JINSEI STORIES
滞仏日記、2「息子と二人で涙した、愛車との最後のお別れ」 Posted on 2020/02/22 辻 仁成 作家 パリ
息子が生まれた年に買った車(通称、ステファニー)が故障し修理代が百万円ほどかかると分かったのでその車を手放し新しい車に買い替えることになった。最近のフランスの流行りは「新車を買う」じゃなくて「新車をリース」なのだそうだ。車好きな仲間たちに教えて貰った。近年のフランス人のほとんどがリースを利用し、新車を買う人が激減しているという。ステファニーは息子が生まれた時からずっと辻家を支えてくれた。後部座席のベビーシートの中で息子は育ったようなものだ。今でも記憶に残っている。ベビーシートに座りおしゃぶりを銜えたチビ助。足で助手席を蹴るのでそこだけが汚れた。少しずつ大きくなってベビーシートを捨てる時も、いやだいやだ、この椅子に座り続ける、と駄々をこねた息子。ぼくがシングルファザーになった時も、やつれたぼくにかわり、息子の送り迎えに大活躍してくれたステファニー。息子が10歳の頃からつい最近までぼくらはこの車に乗って父子旅を続けた。この愛車で東はドイツまで、南は地中海、西はスペイン、北は英国海峡海岸線を走破した。フランス国内も、ストラスブール、リール、ナント、ボルドー、セット、マルセイユ、アヴィニョン、リヨン、ドーヴィル、ほぼフランスのすべての都市を巡った。高校二年生になった息子のその成長とともにあった車。ぼくらは彼女をステファニーと呼んでいた。(車が女性名詞なので)
「パパ、ステファニーは廃車まで乗ろうよ。家族だから」
息子はそう言い続けた。ぼくもそのつもりだったが、限界が来た。自動車屋に相談をし、下取りしてもらうことになった。普通は下取りしてもらえる年齢の車じゃないのだが、ぼくが大事に乗っていたので、買い取りたいと申し出てくれた。これは大変に珍しいことのようだ。その下取りのお金を頭金にして、ステファニーの娘にあたる車をリースすることになった。そのメーカーの中では一番の小型車である。
「家族は二人ですし、パリ市内で駐車しやすい機動力のある小型の車で十分です」
車は安全快適に走ってくれればそれでいい。故障しないこと、燃費がいいこと、安全性が高いこと、機動力があること、狭い場所にも楽々駐車できる車をぼくは求めた。
今日、息子と車屋に行き、新車君と対面をした。姿かたちはステファニーにそっくりだったが、小ぶりであった。
申し分ないので、サインをし、鍵を受け取った。
「あの、ステファニーは今どこに?」
息子が車屋のおにいさんに訊いた。地下にいますよ、と言うので、最後に一目会いたいということになった。ぼくと息子は地下のガレージへと向かった。一番奥の暗い場所にステファニーがいた。ぼくらは暫く言葉を失った。すっかり老け切ってしまっていた。寂しそうでもあった。車屋が開けようとしたがバッテリーが上がっていて、ドアは開かなかった。目頭が熱くなった。16年、走って来た車窓の風景が僕の脳裏をよぎった。ぼくは車屋のおにいさんにこの車をどんなに愛していたか、を切々と語った。横で黙って息子が聞いていた。
「ムッシュ、そんな風に一台の車を愛してくれる人はなかなかいません。ぼくも感動してしまいました」
と言った。息子がステファニーのボンネットに抱き付いた。その写真を撮影した。ありがとう、ステファニー。本当にありがとう。
ぼくらは新車にアンヌと名付けた。そして、試運転をした。16年前の車と今の車の違いは歴然としていた。アンヌは一回りステファニーより小さいのでパリ市内を移動するのにとっても便利だった。バスティーユの楽器屋に行った。車をヴォージュ広場近くの路上に停め、アプリで駐車料金を支払い、楽器屋で買い物をして戻って来ると、フロントガラスに駐車違反の紙切れが挟まれてあった。35ユーロの罰金である。ちゃんと支払ったのに、とその紙切れを掴んで覗き込んだ。息子が「おかしいな、この番号」と言い出した。
「さっき、車屋で確認した車検証の番号じゃないよ。保険会社とやりとりした番号とも違う」
ぼくらは慌てて真新しい車検証を取り出し、確認をした。ほんとだ、番号が違っている! 息子がナンバープレートを覗きに行き、パパ、ありえない、と大きな声で叫んだ。慌てて息子のところに駆け寄った。なんとナンバープレートの番号を間違えているじゃないか。こんなことって、あるんだ! ぼくらは笑い合った。こういうところがフランスなのである。ともかく、ぼくと息子の父子旅は続く。アンヌ、これから3年間、よろしくね。