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滞仏日記「ロックダウン下のサタデーナイトフィーバー」 Posted on 2020/04/05 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、21時過ぎ、不意に通り中に大音響の音楽が響き始めた。最初はフランス人ならだれもが知る、クロードフランソワとか、ジョニーアリデーなど往年のスターの懐かしのヒットソングであった。隣のおばあちゃんや、屋根裏部屋に住んでいるおじいちゃんなんかが、顔を出し、手拍子を叩いている。うちの地区は結構ご老人が多いので、最初はそういう人たち向けの曲が数曲流された。けれどもそれはいわゆる、これからはじまる大ディスコ大会への前哨戦というのか、年配者への許可を取り付けるための、ご挨拶程度の地ならしだった。22時になると、さらにボリュームがアップし、クラブ系のダンスミュージックが爆音で垂れ流されたのである。息子が、パパ、凄いことになってるよ、とぼくに言いつけにやってきた。二人で通りに面した部屋から外を見ると、でかいスピーカーが窓辺に顔を出し、ふだんは人気のない通りのそこかしこの窓から若者たちが顔をだし、大騒ぎしている。通りを挟んで、両側の建物に住んでいる若者たちが、フランス国旗を振り回し、大フィーバーだ。一帯は野外ディスコと化した。いいね、と息子が言った。一人暮らしの隣のおばあちゃんは肩を竦めながら、ボレー(雨戸)をおろしてしまった。でも、まいいわよ、楽しみなさい、という優しい笑顔だった。

滞仏日記「ロックダウン下のサタデーナイトフィーバー」

滞仏日記「ロックダウン下のサタデーナイトフィーバー」



3月17日からはじまったフランスの全土封鎖はすでに19日間が過ぎた。遊びたい盛りの若者たちは外出をすると罰金が取られるわ、コロナは怖いわで、ストレスがマックスに達している。今日の温度は18度、しかも雲一つない快晴だった。明日は22度の予報である。本当ならば昨日からフランスは全土で春のバカンス期に突入のはずだった。けれども、マクロン政権は外出制限をさらに4月15日まで延長、噂では5月末まで伸びそうな気配で、ともかくパリは感染拡大がまだ続いており、解除の目途が立たない。エネルギーを持て余した若者たちにはとっても辛いロックダウンなのである。きっと、普段人通りの少ないこの通りだけでもこれだけの大騒ぎなのだから、今夜はパリ市全域でこういうフェットがあちこちで勃発しているはずだ。警察はきっと止めないだろう。ガス抜きをさせないと日中に彼らが外に出てしまうからだ。フランスのおじいちゃん、おばあちゃんは自分たちも若い頃に無茶をやったから、こういうフェット(お祭り騒ぎ)には結構寛大なのである。それに、今日は土曜日だ。ぼくも窓を全開にして、窓辺に椅子を持ちだし、ビールを飲みながら、踊った。懐かしい気持ちになった。新宿や渋谷で踊っていた若い頃を思い出した。バンド時代のことを思い出した。

滞仏日記「ロックダウン下のサタデーナイトフィーバー」



ぼくが通りに顔を出すと、斜め前の建物に住んでいるピエールが、
「ツジーーーーーー」
と叫んだ。おお、ピエー―――――ル!!!
「そっちどうなってんの?」
「写真、撮って送るから。こっちサイドの写真もおくってくれー」
外に出れないから、正面の建物の連中のことはわかるんだけど、同じサイドの建物のどこで盛り上がっているかが今一つ分からないのがこのロックダウンディスコの難点でもあった。ピエールがフランス国旗をふり出したので、ぼくは博多祇園山笠の扇子をふって、応じた。
「レッツ・パーティ!」
「イエス、サタデーナイトフィーバー!!」
息子も横に来て、リズムを取り出した。辻家、束の間のバカンスとなった。十年後、この光景のことをどのような環境で僕らは思い出しているだろうか。暗い時代の一陣の春風であった。それにしても、フランス人もスペイン人もイタリア人もこの底なしの陽気さが救いである。憎いのはコロナで、大騒ぎをする彼らは愛しい。早く楽しかったあの日々が戻ってきてほしい。きっと、ロックダウン前のような感じには暫く戻ることができないのだろう。ウイルスが完全に消滅することはないだろうし、これからはコロナと共に生きていかなければならなくなるのだ。そんなことを思いながら、頭上を見上げたら、綺麗な春の月が光っていた。通りを支配する大音響、そして、さわやかに流れる春の風。今日は少し羽目を外そうと思った。やっぱり、Don’t Stop Musicなんだよ。

滞仏日記「ロックダウン下のサタデーナイトフィーバー」

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