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滞仏日記「助けてください、と昨日は知り合いに弱音を吐いたが、今日は少しだけ前進をした」 Posted on 2024/01/11 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、昨日、知り合いに「助けてください」とメールした。
厄介な問題があって、ノイローゼ気味になっている。ひどくならないよう、心を整えて、今日を迎えた。なんとか今日をいい日にしなきゃ、と思って、目覚めたのだ。(詳しいことは言えません)
そんなわけで、ぼくは会社員ではないから、明日がどうなるか、わからないような人生というものを、もうずっと、生き続けてきた。
一度も、お給料というものを貰ったことがない。
ボーナスも、一度も貰ったことがない。
なので、タイムカードというのを知らない。
タイムカード、打つの、あこがれた時期があったっけ。
社員証とか持ったことないし、それよりも何よりも名刺がない。
「すいません。ぼく、名刺がないんです」
毎回、名刺を頂くたびに、そう言い訳をすると、
「いえいえ、辻さんはもっちゃだめです」
と言われるのだった。あはは。
よく、この年齢まで、たったの一度も組織に入らないで、生きてこれたと思う。
不安はなかった、と言えばウソになるけれど、「助けてください」と言ったことはない。

滞仏日記「助けてください、と昨日は知り合いに弱音を吐いたが、今日は少しだけ前進をした」

※ 辻家も、クリスマスツリーを地下室に片づけました。

滞仏日記「助けてください、と昨日は知り合いに弱音を吐いたが、今日は少しだけ前進をした」



先日、dancyu(だんちゅー)の植野編集長から、「定年なので編集長をやめることになりました」と連絡がきた。
会社員なので、いつかは、そういう日が来ると思っていたが、ついに、来たか・・・。
植野さんとは「だんちゅーでござる」というお笑い料理ユニットを結成しているのだけれど、相方の肩書が消えた、ということである。ショックだ。
で、出版界というのは弱肉強食の世界で、普通、編集長がかわると連載は呆気なく終わる。
今まで、100%、そうだった。女性自身の連載も、編集長がかわり、10年も続いたのに、一瞬の幕切れとなった。
dancyuは大好きな雑誌だったので、がっかりしていたら、「辻さんの連載はぼくが今後も担当をしますからご安心ください」と、続いて連絡があった。
マジか。定年なのに???
(ちなみに、編集長がずっとぼくの担当をし続けた雑誌も他に経験がない)
で、植野さん、どうやら、出世したみたい。ふー、そうなんだ。
そこで、今日、来月号のエッセイを書いて、送ったのだが、いつもなら、植野編集長様、とメールをするところを、今日から、普通の「植野さん」になっちまったぜ。
普通の植野さんでも、大好きでーす。

滞仏日記「助けてください、と昨日は知り合いに弱音を吐いたが、今日は少しだけ前進をした」

※ お笑い料理ユニット、「だんちゅーでござる」、肩書が、植野編集マンに・・・。



ともかく、ぼくには肩書がないので、植野さんに「ぼくも会社の肩書がほしい」とメッセージを送ったら、
「辻さん、辻さんは、dancyu食いしん坊クラブの名誉顧問じゃないですか」
と返された。へ、いつの間に。
「じゃあ、名刺、作ってください。お願いします」
と送り返したが、それに関しての返事はない。
しまちゃんの会社も大きいのだけれど、毎月、ZOOM会議もやって、いろいろとアイデアだしてあげているが、顧問、の話しは一度も来ない。
ぼくだって、天下りがしたい。みんな、天下り、したいよね? でも、ぼくのような明日もわからないような人間に、天下りの先はない。あはは。不公平な世界だの~。
とある業界に、天下りしてきた人がいて、このあいだ、会ったのだけれど、なんにも、知らないので、びっくりした。
誰とは言わないけれど、甘い下り、であった。それでいいのか、ジャパン!
ぼくなんか、還暦を過ぎても、世間の端っこで、「熱血~」とか叫んで、毎日、依頼されたエッセイとか書いて、ライブやって、日銭稼いで頑張って生きている。
くー、熱血~。

滞仏日記「助けてください、と昨日は知り合いに弱音を吐いたが、今日は少しだけ前進をした」

※ 今日は心が折れていたのだけれど・・・。



今日、オランピア劇場ライブのプロモーターをやったベルトランとお茶をした。
「実はね、ぼくアンプの修理会社を買ったんだ」
と言い出した。マジか。アンプ?
「ギターアンプの修理をする会社だよ」
「そんなの需要あるの?」
フランスの有名なミュージシャンたちの名前を列挙して、顧客、と言っていた。ジョニー・アリデイのギターリストが常連なんだ。従業員は一人なんだって。
「でも、CEOじゃん」
「え。あ、まあね。そうなるかな」
まんざらでもないような笑顔、いつものベルトランだった。もちろん、プロモーターとの二足の草鞋ということになる。
ということで、会社員を経験したことない、父ちゃんだが、6月30日に再び、パリ公演が決定した。
ベルトランとその場で、決めた。あいつ、顔が広い、電話一本で決めたのだ。
昨年の5月30日からおよそ一年ぶりにパリでの公演ができることになった。
大きな会場ではないが、ロンドンからギタリストのヒデを招いて、ツイン・ギターでライブをやる。アコースティック・大和魂ワールドで、フランス人の度肝を抜いてやる!
実は、その前にボルドーのワインシャトーでのライブが決まりかけていたので、直後に、パリでやって、その足で、リヨンでもやれないか、という話しの展開になりつつある。
ぼくは自分の人生を少しずつ、こうやって前進させるのが、実は仕事なのだ。前進マン。
毎日、何か少しずつ、熱血で前進をしている。
天下りがないので、ぼくは死ぬまで日銭を稼ぐように、逆に、毎日を切に生きてやる。
魂は売らない。

滞仏日記「助けてください、と昨日は知り合いに弱音を吐いたが、今日は少しだけ前進をした」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
むかし、3歩進んで2歩下がる、という歌があって、計算の苦手な父ちゃんですが、あ、結局、一歩は進んでるじゃん、素晴らしい歌詞だ、と感動したことがありました。ぼくの人生は、毎日が面白いの連続です。もっとも、「助けてください」もたまに、ついてきますし、落ち込むこともあるし、厄介もふりかかってきますが、それでも、ピュアに、前に進んでいきたい、と思うのです。熱血~。

滞仏日記「助けてください、と昨日は知り合いに弱音を吐いたが、今日は少しだけ前進をした」



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