JINSEI STORIES

滞仏日記「俺の妻は小太りで目尻に笑い皺があり、聞き上手なのであーる。あはは」 Posted on 2023/11/29 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子が帰ってから、ちょっと寂しい父ちゃんなのであった。
日本から来た人に「しらす」と「菜の花」(季節じゃないのに、すごいね)をいただいたので、しらすと菜の花のオイルパスタを作って食べた、父ちゃんであった。
めっちゃおいしいけれど、息子ロス、な静寂の火曜日。しーん。
子育てをしていた頃は、あんなに大変だったが、やっと卒業だ、これで自由になれる、と思ったのもつかの間、目の前にそびえる老後の壁を前に、ため息をついている。
「老後なんて、まだ早いですよ、辻さん」と声が聞こえてきそうだが、若作りをしている父ちゃんにも忍び寄る老いのかげが・・・。
まだ、髪の毛は染めてないし、メガネもかけないでなんとかやれておるが、老化らしきものが、じわじわと、はじまっているのがわかる。
小じわも目立つようになった。
オイルパスタ、死ぬほどうまいのに、全部食べ切れないのだった。
でも、これが、お酒だけは量が増えておるのであーる。
ということで、食後、明かりもつけずに、暗いサロンで、ウイスキー、ぺろぺろ。
えへへ。

滞仏日記「俺の妻は小太りで目尻に笑い皺があり、聞き上手なのであーる。あはは」

滞仏日記「俺の妻は小太りで目尻に笑い皺があり、聞き上手なのであーる。あはは」

滞仏日記「俺の妻は小太りで目尻に笑い皺があり、聞き上手なのであーる。あはは」



三四郎は父ちゃんの足元で丸くなっている。
バカラの大きなウイスキーグラスに氷をいれた。今日は、迷ったが、「余市」にした。香ばしい味わい、深みがあり、ううう、酔ってきた。
なぜか、息子は中高生の時代、とってもモテていたのだ。
かわいいガールフレンドがいた時代があって、でも、今はいないなァ、とか、いろいろと考えていたら、
「あなた」
と声がした。
お、と思った。話し相手がやってきた。幻の妻の登場であーる。
ええと、久しぶりの出現なので、どういう妻か、新しい読者の皆さんに、誤解を与えぬよう、ちょっと説明をしないといけない。
小太りで、目じりのあたりにうっすらシミがあって、顔はふっくらしていて、美人ではないが、優しい笑い顔で、というか、いつも微笑んでいる人で、だからか、ほうれい線も、けっこう、しっかりとあるのだけれど、そこがいいのである。
ウイスキーだと、5杯目あたりに、出没してくる確率が高い。ビールでは出ない。あはは。
酔うと、どこからともなく出現して、ぼくが酔いつぶれるまでぼくの話を聞いてくれる、うっすら消えかかっているが、「俺の妻」と呼んでいる。幽霊なのかな・・・。
「ほどほどにしないと、また、倒れてしまいますよ」
「ま、わかってるおるが、呑まずにはおれないのだよ。寂しくて」
「じゃあ、私がお付き合いいたします。悩み事とかあれば、私に話してくださいな。楽になりますよ。妻ですから、お聞きします」
ぼくは、残っていたグラスのウイスキーを飲み干し、新しく足すのだった。
「なんか、このあいだ、息子がここに来たんだけれどね、シモン君という友達をつれて」
「はい」

滞仏日記「俺の妻は小太りで目尻に笑い皺があり、聞き上手なのであーる。あはは」

滞仏日記「俺の妻は小太りで目尻に笑い皺があり、聞き上手なのであーる。あはは」



「いつも、男の子ばっかりなんだ。ユゴーとか、ルイとか、ウイリアムとか、トマ君とか」
「いいじゃないですか」
「でも、昔は、ガールフレンドがいた。知っているだけでも、3人」
「いない時期もあります。それは心配する必要ありません」
「ま、そうだろうけれど、男の子ばっかりだと、ちょっと心配になる」
「あなたの知らないところで、きっと、誰かいますよ」
「だよね、そう思うんだ。俺に似てハンサムだからさ、モテないわけないから」
妻が笑った。目尻に笑い皺ができた。俺の妻は優しい。
「でね、おととい、うちにシモン君を連れてきた、いい子だった。三人でご飯食べたんだけど、その途中に、女の子から電話がかかってきた」
「ほら」
「で、30分くらい話し込んでいた。快活な子だった。でも、どういう子かわからない」
「あんまり詮索しない方がいいですよ」
「だよね」
「年頃なんだから、ガールフレンドがいて当たり前ですもの。どんな感じの子でした?」
「いや、携帯から聞こえてくる声は、めっちゃ明るくて、元気な声だった」
「ガールフレンドじゃなくて、普通のクラスメイトかもしれないですね」
「そうかな。確かに、甘~い感じはゼロだった」
俺の妻が笑った。ぼくのグラスにウイスキーを注ぎ足してくれたので、それを舐めた。
「やたら、自炊の写真を送ってくる」
「いいじゃないですか」
「誰かいるのか、と詮索してしまうくらい、家でご飯を作って食べている」
「学生ですもの」
「コンロが壊れたから買いなおしたいというので、お金を渡したら、今朝、写真を送ってきた。IHのコンロだった」
「当然です。今なら、IHでしょう」
「フライパンも買ったらしい。そんなに料理ばかりするのはおかしくないか」
「あなた。詮索しすぎですよ。自分が大学生の時はどうだったの? 恋人いたの?」
「いたよ」
「あら、いたの?」
「そりゃあ、モテてモテて仕方なかったからね、ぼく、かわいかったし」
妻が大笑いをした。ぼくはウイスキーを飲み干した。
「同棲はしてないけど、行ったり来たりしていた。青春小説みたいな時代だったよ」
「へー、やきもち焼いちゃおうかしら」
「ま、飲め。お前、ぜんぜん、飲んでないじゃないか」
「あなた、飲みすぎですよ」
ぼくらは笑いあった。それから、だんだん、妻の身体が薄れていった。ぼくは観念した。そろそろ、寝ないと。朝、三四郎の散歩が待っている。
「おやすみ。今日もありがとう。お前のおかげでよく眠れそうだよ」
消えかかかる妻は、最後の瞬間まで、笑顔であった。

滞仏日記「俺の妻は小太りで目尻に笑い皺があり、聞き上手なのであーる。あはは」

※息子が買ったというIHコンロ!!!!



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございました。
めるしー。

滞仏日記「俺の妻は小太りで目尻に笑い皺があり、聞き上手なのであーる。あはは」



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