JINSEI STORIES
滞仏日記「父ちゃんの痴態事件、その後日談。もう、あなたは笑っているのか」 Posted on 2023/11/02 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、寒くなったので、足元の三四郎を踏まないようにしながらビーフシチューなるものを作っておると、昨日の日記を読んだ、絶対笑わないのが自慢みたいな日本の堅物新聞記者さんから、
「あの、仕事場でこっそり辻さんの過労からのエステ行ったお話を読みましたら、おもしろくて、笑いを堪えられなくなっちゃいました。なかなか笑わない、笑うのが苦手なわたしをここまで笑わせてくださり、まことにありがとうございました」
と、奇妙なメッセージがあり、
「はて、なんの日記やったかいな」
と思い返し、というか、書いたら忘れる性格(タチ)なので、読み直したら、
「ぎょぎょぎょえー、こんなん書いたんか」
となって、青ざめた父ちゃんなのであった。
たぶん、疲労マックスで、ウイスキーを舐めながら書いたのがいけなかった。
しかし、である。
読み直すと、まだちゃんと肝心な箇所が書かれてないではないか。
「表!? 」で、終わっとる。
父ちゃんは昔日をふりかえり、ふふふ、と口元を緩めたのであったぁ~。
「ムッシュ、そのまま、クルっとあおむけになってください」
アリシアちゃんは、タオルで壁を作るようにして、タオルの向こうから言ったのである。
秋深き、パリの路地の片隅にあるスパの個室での出来事であった。
(昨日の日記を読んでない方は、いったん、ここから昨日の日記に戻ることをお勧めいたします。その方がリアル感が増すか、と。☜なんのリアルじゃ)
一応、ここをクリックすると、昨日の日記が読めます。笑。
ビーフシチューがいい具合に煮込まれていくのを見下ろしながら、父ちゃんは、昨日の自分の存在が、あるいは世にいう痴態にあたるのか、どうか、思い出そうとした。
眼下で煙るビーフのシチューを見つめながら。
おしゃもじでビーフのシチューをぐるぐると攪拌させながら、父ちゃんの心はあの切ない個室へと戻っていくのであった。トンネルをくぐると、そこは、スパ。かわばたやすなり~、つじひとなり~。
何せ、ヒモとそこだけを隠すような薄い紙のパンティみたいなものを履いた父ちゃんは、あおむけになることを躊躇わないわけがない。
相手はプロのエステシャンと分かっていても、第三銀河を彷徨い続けてきたシングルファザー十年選手の父ちゃんにとって、うら若き乙女がタオルで、しかも、こっちが見えないように壁を作っていること自体が、不自然ではないか。
あおむけになろうとすると、理性が、筋肉痛に見舞われ、背骨が折れそうになった父ちゃんなのであった。☜何しにスパに来たのかわからにゃい。
背中をオイルマッサージしてもらっている間、ぐっすり爆睡をしておったこともあり、ふと、目の前に出現したタオルの壁に、すわ、自分の運命を呪わずにはおれないのであった。
あゝ、無情。
しかし、ここまで来て、過去へは戻れない。
過去を振り切るためにも、父ちゃんは、心を決めて表になることをいとわないのだった。☜いとわないのかい!!!
薄暗い個室には、トルコ風の屏風があり、赤いライトがうっすらと室内を照らしている。中東風の切ない音楽が、父ちゃんの老境を擽るのであった。
あゝ、わしの青春はいろいろとあった。切なかったのォ~。
気を削ぐために、昔日の一隅を見つめていると、不意にアリシアちゃんが、耳元で、
「ムッシュ、目をタオルで隠しましょうか? 眩しくないですか?」
と囁いたのであった。
うわ、近い。吐息がかかる~・・・。
舌を噛みそうになるくらい、思いっきり目を閉じている父ちゃんなのであった。
ぜんぜん、眩しくないが、それは名案というものである。
自分の痴態を見られたくない。そのためには自分が目を塞ぐしかなかった。
あの、紙のパンティが、気になる。誰だ、こんなもの発明したやつは!!!
※この写真を自撮りしていた時は、まだ、気が付いてなかった、おバカな父ちゃん。この30分後、ヒモが食い込んだ。
というのは、フレデリックさん(コロナ前のそこの経営者)がマッサージしてくださる時は、みんな誰もためらわず、すっぽんぽんになっていた。
はじめて、スパに行った時に、訊いたことがあった。
「全部、脱ぐ? フランスはどこも脱いじゃうんですか?」
するとフレデリックが、
「基本は男性も女性も全裸で施術がフランスのノーマルです」
ふわ、マジか、と思いながら、確かにコロナ前に、全裸で施術を受けていたことを思い出したのだった。たぶん、裸だったような・・・。瞬間記憶喪失の術。
でも、今、ぼくの腰の周りにまとわりついた紙の下着は、逆に、それが限りなく透明に近い感じで存在していることに、文学性は保たれつつも、むしろ、存在の耐えられない軽さにぼくは苦しみ、心地よいのかよくないのかわからない、冷静と情熱のあいだ、を彷徨っているのだったぁ~。☜なんのこっちゃ。
しかし、きちんと書く必要がある。
アリシアちゃんの技術は素晴らしかった。
とくに、ぼくの腕を彼女の膝に折って載せ、アリシアちゃんがぼくを抱きしめるようにして、首の筋のコリをほぐしにかかった時は、コリはほぐれるのだが、アリシアちゃんが近すぎて、金縛りにあった、父ちゃんであった。南無阿弥陀仏。
一つ、わかったことがある。
こういう若い美人なエステシャンが、この距離で、ほぼ全裸の父ちゃんの身体をマッサージするのは、健康的ではない。
変な感情は起きなかったが、(人生の熟練者は語る)、ただ、なんというか、ひたすら、落ち着かないのである。
アリシアちゃんが、紙の下着のヒモをいちいち、ずらして、腰骨とか、お尻の縁を揉むたんびに、ああ、それはいかんよ、と思って心苦しくなる晩秋の父ちゃんなのであった。
いかんなぁ、いかんいかん。
つまり、身体はぽかぽかになったが、スパを出た時、ぐったり、別の疲労感に襲われ、マロニエの木に手をついて、暫く、深呼吸を繰り返さないとならないのだった。
さて、ビーフのシチューがいい感じになってきたぞ。
これこそ、まさに、これからの冬に向けて必要な熟練の味なのであーる。
次回に行く場合は、マッサージさんの年齢を確認してから、施術をお願いしたい、と思った日本の父ちゃんなのでした。
はー、ある意味、つかれました。☜おつかれ、父ちゃん。
つづく。
思わず、二日間にわたって、フランスのマッサージ事情について、語ってしまいましたが、うちのスタッフさんに、ねー、やっぱり全裸になるよね、と確認しましたところ、さー、どうですかね、あまりそこまでの経験はないですけど、でも、確かにエステの場合、紙の下着は確かに、薄いですかね、というあいまいな返事なのでありました。たぶん、みんな、瞬間記憶喪失になるのだと思います。日本の指圧が一番よかですね。あはは。
「パリごはんSP」の再放送が決まりました。
「ボンジュール!辻仁成のパリごはん2023SP」再放送
【NHKBSP/4K】 11月11日(土)22:30~23:59