JINSEI STORIES
滞仏日記「ぼくはついにパリから逃げ出してしまった」 Posted on 2020/02/28 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、昨日の日記で書いた通り、ぼくはシングルファザー生活に疲れ気味だ。洗濯物はたまり、食器は山積み、家は荒れ放題。このままではいけないのはわかり切っている。文芸誌に400枚を超える長編小説をこの春に発表予定だが、集中して仕事が出来なくなった。そこで、夏にも宿泊させて貰った友人の編集者ステファンに電話して彼の田舎の家を、3、4日貸してもらえないか、と頼みこんだ。作家はいつも家にいて、壁に向かって創作をしている。ずっと家にいるのだ。その上、ぼくはシングルファザー、家事や子育てと仕事を同時にやらないとならない。時に、環境を変えることはとっても大事なことである。
「いいけど、ひとなり、2月だよ。雪が降るかもしれないという予報だ、いいの?」
「でも、小説を書くだけだから、雪でも嵐でも構わないんだ」
「君の息子さんは?」
「あの子は大丈夫。もう16歳だからね。自分でなんでもできる」
「鍵は玄関入ったすぐのオリーブの植木鉢の下、わかる? 」
「ああ、わかるよ、ありがとう」
ということでぼくは荷物をまとめ、息子と夜ご飯を食べた後、夜の20時過ぎに、一人、パリを離れた。息子はぼくが疲れ気味なのを知っているので、もちろん、行った方がいいよ、と同意してくれた。ありがとう。
こんな時間に高速を走るのは初めてのことだった。道は暗く狭い。GPSがぼくをステファンの家まで連れて行ってくれる。前を向いて運転するだけだった。パリから2時間、長いトンネルを抜けるような時間旅行であった。
ノルマンディのビレルビルにあるステファンの田舎の家に到着した。風が物凄く強く、来る途中、大木が倒れて道を塞いでいた。雨も強く、寂しい世界が続いていた。それでも、ぼくは気分を変えたい。こういう時に小さな旅は自分を保つためにとってもいい。ぼくは自分のことをよく知っている。海を見ることが出来れば必ずぼくの心は落ち着くはずだった。そこで集中して小説に浸ることが出来れば、創作の流れはつかめるはずだ。流れさえつかめれば、きっとぼくは復活することが出来る。ぼくら人間は誰もがいつもギリギリの世界で生きている。タイトロープの上を歩いているのだ。
夜中だったが、スニーカーに履き替えて、真夜中の2月の海の水際までまっすぐに歩いた。強い風と波だったが、ぼくは波打ち際で手を広げ、夜と向かい合った。深呼吸をし、自分を取り戻すことに集中した。一瞬だけ、世界のことや、周辺のことを忘れ、ひたすら自分と向かい合った。自分を取り戻すのだ。自分を取り戻さなければならない。
冬の家は冷たかった。ぼくは暖房をつけ、お湯を沸かしコーヒーをいれ、ベッドメイキングをして、ステファンの家を生き返らせた。なんと、真夜中のコーヒーの美味しかったことか。息子にメッセージをいれてから、パソコンをセットし、まず、この日記を書くことにした。物凄い静寂の中にいた。地の果てにいるような静寂が心地よかった。波と風の音が微かに聞こえてくるだけだった。音楽も車の音も人の声も何も聞こえなかった。いつもとは違う環境にいた。それから書きかけの小説を頭から読み直した。ぼくの意識は冴え冴えとしはじめた。すると不思議なことに物語が動き出した。それは作家にとって、とっても大事なことであった。静寂の中、動き出した物語の中へとぼくは潜り込むのだった。