JINSEI STORIES
滞仏日記「告げ口、陰口、いいかげんにせんかい!」 Posted on 2020/03/04 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、少し前のことだけど、とあるパリの知り合いが、
「あいつが、ツジの悪口言ってたぞ」
と言った。本当に、こういうことを面白おかしく言ってくる人間が後を絶たない。ぼくはわきが甘いからか、こういうことを結構な頻度で言われてしまう。もっともこういうおせっかいをする輩は、ここパリだと日本人、フランス人は陰口とか告げ口はしない。フランス人は面と向かって悪口言ってくる。日仏の違いだ。フランス人は人が揉めていてもそこに立ち入ることはしない。でも、日本人、とくにおやじは軽い。悪気がないから、始末に負えない。告げ口する連中は、ぼくの悪口を言ってる阿呆よりも、もっと質が悪いことに気が付いてない。実は僕が許せないのはこういう輩だ。世界から争いが消えないのはこういう伝書鳩の仕業なのだ。
「ちっちぇ―な、お前」
とぼくは低い声で言った。こういう芝居が得意だ。もしかしたら役者にむいてるかもしれない。そいつの好奇に満ちた目が面白がってぼくの心を覗き込んできたので、お前のその告げ口する軽口が気に入らないんだよ、と言ってやった。すると、その告げ口男はようやく黙った。
人間の魂の部分に火をつけるような中途半端な告げ口とか影口とかは言わない方がいい。人を本気で怒らせちゃだめだ。軽口をたたくやつが一番この世界で愚か者である。悪いやつじゃないのだろうけど、くだらない人間なんだと思う。気が付いてないことが一番愚かなことで、人を見損なう時っていうのはだいたいこういう時なのだ。
誰にも負けないと思うことが強くなる一番の方法である。そもそも、まともに生きている自分が、誰かに負けるはずがない。負けたと思う人間は実は他でもない自分に負けているのだ。告げ口男にはっきりといい、そいつが視線を逸らしたので、そこまでにした。人間、死ぬ時はあの世に何も持っていけないんだよ、つまり、失うものなんかないんだ。恥もない。恥ずかしいと思うのはしがみついているからだ。
その後、その場にいた少し若い子が、辻さんって怖いもの知らずなんですね、見た目と違って、と言った。ぼくが笑うとその子が、苦しいんです、と打ち明けてきた。何が、と訊いたら、戦うのが、と言った。戦い方教えてください。この世界、生き難いんです。逃げたいんです。おいおい、いきなり打ち明けるなよ。ぼくは噴き出してしまった。
前はよく「苦しければ逃げな」と言ってたけど、実際の世界だとそう簡単には逃げられない。逃げろというのがだんだん無責任に感じて来た。じゃあ、戦えと言えるかというとそれが出来るならば苦労はしません、ということになる。だから、「とりあえず逃げて、態勢整えてから反撃すりゃいいじゃん」と言うようにしている。でも、実はこれも完璧なアンサーじゃない。逃げなくてもいいし、戦わなくてもいいやり方があるのじゃないか。
そもそも悪いことしてないのになんで逃げなきゃならないの? 逃げることにうしろめたさもある。苦しければ逃げろ、逃げていいんだって、甘えとか責任放棄につながらないか、と思ってしまう。それに逃げるって負けてしまってることを認めちゃうことだから、逃げれば済むというわけじゃない。理屈を言うつもりはないが、逃げろと言われて逃げる人っているのかな? 気が楽になるだけで、実際は逃げられない現実ばかりなんだよ、人間界は。
「それは逃げろというのじゃなく、そこが戦う土俵じゃないということでよくないか。ぼくは逃げたくないし、戦いたくもない、でよくないか。そもそも逃げるとかじゃなくて、そういう世界に関わりたくないし、ちゃんと線を引いておくということで十分じゃないか」
とその子に言っておいた。
全てと勝負しなきゃならないなんてことはないんだし。ともかく、自分を追い込む必要はない。勝たなきゃいけないこともない。ぼくはずうずうしく、居直ることにしている。
「いいかい。自分に負けなければ誰にも負けないのだよ。ぼくは誰からも逃げたことがないし、だから、誰からも負けたことないんだ」
いや、もしかすると誰かにコテンパンに負けているのかもしれないけれど、負けを認めないので、負けに気づかないので、結局は負けたことが無いのかもしれない。こういう勝ち方もあるんだ、と言ったら、その子が笑っていた。戦わずして勝つ辻式サムライの鉄則だよ、と言っておいた。以上。