JINSEI STORIES
滞仏日記「シングル歴10年の父ちゃん、愛とか恋についてクールに語りき」 Posted on 2024/01/07 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、愛とか恋とか、そういう言葉をかつてはよく曲名にしていたのだ。
しかし、いろいろと、打ちのめされた人間は、なにげに用心深くなるものである。あはは。
いきなり、ストレートな書きだし、で、驚かれたかもしれないが、若い頃は「恋に落ちる」ということを、楽しんでいたように、思い出すことができる。
恋の多い人と、恋の少ない人がいるようだが、かつての父ちゃんは恋多き男であった。
長い年月が流れ、離婚とかがあって、子育てがあって、へとへとになり、親の介護のこともあり、人生に終わりが見えてきた今、恋、というものへのあこがれも期待も、そうとうに、薄まった。
ゼロとは言わないが、恋に落ちるには、再び上るための力が必要なので、なかなか、どうして、腰が持ち上がらない。
ということを、今更だが、やっと理解することができた、還暦過ぎのおやじであった。
自虐的な話なので、この辺で、読者の皆さんは、くすくす、とほほ笑んでおられることであろう、しょせん、人のことなので、笑えばよい、ふふふ。
でも、年齢的なこともあり、恋焦がれるとか、恋に落ちる、とか、一生を投げ出してもいいようなものは、もう、なかなか、ありえない年頃になった。
来年から、いや、今年から、年金が支給されようかという年齢なのである。たいした額じゃないけれど、フランス政府から支給される。長く生きたものである。
ある意味、ゴールも近く、恋に落ちてる暇はないのだった。あはは。
でも、人間なので、人のやさしさとか思いやりというものから完全に遠ざかり、仙人のような暮らしもできない・・・。
カフェで、ママ友とそういう話になった。
「ねー、若い頃は無謀だったわー」
とマダム・オディールが言った。
息子のクラスの友人のお母さんで、同じ年。
ご主人とも面識はあるが、付き合いはない。
「ひとなりさんは、恋とか、どうなの?」
「恋ね、めんどうくさいけれど、そういうものが出現したら、その時に、悩むかな」
ちなみに、フランスに「恋」という単語は存在しない。
「愛」はアムールである。
恋と愛の違いを厳密に区分けしている日本語のなんと広がりのあることか。
「そうよね。めんどうくさいわよね。わかる。恋は体力だもの」
オディールが言うものを「恋」と訳したのはぼくで、オディールは出会いがしらの「愛」について語っているのだった。
その話の前後の流れから推察し、ぼくはそれを「恋」と受け取った。
「でも、ひとなり、ずっと、恋人がいない状態でいいわけ?」
なぜか、しかし、不思議なことに、「恋人」という単語はあるのだ。
コピンヌ、というと、恋人、のことを指す。
「よくわないけれど、こればっかりは相手次第だし」
「誰かいるでしょ?」
「いや、優しくしてくれる人はいるけれど、恋に落ちるようなものはない。ぼくはね、オディール、どうも、結婚とか、マジで、むかないみたい。やっぱ、普通じゃないじゃん」
オディールが笑った。
「離婚から何年?」
「10年かな」
「10年もひとり、どうしてるの? 寂しくないの?」
ぼくは足元を見た。ギャルソンがやってきて、
「やあ、エリック」
と言った。
なんでか知らないのだが、ここのカフェでは、三四郎はみんなにエリックと呼ばれている。「フランス生まれなんだから、フランスの名前をつけるべきだ」と、ここの給仕長が命名したのだった。
余計なお世話だけれど、三四郎が愛されている証拠でもある。
「コーヒー、おかわり」
「ご主人とはお互い初婚なの?」
「いいえ、お互い、何度か」
「あ、そうなんだ。ま、でも、今はいい感じなんでしょ?」
「まあね。まあまあ」
笑った。
「ひとなり、誰か探しなさいよ」
「疲れるでしょ」
「もう、それがダメよ」
「でも、十年後の恋、という小説を書いたんだ」
「へー、面白そうね」
「十年、恋をしなかった女性が主人公で、彼女の前に、ちょっと不思議なムッシュが現れる」
「なるほど。興味津々。どうなるの?」
「二度と恋はしないと思っていたその主人公、まだ子育ての途中なんだけれど、ひと段落はしていて、物語ははじまるのね。で、こういう自分が、そういう状態になったら、どうするのかなァ、と想像しながら、主人公は女性だけれど、ぼくの中にある女性力をフル動員させて、書いてみた」
「さすが、作家。で、それはハピーエンド? それとも?」
「それは、読んだらわかる、しかけ」
オディールが笑った。ぼくもほほ笑んだ。ハッピーエンドって、なに???
ギャルソンが、エリックこと三四郎のために、水を持ってきてくれた。のどが渇いていたさんちゃん、いっぱい、飲んでいた。
ぼくとオディールは、 息子たちの話をして、別れることに・・・。
カフェを出たところの大通りで、もちろん、ぼくらはビズをした。
遠ざかるオディールの後ろ姿を見つめていた。彼女、まったく、同じ年の同じ月に生まれているのだ。
でも、背筋を伸ばして、まだ、おばあさんではなかった。ぜんぜん、女、であった。
人生はいろいろ、ある。
オディールは行きかう人々の中へと、まもなく、消えた。
たくさんの人間たち、ひとりひとりに、愛の物語がある。
その次の瞬間、ぼくは新しい小説のヒントを見つけた、気がした。
つづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
そうですね、離婚から長い年月が流れました。恋愛くらいしたいんですけど、恋とか、そういうのに立ち向かえる力が、あまり残ってない、というのは事実で、笑、たとえば、すれ違う若いカップルとかを見ていると、この子たちの先行きがいろいろと想像できちゃって、思わず、うなずいている、黄昏の紳士なのでした~。あはは。足元で、三四郎が、かえろうよ、と言っておりました。そうだね、おうちに、帰ろうね。
さて、お知らせです。
ロンドン公演、4月19日に決定しておりました。英国在住のHIDEと2Gz(ツージーズ)というビージーズみたいな名前のユニットを英国限定で結成しました。月曜日に、チケット発売になりますので、また、報告しますが、HIDE君と今年は、アコースティックユニットを組んで英国国内など、あちこちに出没したい、と希望しております。熱血~。
現在、決まっており、父ちゃんのスケジュール帖に記載されたものは、
1月19日、「十年後の恋」文庫版、発売日。
2月28日からの新宿・伊勢丹アートギャラリーでの個展、
3月3日、両国国技館、ギタージャンボリー、出演、
3月6日、ツジビル・ライブ、二回公演。(売り切れ)
4月19日、ロンドン、ウオーターラッツでの公演、
となっています。