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滞仏日記「防犯ベルが耳をつんざき、上を下への大騒ぎ、三四郎が逃げ出した、あゝ、秋の日の大事件」 Posted on 2023/11/25 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、明日、息子がご飯を食べに来るので、おいしいものを食べさせてやろうと、ノルマンディの田舎から急遽、パリへと戻ってきたサンシーと父ちゃんなのであった。
パリはノルマンディよりも、ちょっと寒かった。風に芯がある、というか、冬将軍が迫っているのが伝わる寒さなのであーる。ううう。
車を駐車場に入れて、事務所兼自宅に入ったのだが、あれ、なんか変だぞ~。ぴぴぴっと音がしはじめた。これ、聞いたことがあるにゃあ。
その機械音がめっちゃ、大きくなり、あわわわ、耳をつんざく大音響になったので、三四郎がたまらなくなって、珍しくわんわん吠え出した。
あ、フランス版のセコムが作動したのだ、と気が付いたときは遅かった。
もう、パニック。
ラウドロックバンドの演奏よりも大きな音で鼓膜が避けそうになった。人間の何倍も聴力のある三四郎はたまったものではないので、廊下の先へ、まっしぐら、逃げた。
父ちゃんがノルマンディに行っているあいだに、スタッフの岡っちが作業をしに入ると言っていたことを思い出した~、おそかった。
帰りに、セコムを作動させて帰ったのだ。
うわわ、なんだっけ、どうしたら、これ止められるのだろう。OFFのボタンを何度か押したが、消えない。そればかりかどんどん大きくなっていく。三四郎~、無事か~。
これを止めることができるスタッフさんに電話しないとならないが、パニ来っていて、携帯をつかめない。
「なんだっけ、暗証番号~」と大きな声で叫んだ父ちゃん。
とりあえず、落ち着け、こういう時こそ、落ち着け、なんかあるはずだ、番号が~、ということで、思いつく限りの誕生日、とか、生年月日とかいれたけれど、ちゃう~。
ますます、耳をつんざく防犯装置! これはすごい。泥棒も逃げるしかない。もう、わかった、あなたの威力!!!!
赤いライトが明滅しはじめ、機械の声が、緊急通報、最大警戒、警察通報、と言い出した。警察!? ちゃうー、おれ、ここの人間やねん、と叫んだが、どうにもとまらない~、山本リンダさん。
♪うわさを信じちゃいっけないよ~、私の心はうぶなのよ~、
ああ、今夜だけ、ああ、今夜だけ、
もう、どうにも止まらない~♪
歌ってる場合かア~!!!!

暗証番号はなんだったっけ? で、とりあえず、よく知っている番号が頭をよぎったので、反射的にそれを入れたら、止まった。へ、止まったじゃん。あはは。
我に返ると、ドアをたたく音がした。警察か、と思って出たら、管理人さんや住人の皆さんであった。
「あの、泥棒じゃないんです。すいません。暗証番号を忘れていたので」
三四郎は、居住区の、普段は入れないぼくの寝室のベッドの下に潜り込んでいたのだった。

滞仏日記「防犯ベルが耳をつんざき、上を下への大騒ぎ、三四郎が逃げ出した、あゝ、秋の日の大事件」



フランス版のセコムの人がやってきた。
「ムッシュ、ダメですよ、暗証番号忘れたら」
「警察は?」
「警察は、私たちがやってきたあと、連動することになっています。ご安心ください。よくある間違いなので、警察への通報はまだ、しておりません」
ふー、よかった。防犯装置を作動させたスタッフさんを怒るわけにはいかない。
物騒な世の中なので、事務所を出るときは防犯装置のスイッチをオンにするように、とくれぐれも言ったのは、ほかでもない、父ちゃんだったからだ。
仏版セコムのおじさん、
「今、調べたら、いくつかの問題が発見されました。火災報知器に異常があります。ちょっと、10分ほどで終わりますから、作業をしても、よろしいですか?」
と言って、本体の修復を行ったのだった。
「あの、余計なお世話かもしれませんが、この装置の下に、日本語で、暗号のように暗証番号を書いておいたら、どうでしょう? ぼくは漫画が好きだから、よく知っているんです。日本語にはカタカナとかひらがながあるでしょ?」
「ああ、なるほど、そうですね」
「記憶力の弱い人のために」
ぎゃふん。なかなか、ユーモアのある仏版セコムさんであった。
でも、それは名案である。ぼくは物忘れがひどいので、それに、パニックになると、記憶力がよくても、頭が真っ白になるものだ。
紙に書いて、貼ることにしました。あはは。

滞仏日記「防犯ベルが耳をつんざき、上を下への大騒ぎ、三四郎が逃げ出した、あゝ、秋の日の大事件」



滞仏日記「防犯ベルが耳をつんざき、上を下への大騒ぎ、三四郎が逃げ出した、あゝ、秋の日の大事件」

お騒がせ野郎の父ちゃんであったが、昼過ぎ、近所の公園まで散歩に行くと、ベビーカー付き自転車を押すマダムと出会った。
めっちゃうつろな目をしている。今にも泣き出しそうな顔だった。
「鍵、見ませんでした?」
「はっ? 鍵?」
「こんなやつ」
自転車の鍵を顎で示したので、ああ、自転車の鍵ですか、と聞き返したら、
「いいえ、家の鍵を落としちゃって」
と泣きそうな顔でいうのである。ベビーカーには赤ちゃんがのっている。
「そりゃあ、大変だ」
「じゃあ、一緒に探しましょう」
あまりに絶望しているその人をほって、家路につくことはできなかった。
ぼくはその人から数メートル離れて、彼女が歩いたと思われる方へ、地面を見ながら一緒に歩いた。
「それがないと、夫が帰ってくるまで家に入れないの」
「そりゃあ、大変だ」
「夫は、今、地方にいるんです」
「わ、そりゃあ、もっと大変だ」
フランスのあくどい鍵屋は、ふっかけてくる。ぼくが実際経験している。真面目な鍵屋も、もちろんたくさんいるのだけれど、こういう時は、とにかく、誰かにすがりたいから、管理人さんとかに相談をしないで、チラシなどで選んでしまう。
ぼくは、鍵を開けてもらうだけで10万円も払った。こりゃあ、なんとしても探し出さないと。
10分ほど探していると、仲良しの犬ともたちがいたので、
「みなさん、この方が家の鍵をなくして、探しています。手伝ってください」
とルルやウッディのお母さんたちに大きな声で伝えたのだ。
すると、すると、ウイリーのお父さんが、
「ああ、それ、あの人が持ってるよ。さっき、拾って、警察に届けると言っていた」
と遠くからこっちに向かってくるわんこのお母さんを指さして言うではないか!
えええ、と大きな声をだした父ちゃん。おじさんが遠くのマダムに叫んだ!
「あんた、さっきの鍵、このマダムのだよ、ほら、拾ったやつ」
ということで、あっという間に、このマダムの鍵が本人の手に戻ったのだった。なんか、いいことをしたような優しい気持ちになれた。
若いマダムはその人にお礼を言っていた。こっそり撮影をしてから、ぼくは三四郎と後ずさりして、そこを離れた。
なんでもない一日なのに、ノルマンディから戻ったら、こんなことがあった、秋の日の父ちゃんなのであった。
サンシー、ご苦労様。

滞仏日記「防犯ベルが耳をつんざき、上を下への大騒ぎ、三四郎が逃げ出した、あゝ、秋の日の大事件」

※ よかった。こうやって、鍵がマダムの手元に戻りました~。

滞仏日記「防犯ベルが耳をつんざき、上を下への大騒ぎ、三四郎が逃げ出した、あゝ、秋の日の大事件」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
三四郎は、無事でした。居住区は長い廊下で隔てられていて、うるさいのは玄関部分だけだったのが幸いでした。買い物に行き、明日の料理の材料を買い込んできました。冬が近づいていますからね、息子に、おいしいものを食べさせてあげたい、と思います。

滞仏日記「防犯ベルが耳をつんざき、上を下への大騒ぎ、三四郎が逃げ出した、あゝ、秋の日の大事件」



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