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滞仏日記「価値観が一変した世界」 Posted on 2020/04/10 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ふと思いだすことがある。いつもの街かどのカフェで、ピエールやアドリアンなど地元の仲間たちと「サヴァ?」と言い合い、握手して、コーヒーなんかをすすりながら、くだらない冗談を飛ばし合っていた、あのなんでもないけどとっても幸福だった日々。外はずっと快晴が続いているので、あの日みたいに、そこへ出かけたくなるのだけど、次の瞬間、外には出られないことに気が付いて、茫然となる。終息は見えない。3月17日にはじまったロックダウンはきっと一月後か二月後、解除されるとは思う。経済が成り立たなくなるからだ。 (集中治療室へ搬送される患者の数は減少してきているので、ロックダウンの効果はじわじわ出始めており、ピークが過ぎれば死者の数も減じるはず)しかし、ある日、突然、前のような日常が戻ってくることはないのだろう。なぜなら、新型ウイルスが完全にこの世界から消え去ることはないからだ。一度、南半球へ逃げ、また冬前に北半球に戻ってくる。



きっと、カフェやレストランの在り方もロックダウン解除後はまったく違う状態になるだろう。ぼくが想像をするに、仮に営業再開が出来ても、国から様々な指導が出る。一番可能性があるのは、席との間隔。フランスはこれまで、かなりぎゅうぎゅう詰めに座席が配置されてきたけど、あのパリ名物のカフェの光景が一変するだろう。相当の間隔で座席が間引かれ、テーブルが離されることになる。そういう客数でカフェが営業出来るのか、利益を出せるのかという問題が次に出てくる。補償が終わるので、策を練らないで今まで通りにやっていれば潰れる店も出てくるだろう。クビになるギャルソンも増えるだろう。これは飲食に限らず、全ての店舗に同じようなことが言える。入場制限なども出てくるし、ロックダウンが解除されても、はいそうですか、とぼくのような用心深い人間が前みたいにデパートやマルシェやレストランに行くだろうか。贅沢をしたいと思わなくなった。高級レストランには残念だけど、かつてのような憧れが見いだせない。

一方で通販は躍進する可能性がある。金額をネットで払い、商品は玄関先に置くだけ、というのが今現在のロックダウン下のやり方で、これだと人と人が接触しないで済む。宅配サービスの仕方は変わるが、まさに、ドローン宅配などに、でも、宅配が主流になり店舗という概念はCDがなくなったように消え去るかもしれない。ロックダウン後は感染の第二派を恐れながら人々は暮らすことになり、つまり、過去のような日常は消え去り、価値観が変わるのだ。



ぼくらは休みになると、飛行機に乗って、海外に行き、買い物をして、美味しいものを食べて、記念撮影をみんなでして、プールで泳いで、クラブで夜は盛り上がって、とやって来たけど、はいそうですか、と元通りにはならないだろう。価値観が変わるのだ。

日本の感染者の増加は、2日前の日記でぼくが書いた通り、フランスの3週間ちょっと前(3月13日前後)の状態とそっくりで、イタリアの4週間後になる。あの記事を書いた後、死者数の増加はやはりまったく欧州と同じように推移している。この後、それほど遠くない時に、感染爆発が起こる可能性も否定できない。(ならないことを祈ってるけど、感染者数は急増中だ)仮に爆発しても、ドイツのようになればいいけど、実は、ドイツには感染爆発をする前にフランスの五倍の集中治療室ベッドや人工呼吸器があった。集中治療室が6床もついてる超大型病院輸送機さえ持っている。医療体制がどの国よりも出来ており、ドイツはやっぱりすごい。本物の先進国だと、思わされた。今も思っている。そして、残念ことに日本のベッド数は一番少なかったイタリアよりも少ないのだ。なので、最悪を想像すると頭が真っ白になる。ぼくのこの想像が間違えであれば、と必死で思うくらい嫌な予感がする。本来、こういうことを考えるのは政府の仕事で、それを危機管理能力という。躊躇なくやる、という日本語の使い方には毎回、悲壮感しか覚えなかった。ぼくがどんなにパリで叫んでも、うるさい、外国にいる人間は黙ってろ、と言われてきた。それでも、ぼくはここで発信し続けている。なぜなら、一人でも気が付いてくれて、その命を失わずに済む人が出るかもしれないからだ。ぼくは本当に日本を愛しているから、イタリアやスペインのような苦しみを国民に背負わせたくない。

今、ぼくがあなたに言えることは、出来る範囲で、今すぐに価値観を変えようということだ。生き残るにはそれしかない。仕事に行かなければならない人もいるだろう。満員電車に乗らないとならない人もいるだろう。でも、それは今から3週間前のフランスと変わらない。あの日、3月の初旬、フランスはまだ気が付いていなかった。ぼくも…。この新型を侮っていた。出来る範囲で、あとは自分でよく考え、行動するしかない。もはや、誰も助けられない状態が近づきつつある。これは警告でもなんでもない、ぼくが3週間前の世界から言える現実的な言葉に過ぎない。救いがあるとすれば、日本人の清潔好き、マスク好き、夏の紫外線がウイルスを死滅させるという説、BCGを受けていた国の人に死者が少ないという噂、感染例が少ないアジア人という数値、など。でも、どれもまだエビデンスがない噂に過ぎないけど、もしかすると日本は感染爆発はしても死者が伸びない要素もある。それは神頼みに近いけど、あり得る。ぼくが祈るのは、神頼みに近い祈りかもしれない。しかし、それでも、世界の価値観は変わる。

今は、生きることの意味からぼくは考え直そうとしている。

滞仏日記「価値観が一変した世界」

自分流×帝京大学