JINSEI STORIES
滞仏日記「これは差別か? ユーモアか? それとも?」 Posted on 2020/03/10 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、近くのスーパーに買い物に行った。レジでお会計をした。顔見知りの店員たちが全員、白いビニールの手袋をしていたので、あれ、ついに手袋はめるようになったの、と微笑みながら言ったら、その兄ちゃんが、「君たちがウイルスを持ってきたから身を守るためしゃーないんすよ」と笑いながら言った。それはジョークにもとれるし、差別にもとれる、微妙なブラックユーモアだったけど、ずらりと並んだフランス人客の視線をぼくは浴びることになった。
これが一月の末のことであれば「ちゃうちゃう、ぼく日本人だから」と言い返せたのだけど、3月初旬の今は日本人も間違いなく感染源グループに所属している。こういう時は店員と一緒に大笑いをして、ごまかすしかない。日本がPCR検査を積極的にしてないことはここフランスでも知れ渡っている。笑って誤魔化しつつも、誤魔化せない感じになってしまった。でも、「ほんとうかどうか確かめられないけど、日本人の死者は現在16人なんだけど、イタリアは450人を越えてる。すでにフランスの感染者は1400人超で、死亡者25人、日本よりもぜんぜん多いし」と小さく言い返したら、その店員が「日本の数字はかなり怪しいんじゃないの」と言った。すると、ぼくの後ろの人がイタリア人で、「ぼくミラノから来たんだけど、この会話に参加していいの?」と流暢なフランス語で言い出した。その瞬間、その人の後ろの人が踵を返し、買おうとしていた野菜をもとの棚に戻して、出て行ってしまった。
「ミラノ、大変ですね。でも、封鎖されているのに。どうしてここにいるんですか?」と訊き返すと「実は二月半ばに仕事でパリに入ったのだけど、そしたらコロナがちょうど酷くなって、まずコドーニョ周辺が封鎖され、ミラノの本社から今はパリ支店で働けと指示が出て、戻れなくなったんですよ。ところが結局、一昨日北イタリア全域が封鎖、4月3日までは確実に戻れなくなって」と言い出した。同じような人が僕の知り合いにもいる。というのはミラノとパリは、感覚的には大阪と東京くらい近いし、ウイークデイはミラノで働き、週末パリの実家で過ごすフランス人もいる。ビジネスの交流はかなり頻繁なのである。なので、横にいるミラノ人に対し、同情しつつもこういう時期だからなんとなく警戒をしてしまった。すると今度はジョーク好きの店員が、「ほらね、僕のような仕事は誰とどういうタイミングで接触するか分からないんだから、手袋をしないとならないんですよ。これは差別じゃなく、自衛措置なんだ。皆さんの気分を害したくないからさ、ストレートなジョークでごまかしているんだよ。日本人も、イタリア人も、中国人も、イラン人も怖い。今はフランス人だって怖い。何人かじゃなく、みんな怖いんだ。ムッシュの言う通り、フランスはすでに25人も死んでます。俺にだって、わかることだ。このような状態で何をすべきか、それは明白でしょ、手袋をすること。握手をしないこと。手を小まめに洗うことなんです」
イタリア人の後ろに並んでいたフランス人たちが頷いていた。「お互い、身を守ろう」とぼくが言うと、後ろのイタリア人が「ああ、いつか、ここでまた皆さんと笑顔で再会できることを楽しみにしています」と言ったので、ぼくは商品を鞄に入れて、「アリベデルチ」と言った。するとその人は「さよなら」と不思議なアクセントの日本語で返してきた。
※ この日記を書いている途中に、「イタリア、全土で封鎖が拡大」というニュースが飛び込んできました。このイタリア人はいつ、国に帰れるのでしょう…