか、下北沢に事務所があった時代には小田急線にのることもあった。それから30年近い歳月が流れている。
先日、20年ぶりにパリのメトロにのった、ことは日記でも書いたが、恐ろしいもので、日本の電車にのったのは、新幹線以外では、30年ぶりということになーる。あはは。
話しは長くなりがちなので、短くすると、ぼくがかつて下北沢に住んでいた。
そのマンションの大家が伊東さんだった。
彼は最近、下北駅前に、「ボナボナペティ」という昭和の匂いぷんぷんな洋食屋さんをオープンさせた。今日は、リハーサル前に、お招きに預かったのだった。(昔からの約束だった)
伊東さんの娘のマナちゃんは、拙著「日付変更線」の主人公にその名前を使わせてもらった。最近、フランス人のケビンさんと結婚した。
このことで、伊東さんから何度も、「フランスの男はどうですか? 大丈夫でしょうか? いつもデモばかりの国だから」と質問をうけた。
今から25年前、まだ子供だったマナちゃんが自転車ごとまさに車庫のシャッターの下敷きになろうとしていた時、歩行中だったぼくが気が付き、スーパーマンのごとく、飛び込んで助けたのだ。あはは。ドラマティック。
それ以来、マナちゃんには「命の恩人」と呼ばれている。えへへ。
なので、マナちゃんがフランス人と結婚すると聞いて、親戚のおじさんくらい、驚いた。
伊東さんが心配するのも無理はないが、でも、日本好きなフランス人に意外と悪い人がいないことも知っていたので、大丈夫じゃないかな、とは思っていた。
フランスの男のイメージって、「結婚はしない」「ケチ」「ぼそぼそとしゃべる人」「独立独歩&マイペース」というところかな・・・、今日、はじめて会ったケビンは、まるで若い頃のブラピという印象、しかも、日本愛が強く、真面目、しかも、お父さんはノルマンディの人であり居合道の達人、そして、ケビン自身はソムリエということで、ぼくは父親でもないのに合格点を付けたのだった。☜早っ。
御覧ください。ソムリエをやっている、ケビン君です!!! かっこええ。

滞日日記「30年ぶりに小田急線にのって、世田谷でうまいもの食べた父ちゃんの巻」

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※ ソムリエのケビンが、ぼくがボルドーワイン大使であることも知らずに、すすめてくれたのが、こちらの白、超、美味しかったです。マジで、買い!

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※ 料理もワインにあって、美味しかった。



そしたらそこに、俳優の山田純大さんがやってきて、ぼくの日記(これね)をずっと読んでいる、というではないか!
なんで、純大さんがやってきたのかというと、ケビンと仲良しなのだ。
純大さん、なんと、杉良太郎さんのご子息だということで、おおお、確かに、そっくりな顔じゃーあーりませんか。
「コロナの時期、辻さんのブログに助けられました」
その一言を言いたくて、彼はやって来た、というのであーる・ぬーぼー。
言い切ったら、いきなり帰ろうとするので、せっかくここまで来たのだから、もう少し、話しましょう、苦しゅうない、ちこうよれ、と引き留めたのだった。
コロナ禍にぼくの日記と出会い、ずっと読んでいる、というのだ、ううう、うれぴー。ブラピー。
三四郎のこととか、料理のこととか、日記を通して、ぼくのこと、よーく知っているのだった。(隠すものはないが、なんでも知られていて、ちょっと恥ずかしかった、いまさら・・・。笑)
「あの日記のおかげで、不安がいっぱいでしたが、乗り越えることが出来ました」と言われて、悪い気がするわけはない。
書いていて、正直、辛い時もあったが、書き続けてきて、よかった、と思えるのは、読者さんと出会えるこういう瞬間なのだった。
ケビンと純大さんはずっと英語で話をして、ぼくとケビンはフランス語で話をし、伊東さん家族は日本語で返事をして、すっごく国際色豊かなランチになったのだった。
「あ、時間だ。行かないと。リハーサルなんです」
ということで、下北沢にはタクシーが入れない。そこで、父ちゃん、30年ぶりくらいに小田急線にのることに・・・。でも、乗り方がわからない。
そしたら、マナちゃんが切符の買い方を教えてくれたのだった。
お兄さん、お母さん、家族総出で、改札まで見送りに!
ぼくは代々木八幡駅までの切符をマナちゃんに買ってもらい、(笑)、しかも、各駅停車の乗り場をみんなに指さされ、(なんでも、一階は急行、地下が各駅停車なのだとか)19分に電車来ます、と急かされて、階段をダッシュでおりるパリジャンなのだった。あはは。
なんとか、間に合い、小田急線に飛び乗ったが、まるで映画のワンシーンのような車内風景であった。
とりあえず、懐かしい世田谷の風景を眺めがらも、ここで青春を送ったんだよなー、と小さく感動する、父ちゃんでありました。

滞日日記「30年ぶりに小田急線にのって、世田谷でうまいもの食べた父ちゃんの巻」

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ということで、13時から、引退公演のためのリハーサルが行われたのである。
夏バテ気味の父ちゃんだが、なんとか、18時まで精一杯歌い続けることが出来た。ずっと、立って歌ったので、外反母趾がちょっと痛んだ。
でも、もう少しで引退である。
「え、辻さん、引退するんですか?」
マナちゃんが言った。
「え、あ、ま~ね、人間はいつか引退しないとならないから」
「でも、早すぎませんか?」
「いや、脂の乗りきっている最高の時に、惜しまれつつ去るのが、かっこいいんだよ」
「・・・・」(一同)
ということになった。
これも時の過ぎゆくままに、である。
とにかく、最高峰の状態で、引退を決めてやるのだ、と思った父ちゃんであった。毎日が最高峰だが、今日は確かに、最高な一日であった。

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※ 懐かしい下北沢~駅前。ボナボナペティも駅前ですが、南西口、0分のところに。

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つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
都内あちこち、移動しながら、リハーサルをやっていますが、今までにないくらい最高のコンディションです。引退にふさわしい、惜しまれつつ去る男にぴったりの、ライブが出来そうです。ここは、観ておかないと、後悔するかもしれまん。悩まず、ぜひ、お越しください。はいはいはい、えいえいおー。大阪フェスティバルホール(2700席)はまだまだお席がゴザイマス。売り切れる日が楽しみですね~。

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自分流×帝京大学

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TSUJI VILLE