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第六感日記「起きているのに非現実的な体験をすることあります? デイドリーム」 Posted on 2023/12/23 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、朝、起きて、携帯を覗くと、見覚えのない写真が何枚も存在していた。
で、その光景は、夢の中で見たものだったりする。
「これ、夢の中で見た雲間の月じゃないか」
もっとも、そういう記憶にない記憶をもとに、ぼくは絵を描いてきたし、小説なども、その記憶がヒントになっている場合が多い。
こういうのを説明するのがとっても難しいのだけれど、頻繁にあるので、どう説明していいのか、作家なのに、難しくって・・・。
夢の中で、あまりに幻想的な月を見ていたのだが、その、ぼくの横にはかつての担当編集者だった男性が立っていた。名前はあえて、言わないことにする。
でも、それは夢の中のことなのに、朝、起きて携帯の中に、その時に見ていた月が残されていて、これには、驚いた。
まただ、これ、どうやって、撮影したんだ? 説明してくれよ。
そういえば、夢の中で、この景色、見ていたよな、で、写真、撮ってたじゃんか、と思い出すのだった。
自分が心配になるけれど、怖い、とは思わない。よくあることだから・・・。

第六感日記「起きているのに非現実的な体験をすることあります? デイドリーム」



で、その月をぼくと一緒に見ていた男性がいた。
たぶん、ぼくの元担当編集者だった、仲良しだった男性なのだけれど、その人は何か言いたげにぼくの横にいたような気がする、今となっては・・・。
でも、途中で気が付く、
「あれ、・・さん、もう、死んでましたよね? 」
ぼくは独り言のように、呟くのだけど、そうするとその人はちょっと悲しい顔になって、見上げていたのに、不意に頭部を落とし、足元を見て、目を閉じるのだった。
夢の続きはよくわからないが、朝、起きて携帯の中の写真を発見し、びっくりしたぼくは、共通の知り合いがいたことを思い出し、その同僚だった人にメールをしたら、
「辻さん、昨日が、命日なんですよ」
って、戻ってきた。
ぼくは、ああ、やっぱり、と思って、納得するのだけれど、怖い、というのとは違う。
そうだろうな、と思ったのに過ぎなかった。
でも、何を言いに来たのだろう、・・・。
最近、ぼくは小説を書いておらず、絵ばかり描いているから、心配になって、出てきたのかもしれない。まさか。
で、今日、ぼくが事務所のサロンのソファに座って、窓外を見ていた時のことだ。

第六感日記「起きているのに非現実的な体験をすることあります? デイドリーム」



第六感日記「起きているのに非現実的な体験をすることあります? デイドリーム」

「辻さん」
という声がして、驚いて振り返ると、その編集者さんともう一人見覚えのある人が立っていて、でも、それがだれか、最初は、わからなかったのだけれど、まただ、と思って、ぼくは立ち上がり、二人と向き合ったのである。日中なのに?
そう、昼間のことなので、でも、二人とも死んでいる人なので、これは白昼夢に違いない、と分析したのである。
思い出した、もう一人の人は表現者で、そうだった、その人も死んだんだ。
二人は何も言わず、そこから出て行ったので、ぼくは彼らの後ろを追いかけた。何か、とっても非現実的な行動だった。
なぜか、というとぼくはいつの間にか、着替えているし、三四郎はいないし、ドアをあけると見覚えのない階段があって、らせん階段で、たんたんと白黒映画のように登っていくその二人を追いかけていたのだ。
おかしい、こと、つまり非現実的な状態だ、ということはわかっている。ついに、頭の中で異変が起きているのかもしれない、と考えながら、薄暗い階段を上っていくと、らせんの先なのに、耳の鼓膜の近くで、ラップ現象のような、パン、という音がはじけた。
次の瞬間、何か光の明滅のようなものがおこって、ぼくは白昼夢から覚め、カンバスの前に座っているという具合なのだ。目の前に、新しい絵が描きあがっている。
数時間が奪われ、新しい絵が、不意に出現をする、これが、よく起こる。
こういう風に書くと、「辻さん、あたま、大丈夫ですか」と言われてもしょうがないのだけれど、実は、ぼくが伊勢丹に提出した38点の作品は、そのどれもが、この手法で、世に捻り出てきたものばかりなのである。
大きな仏像の絵がある。でも、それは本当に描いたときの記憶がない。
その絵を描く直前に見た白昼夢が、黒い仏だったことだけ、覚えていて、その昼間の夢から覚めると、数時間が消滅しており、かわりに、新しい絵が出現している、ということになるのだった。
自分が描いたものなのだろう、TSUJI、とすでにカンバスの端にサインもなされている。
しかも、ぼくはパレットナイフを持っているし、その絵の前に座っていたのだから・・・。

第六感日記「起きているのに非現実的な体験をすることあります? デイドリーム」

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信じてほしくて、書いているわけでもない。
小説も、絵も、詩も、だいたい、こうやっていつも生まれるのだ。
作品が、小説から絵にかわっただけで、手法は一緒。
だから、ぼくの絵画は、意図がない、けれども、夢の中のことや、白昼夢で見た非現実体験がそのまま作品になっている。
見たこともない、金色の扉が、夢の中に出現することが多い。これを開けなきゃ、と思っていると、いつも夢がさめる。

つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
三四郎もいつも「寝言」を言ってます。覗きに行くと、一生懸命、前脚を動かしています。寝ているのに、前脚だけが、地面をけっているんです。犬は一日、17時間くらい寝ます。起きている時間の方が短いので、彼がどんな夢を見ているのか、想像もできませんが、人間だけじゃないんですよ、夢を見るのは・・・。
伊勢丹アートギャラリーの個展、実に不思議な絵ばかりですから、ぼくが夢の中で体験した非現実的な世界がそのまま、描かれています。まるで長編小説のように、でも、それらは全部連なりを持っている、失われた記憶の中で、連鎖をおこしています。
お楽しみに。

第六感日記「起きているのに非現実的な体験をすることあります? デイドリーム」

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自分流×帝京大学