JINSEI STORIES
滞伊日記「ローマの遺跡の前で、父ちゃんの創作物を発掘した、父ちゃんであった。笑」 Posted on 2023/12/29 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日は三四郎とローマ市内を再び歩き回っていた父ちゃんであったが、たまたま、本屋さんを発見したのだった。
イタリアでは秋に「東京デシベル」(Rizzoli社刊)が発売されていたので、もしかすると、まだあるかもしれないなァ、いや、あるわけないか、などと思いながら入店・・・。
店内、かなり広いので、こりゃあ、期待できないな、と苦笑して帰ろうと思っていると、男性の店員さんと目が合った。
「何か、お探しですか?」
とイタリア語できかれたので、
「いや、その」
としどろもどろになっていると、なんと、目の前の平積みのコーナーに自ら発見、あはは。
「あ、これです」
「ああ、それね。イタリア語の本ですが」
おお、目の前にあったが、小さくて、わからんかった。
※ あああ、あった。しかも、ちょっとだけ、他のより、少なくない? あはは。こんな小さなことで、うれしいおバカな父ちゃん・・・。でも、うれしいよね~。
「あ、いや、これ、書いたの、ぼく」
と冗談のように告げると、ムッシュの目が丸くなって、
「この小説の作者? なんですって」
となった。(普通、疑うのだけれど、この書店員さん、一秒で信じてくれたのだ)
別に、パスポート提示するわけでもないので、ウソでしょ、とか言われるのが普通でしょ?
なのに、書店員さん、あの、失礼ですが、これ、サインしてもらえますか? と一冊、掴んで差し出されたのであった。
うっそーん、げげげ、
マジかよー、うれぴー。
で、一秒で、うれしくなった、単純な父ちゃんなのであった。
だって、つまり、買ってくれる、ということでしょ? 違うのかな?
「いいんですか? 」
彼はぼくの本をしげしげと見つめ、
「ああ、あなたの、前の作品、知ってますよ? 」
というようなやりとりが続いたのだった。
どうやら、「白仏」というイタリアで最初に出た本を、知っていたようである。
本好きな書店員さんなのだ。腕に、愛、という漢字、発見・・・。日本好き、決定!
「この人、東京デシベルの作者だって」
と別の店員さんに、説明していた。
「え、そうなの~」
みたいな、やりとりがあって、なんと、店員さんたちの前で、いきなり、サイン会が始まったのであーる。
あはは。びっくりするわー。生きているといろんなことがあるね。ここ、たまたまやってきた、ローマなのである。
でも、いい宣伝になった。まずは、書店員さんから広めないと、だよね・・・。
来て、よかった~。
書店員のファブリオさんにローマでのもっとも大切な読者さんになってもらいたい。(ローマ人にサインしたの、はじめてだもーん)
東京デシベルは、芥川賞をとる直前の作品で、最初は「音の地図」というタイトルで月刊「新潮」に掲載された。
当時の編集長、坂本忠雄さんがぼくの担当であった。
(最近知ったのだけれど)お亡くなりになられていた。ぼくにとっては先生のような文学を教えてくださった人物であった。
そして、「東京デシベル」はその年の三島由紀夫賞の候補作になった。
出版時に、改題し、今は、「東京デシベル」となり、文春文庫から、出ていたはずだけれど、・・・。
趣味で音の地図を作る区役所の男性が主人公で、映画化した。
今頃、なんでイタリアで、出版されたのか、その経緯については、わからない。
このRizzoli社では、去年、「UOVA」という小説(日本では、エッグマン)が発売されたばかり・・・。
イタリアは近いけれど、数年前に、ボローニャの大学に招かれて講演会をやったくらいで、文学シーンとの付き合いはない。
でも、ローマ、好きになったから、もう少し、イタリアの文化にも触れてみたい。
それに、最近のぼくは絵ばかり描いているので、小説の筆がとまっているからね、新作はいつ出ますか、と言われるのが実はちょっと辛い・・・。
パリに戻ったら、新しい小説の執筆にとりかからなくっちゃいけないが、焦らないように、できるだけ時間を稼いで、満を持して、世に、出したいね。
死ぬ前までには・・・。あはは。
自分の本を買おうと思っていたけれど、そこそこ、減っていたので(ありがたいね~)、それは新しい読者の方のために残して、書店を後にした父ちゃんであった。
もう少し、書店の人たちと話したかったけれど、イタリア語は、ぜんぜん、わからない。
なので、すぐそばにあるカフェに入り、テラス席で、スケッチブックをとりだし、絵を描いた。
目の前が遺跡なのだった。(フォロロマーノではない)
絵がいいのは、うまいとか下手とかじゃなく、感じたものをそのまま、線とか色で、描写できる点かな~。
ぼくは、クーポラが好きでね。
ローマはいたるところにクーポラがあるので、うれしくなるのだ。きっと、言葉に疲れているのであろうのォ。
昔は、絵よりも詩を書いていた。
風景を見つめ、行きかう人々を眺め、何か感じとると、そこから言葉の糸を引っ張り出し、タペストリーの綴れ織りみたいに、言葉で模様を描いたりするの、好きだったなァ。
その詩の断片が、長編になって、小説が生まれた。
しかし、小さな単語であろうと、やがて、言葉が主張し始める時があって、たぶん、これは長く言葉と付き合いすぎたからだろうか、そうなると、生じる意味に辟易とすることもある。
なので、今は水彩画とか、ペン画、油絵を楽しんでいる。
その方が、今は、意味から、自由になれるのだ。
つづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
ちょっとスパゲッティを食べ過ぎたので、そろそろ、日本食が恋しい、父ちゃんであります。その本屋さんの裏手に、「しろ屋」という和食屋を見つけたので、10分くらい悩みましたが、ここは頑張ってパスタで貫こうと決めたのでした。しろ屋さん、ぜひ、次回に!
さて、お知らせです。
2月28日から新宿・伊勢丹のアートギャラリーで、初個展。
3月3日、ギタージャンボリーに出演。
3月6日、ツジビル祭り「梅は咲いたか、桜はまだかいな」、都内ライブハウスにて、二回公演。
4月19日、ロンドンでライブ。