JINSEI STORIES
滞仏日記「コシノジュンコさんとコシノミチコさんとうちの息子」 Posted on 2020/02/12 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、デザイナーのコシノジュンコさんとコシノミチコさん姉妹がパリに着いたので食事をしたいと連絡があった。出来れば「息子さん」も一緒に連れてきてほしい、というのである。息子は基本、ぼくの仕事関係の人との食事会には参加したがらないので、来ないと思って「どうする?」と訊いてみた。「パパよりもずっと年上のデザイナーさんたちだよ。大阪の出身で元気な人たちだ。でも、もしかすると話があわなくて退屈になるかもしれないから無理するなよ」と告げると「行く」と即座に返され、ちょっと驚いてしまった。何が決めてだったのかわからない。でも、来るみたいだ。
ミチコさんはとにかく明るく元気でパワフルで今でも朝まで踊っていられるような若さの持ち主で、ロンドン在住。ジュンコさんは迫力があって頭の回転が速くて洞察力があり、ちょっと怖くて、もともとはパリで活躍していたこともあり、家がパリにある。ブルゾンちえみさんとの2ショットが話題だ、と誰かが教えてくれた。ハイアットホテルを経営するホテルのオーナーさん家族も一緒で、スタッフの方などを含めると総勢8人だった。「息子です」と紹介をすると、「可愛い~」「大きい」「しっかりしている」という声が女性陣から次々にあがった。「ミステリアスだわね」とジュンコさんがボソッと言った。ぼくは笑いを堪えた。この子がコシノ姉妹のパワーにどうやって立ち向かうのか、親として興味があった。そもそも、これだけの日本の偉い人たちに囲まれた息子を見たのもはじめての経験だ。
普段、息子は大人が行くようなレストランには行きたがらない。パパの仕事場には来たがらない。当然仕事関係の人たちの席に同席したことがない。なので、敬語を使っている息子は新鮮であった。お前、どこで覚えたんだ?「しっかりしてるわー、辻さんの息子さん」とミチコさんが褒めてくれた。ホテルのオーナーさんの息子さん、タカヒロ君が同席していて、早稲田のアメフト部の選手で18歳だった。比べるとやはり圧倒的にしっかりしている。兄弟のいない息子にとっては日本の先輩の存在はとっても気になるようで、前傾姿勢で先輩の話に耳を傾けている。息子はバレーボール選手なので、最初はスポーツの話題から話しが始まった。息子は日本人の前ではちゃんと日本人になることが出来る。フランス人の輪の中に入るとフランス人としてやっていく。フランス人は滅多に敬語を使わないので、会話の中に上下関係を持ち込むのを嫌がる。日本は一学年上でも先輩後輩の関係がしっかりしている、特にスポーツの世界では。面白いことに息子はタカヒロ君に対してちゃんと後輩をやっていた。「はい、はい」と背筋を伸ばし、返事をしている。へ~、どこで覚えたんだろ。
どうやって普段生きているの、とか、学校はどうなの?とか、国籍のことや日本への思いとか、ジュンコさんとミチコさんから質問が息子に集中しはじめた。あまり根掘り葉掘り訊かれても答えられないだろうと思い、「この子が一番頑張ってやってるのは音楽なですよ。おい、ヘッドフォン持ってるなら作ってる曲を皆さんに聴いてもらいなさい」と助け船を出した。「聞きたい聞きたい」とみんなが言い出し、ヘッドフォンがテーブルを周ることになった。面白いのはヘッドフォンをかぶった次の瞬間、みんなの顔が次々に変化していった。「聞いたことないわ、とってもミステリアス」とジュンコさんが言った。フランス語のラップで、確かに個性的な世界観だと思う。タカヒロ君が、凄い、と言った。息子は口をゆがめて嬉しそうにした。ヘッドフォンが一人一人、渡されていった。最後にミチコさんが
「あんた、ロンドンに出て来たらええわ~」
と言った。ああ、それはいいアイデアかもしれない、とぼくは思った。息子の横顔を見た。日本人に囲まれ、幸せそうだった。ずっと、寂しかったのかもしれないな、と思った。日本で生まれていたら、こんなに頑張らなかったかもしれない。でも、もう、息子の乗った船は大洋に出始めている。ロンドンか、それはいいアイデアだと思った。