JINSEI STORIES

滞仏日記「昨日なんかないし、明日さえもない。惑わされるな、ぼくは今を生きる」 Posted on 2024/06/30   

某月某日、2015年に集英社から出版された「日付変更線」という小説があり、ボルドーからのTGVの車内で、ひさしぶりに拙著に目を落とし、上巻を読み終えた。
ちょうど離婚の直後に書きだした作品だったが、ほぼ自著を読み返すことのないぼくにとって、珍しい出来事だった。ページを捲ったら、とまらなくなった。
不思議なことが、たくさん、見つかった。
まず、自分が今、人様に語り、あるいはエッセイや日記で書いていることのおよそ原石のようなことが、そこに埋蔵されていたのだった。
上下巻の作品で、原稿用紙換算枚数でどのくらいになるのだろう、上巻だけで、295ページもあった。
現在と過去が交差する複雑な物語なのだけれど、この時期、離婚があり、子育てに集中しないとならくなって、ひん死というか、かなりの崖っぷちに立たされながら、未来に苦悩し、過去に引きずられ、必死で書いた小説、ということは言えるだろう。
10年の歳月が流れ、改めて読み返すと、死生観など、今ぼくが唱えていること、時間の概念とか、超自然の力とか、そういうものへの向き合い方が、すでにその時、ある程度の形として出来上がっており、作品内に集結されている。
その小説の中に、ニックという画家がいて、この人は、恋人が去り、戦争に巻き込まれ、大変な時代を生きることになるのだけれど、彼が描こうとしていた絵の世界が、今、ぼくがまさにカンバスに描こうとしている世界ともつながる。
また、その当時、世界的な感染症(2020年のコロナだろうね)が広まることをニックが予言していたり、・・・読んでいる最中、ただごとではなかった。

滞仏日記「昨日なんかないし、明日さえもない。惑わされるな、ぼくは今を生きる」

滞仏日記「昨日なんかないし、明日さえもない。惑わされるな、ぼくは今を生きる」



物語は、現代を生きる二人のアメリカ人青年と日本人女性との間からはじまり、それはまもなく、1940年代のハワイの日系二世の若者たちのある一日へと、ずれこんでいく。
何か不思議な縁を持っている日系二世の若者たちの青春のある日、そこに日本の爆撃機による攻撃がはじまり、彼らは自分の力ではどうすることもできない過酷な世界と向き合わざるを得なくなり、つまり非情な運命の渦の中に巻き込まれていく。
それと同時に、2012年頃の世界を生きるその末裔たちの、現代の登場人物たちが、その後の世界の物語を構成しており、数十年前の世界とリンクしていく。この二つの世界の日付が、つねに捲られながら、交互にこの小説を構築していくのだ。
何人もの登場人物たちが、一人称で、ある日のある時間を語るのだけれど、それは1940年だったり、2012年だったり、でも、徐々に、物語の柱骨をしめていく。次第にパズルが埋まっていくような、時間の遊び・・・。
それが、奇妙なことだが、自分がこの文章の一つ一つ一字一字を書いたことが思い出せない、新鮮な行が次々に出現するのだけれど、それが今、まさに、ぼくが日々、誰かに、真剣に語っている哲学と一緒なのだから、驚くばかり。なんで、これ、書いた自分?
たとえば、昨日とか明日が存在しない真実の時間について、ぼくは語ることが多い。死んだことを知る人間を知らないし、生きた瞬間を記憶する人間はいないので、そもそも、人間は死なない、というのが、最近のぼくのアイロニカルな思想なのだ。
でも、少なくともぼくはこれを書いていただろう、2014年ごろに、何か、この思想に関する、革新的なヒントを得ていたのじゃないか、と思ったのだった。
それから10年ほどの年月が経って、小説ではなく、ぼくの絵の中で、その哲学は、結実していこうとしている。
変な言い方ではあるが、ぼくはカンバスに絵を描く時に下書きなどしたことがない。
いきなり、いつも筆が動きだすのだけれど、それから三日間くらいは、そこから動けなくなる。
10月のパリ、北マレでの個展は、畳一畳ほどの大きな絵が十数枚並ぶ。
小さい絵が一枚もない。
中くらいの絵さえもない。
ほんとうは、もっともっと大きな油絵を描きたいのだけれど、ぼくの持っているアトリエがどこも小さすぎて、100号以上の絵が描けない。(今は、ニックが1941年に描き上げた「四季」の世界を描くのが目下のぼくの夢・・・これはぼくが絵を描きだした大学生のころから継続されてきた夢でもあった)
でも、絵であろうと、小説であろうと、哲学であろうと、その根底には、ぼくの思想があるのだった。
その思想は、ぶれておらず、ますます、何かになりつつある、ように思えてならない。

滞仏日記「昨日なんかないし、明日さえもない。惑わされるな、ぼくは今を生きる」



なので、ぼくはもっと大きなアトリエを持たないとならない。そのためには、天井の高い画廊に作品を展示したい。画廊じゃなくてもいいのだ。巨大な壁に、飾ってみたい。
画家が絵を描く、というのじゃなくて、ぼくは絵の中に、自分の時間概念や死生観、哲学をこそ、描き切りたいのに違いない。
その、根っこのところにこの「日付変更線」という小説があって、それが、まさに、2024年の今の時代とリンクしている。それを発見できて、驚いたのだった。
すでに、わかっていたじゃん、あの日に!
日本とハワイのあいだには、およそ19時間ほどの時差があり、日本にとって、ハワイは昨日の世界になる。
ハワイにとっての日本は未来ということになっている。この日付変更線を跨ぐことで、この作品は時代を超えていく。
それは小説家であるぼくが書いたというより、ぼくの思想が生み出した作品なんだろうな、と思う。
2014年の頃はそれを文章で残したかった。でも、今は、それをカンバスに油絵具で叩きつけようとしている。
人間は生まれながらに、昨日から明日へ、過去から未来へと流れる不可逆的な時間運動の中にいると、教えられ、時計によってそうだと信じ、すりこまれ、生きてきた。しかし、実際には、今、しかない。
「日付変更線」はそれを見破ろうとした痕跡があった。
面白いことに、その当時の自分と今の自分は同じなのだった。今この瞬間の中に、過去も未来も、すべてが存在している。
明日から、下巻の検証を行う。

つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
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