JINSEI STORIES
滞仏日記「父と子の餃子ライス。もしくは心の調律」 Posted on 2020/03/08 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、息子は低血圧なのだ、朝は、ほぼ返事がかえってこない。もちろん、いい奴なので、心の中では「おはよう」と言っているに違いないのだけれど…。夕飯時も平日は返事が即座に戻ってくることはない。ご飯を食べている時に、今日はどうだった、と訊くと、うん、と戻ってくるだけ。でも、別に反抗期だからとかそういうことじゃない。単に、疲れているのだろうし、そもそも今話し合わないとならないことがないだけかもしれない。だから、ぼくもそれ以上、訊き返すことをしない。食べ終わると息子は「ごちそうさま」と言って自分の食器を片付け、部屋にこもる。16歳という年齢から考えると普通の行動だ。
ところがウイークエンドになると一変する。学校がないから、心の余裕が出るのかもしれない。平日より饒舌になっている。なので、親子の交流は土曜日のランチというのがいつの頃からか辻家の決まり事となった。息子が話しやすい環境を作るため、ぼくは彼の好物の餃子を作ることにした。ということで今日のランチは餃子ライスである。餃子がなくなるまで話しが出来るよう、ぼくは餃子を百個拵えることになる。
ぼくたちは餃子を頬張りながら、餃子がなくなるまで、様々なことについて話し合った。ケベックのおじいちゃんシェフのYouTube番組を一緒に観ながら、料理をすることの大切さから、命の尊さにまで話が及んだ。彼は生物学の授業の一環で昨日農場を見学したばかり。牛が5歳になるまでに出荷されるということを学んだ。それでぼくは包丁の使い方や肉の切り方を教えた。つまり余さず命を食べることの大切さを教えた。ウイリアムは料理が上手だと言い出し、自分も料理がうまくなりたいと言うので、命への感謝があり、家族を大切に思えば自然と料理の腕前はあがる、と教えた。ウイリアムがこの秋から違う学校に移ることになった、と息子が寂しそうに語った。目標を持ったらそれに合わせて学校を変えるのは当然だ、でも君はまだ目標がないので、今の学校でいいのじゃないか、と言っておいた。息子は自分の将来について力説をし、ぼくは餃子を食べながら黙って聞いた。将来の人生設計の話しにはじまり、過去、現在、未来という時間の流れについて話が脱線した。ぼくは時間という概念への持論を展開した。息子は微笑みながら、うすうす分かっている、と言い出した。ウイリアムは未来に生きている。イワンは過去にこだわっている。ぼくは現在の中に過去と未来があることを知ってるんだ、と彼が偉そうに言ったので、時間というのは和解だよ、と告げた。和解という日本語が難しかったので二人の会話は中断した。息子が携帯のグーグル翻訳で検索をし、それが「Réconciliation」であることを突き止めた。僕らは親子だけど、時々翻訳機が必要になる。でも、いつも最後は言語を乗り越え、本当に不思議なことだが、話しがきちんと通じている。そこは親子だからであろう。和解という単語から、21世紀を構成する世界の仕組みについて話が膨らんだ。息子がちょっと世界の現状にうんざりしていると呟いたので、そこからは経済や政治の話しに及んだ。日本やフランスだけに留まらず、欧州やアジア、アメリカで何が起こっているかを話し合った。もちろん、答えのない議論である。噛み合わない議論でも、続けていることが大事だ、と教えた。思想や主義やポリシーやイデオロギーは人それぞれで、相手の人格を即座に否定するような、頭ごなしのファシズムはよくない、とだけ言っておいた。それだけはよくわかるよ、と息子が言った。その時、皿の上に、最後の餃子が一つ残ったので、ぼくは快く息子に譲ることにした。
「パパ、ギターのチューニングを教えてくれないかな」
と息子が言い出したので、食器を片付けてから息子の部屋に行き、ギターのチューニングの仕方を教えた。ぼくが何十年も変わらずにやり続けてきた方法であった。チューニングできてないギターは不協和音を奏でて気持ち悪いんだ、とぼくは告げた。この世界に今、大事なことは調和なんだよ。