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独歩日記「孤独は好きだが、老後を思うと不安になる。一人で生きる不安と向き合った夜」 Posted on 2024/04/02 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、大きな孤独に包囲された。
ぼくが住むノルマンディの館は、築150年の古い建物で、5組の家族が各階のアパルトマンを所有している。
昨日までイースター(復活祭)だったので、1階と3階に家族がいたが、夜に、全員、パリに戻っていった。
誰もいなくなったので、不意に、静かになった。
三四郎に、おしっことうんちをさせるため、21時に散歩に出た。
イースターが終わったので、村は、静寂に包まれていた。
門を開け、建物の大きなドアをあけ、中に入り、暗い廊下を最上階まで登った。
けっこう、きつい・・・。
しかも、ちょうど、電気が壊れており、真っ暗な階段だった。
窓の外がぼやけて見える。小さな村なので、ぽつん、ぽつんと遠くに家の明かり、もしかしたら、街灯が見えたが、霞んでいる・・・。
一人暮らしにはもう慣れているぼくだけれど、階段の途中で三四郎を抱えたまま、ちょっと、この先の人生を考え、登ってきた道のりを振り返ってしまった。
なにかものすごく大きな漠然とした不安に襲われた。
この先も、ぼくはずっと一人で生きていくのであろうか。

そして、孤独はまだ、ぼくの、友だちなのか・・・。

独歩日記「孤独は好きだが、老後を思うと不安になる。一人で生きる不安と向き合った夜」



友だちやスタッフには恵まれて、このフランスでなんとか生きてはいるけれど、突発性難聴も抱え、足もいつか手術しないとならないかもしれないし、言葉にしたくないけれど、間違いなく、老後が近づいているし、人生の終焉に向かっているわけだし、三四郎を抱えて、この階段の上り下りは、きつくなるいっぽうだ。足が痛い・・・。
普段は平気なのだけれど、なぜか、気弱になってしまった。
もう、若くないのだ、と自分に言い聞かせた。
その夜、悪夢にうなされて、目が覚めてしまった。
トイレに起きて、窓の外をしばらく眺めた。
灯りのついた家はなかった。
パリじゃないので、夜中に起きている人など誰もいない。
こんな孤独な場所で、ずっとぼくは生きていけるのだろうか。
宇宙で独りぼっちになったような気持ちに見舞われた。
今まで、孤独はずっと友だちだと思っていたが、今は怖さを連れてくる悪魔みたいだ。
多分、足が痛むので、弱気になり、そこからこういう考えが強くなったのかもしれない。
64歳だったことを思い出した。そうだ、忘れていた・・・。
人生に失敗したのだろうか、と思った。

独歩日記「孤独は好きだが、老後を思うと不安になる。一人で生きる不安と向き合った夜」



孤独でいいのだけれど、現実問題、一人でどこまで生きていけるだろう。
この状況が、ぼくに漠然とした不安を投げつけているのである。
三四郎は自分のベッドで寝ていた。
寒かったので、毛布をかけてやったが、起きることはなかった。
一日に三回、三四郎を抱えて階段を上り下りしないとならないのだが、不意に足が痛くなって、それが将来的に難しいかもしれなくなった。
このアパルトマンではこの先、暮らしていけない、と思ったら、不安に追い打ちをかけてきた。
健康じゃないと孤独も敵になりかねない。
この足じゃ、ランニングもできない。
さて、これは考えないといけない。
パソコンをとりだし、ぼくは、今、これを書きだした。
書くことで、自分の今をきちんと把握することができるからだ。
窓外の微かな光を眺めて、夜があけるのを、待つことにした。

独歩日記「孤独は好きだが、老後を思うと不安になる。一人で生きる不安と向き合った夜」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
ま、ちょっと、長い夜でした。今、うっすらと開け始めています。太陽がのぼったら、動画の配信をするために、海まで三四郎と行こうと思っていますが、ちょっと風が強いですね。どうしようかな。人生というのはまことに長すぎます。熱血で生きているぼくだけれど、今日は、かなり、弱気なので、疲れました。そんな日もありますね。なんとかします。ええ、人間ですから、なんとかできると、思っています。

独歩日記「孤独は好きだが、老後を思うと不安になる。一人で生きる不安と向き合った夜」



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