JINSEI STORIES

退屈日記「真夜中、トントントン、ツーツーツー、とモールス信号のような音で目覚める」 Posted on 2023/09/12 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、夏が終わり、ノルマンディの田舎からパリジャンはいなくなった。
長い夏休みが終わり、学校が再開したので、パリジャンたちは再びパリでの生活に切り替えたのである。
なので村はガラガラ、人がいない。
当然、ぼくが暮らす館も、雨戸(ボレー)が閉ざされているので1階から4階までの全住人の不在が確認できた。
門に鍵をかける。一応、それがルールなのである。
空き巣が来ぬよう、必ず、門と建物1階の大扉には鍵をかける。
夕方、施錠してから、三四郎の散歩ついでに海の近くのビストロへと向かった。
やはり、どこもかしこも、ガラガラだった。
夏の間は予約をとるのも難しい老舗ビストロだったが、客は、数人とまばら。
飲みたかったので、ワインを注文した。
「ムッシュ、夏は日本だったんですね?」
ギャルソンのオリビエが言った。
「うん、日本でライブやっていた。先週戻って来たんだ」
「お帰りなさい。フリットでもつまみますか?」
「いいね、オリビエ」
彼はこの店のソムリエ頭なのだ。彼のおススメ、Saint-Romanを味わった。(これ、ぼくもおススメ、生産者が限られているから、外れ難い)
今日は、飲むぞ!
ロンドン公演が控えているので、来週くらいから徐々に禁酒へと向かわないとならない。
なので、今日は浴びるように飲むのだ。ふふふ。
父ちゃんは酒が栄養源であり友だちだから、白ワインならば2本くらいは楽勝・・・。☜何、自慢?
酔いたい時もある。
歩けなくなったら、オリビエが馬車を呼んでくれるに違いない。
斜め前に白髭の伯爵がおられたので、会釈をしておいた。
グラスを持ち上げ、伯爵が笑顔で、頷いた。
このあたりの名士である。
彼は12時にふらっとやって来て、いつもボルドーの赤ワイン(熟成に適した年代もの)をマグナム(1500ml、普通のは750ml)で注文する。足元にはグレイハウンド。
味を確かめながら、少しずつ飲んでいく。

退屈日記「真夜中、トントントン、ツーツーツー、とモールス信号のような音で目覚める」

退屈日記「真夜中、トントントン、ツーツーツー、とモールス信号のような音で目覚める」



空気に触れるとワインは味を変える。
いいワインは、ゆっくりと開いていく。
できの悪いワインはすぐに劣化する。そこが大きな違いなのだ。
この効果をうまく利用すると、抜栓後の酸化熟成が狙えるという仕組み。ワインが心を開放させて、我々の舌を誑かすまでに、必要な時間というものがある。
伯爵はそれを心得ているので、赤ワインが完全に心を許すタイミングをちょこちょこ飲みながら狙っている。
1時間後、家族(奥さんと娘さん)がやって来て、空気に触れてちょうどいい状態になったワインを、今度は家族みんなで飲むのだけれど、見ている限り、ほぼほぼ、伯爵一人で開けてしまう。
バッカスみたいな体形をしている。
マグナムは普通の750mlよりも瓶が倍大きいので、その分、海が広い。ワインの酸化熟成がいい感じで広がっていく。
イキだなぁ、といつも思う。
ワインに対してのリスペクトがちゃんとある。
今日も、この後、家族が集まって来るのだろう。伯爵はワインの番をしているのだ。

退屈日記「真夜中、トントントン、ツーツーツー、とモールス信号のような音で目覚める」



退屈日記「真夜中、トントントン、ツーツーツー、とモールス信号のような音で目覚める」

ぼくは一本をあけたところで、ウイスキーに手を出すのはやめて、三四郎と家に帰ることになった。
石敷きの道をふらふらと歩いて、自宅へと戻った。
ところが、閉めたはずの門の鍵がかかってない。
館を見上げたが、暗かった。
建物の大扉に手をかけてみたが、ここも、鍵がかかっていなかった。
はて、・・・。
とりあえず、築150年を超えた古い館の中へと入った。
三四郎を抱きかかえ、5階まで古い螺旋階段をのぼる。
寝る準備をして、ベッドにもぐりこんだ。三四郎は自分のベッドの中でやすんでいる。
「おやすみ、さんちゃん。また、明日ね」
おでこにキスをしてあげてから、寝る。犬も愛されていることがわかるのだ。
ぼくは眠りに落ちた。
ところが、である。



深夜、トントントン、という鉄の音で目が覚めた。
規則的な硬い音が寝室というか建物全体を震わせている。
配管を叩くような音だったので、あ、プルースト君がいるのだ、と、うとうとしながら思った。
幼少期にパリでいじめにあい、引きこもり、この館の下にある地下室で暮らしている、50代くらいの男性である。
ぼくとはこの配管モールス信号で親しくなり、交友がある。
なぜ、ぼくがモールス信号を理解できるのか?
ぼくは帯広小学校時代に、アマチュア無線の電話級無線技士の試験に合格をした。ぼくのコードネームはJA8PGZだった。
その次の電信級の無線技士の資格を狙っていた時に、父の転勤があり、函館にうつった。
そこで、ロックバンドを結成してしまい、電信級の無線技士になる夢は諦めた。
でも、挨拶程度のモールス信号は理解できるのだ。面白いのォ。
友だちのいなかったプルースト君も、無線技士の勉強をしていたに違いない。
たぶん、彼はぼくに向けて、トンツー、トンツーとメッセージを送っているのである。
ぼくが5階にいることを知って、メッセージを送っているのである。
なになに? 何を言ってるんだろう。同じ規則的な信号が届く。
・・・---・・・(トントントン、ツーツーツー、トントントン)
トンは・、ツーはー。で表記される。
トントントン、ツーツーツー、ええええ、助けて? これ「SOS」じゃないか!!!!
ひゃああ、これ、ぼくに向けられたメッセージなのかぁ、助けてって言われても、・・・。
深夜3時だったので、ぼくは寝たふりをすることにした。怖すぎる。
ということで、この先は、明日へ、

退屈日記「真夜中、トントントン、ツーツーツー、とモールス信号のような音で目覚める」

※ こちらは本物のプルーストだが、似ているのだ。髭の剃りあとが青いので、青髭プルースト君と呼んでいる。



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
たぶん、ぼくを驚かすことが彼の今の喜びなのだと思います。ぼくしか、ここにいないことを知って、いたずらをしているのでしょう。夜中の3時には何もできないので、明日、また、ご報告をしますね。ううう、酔いが冷めたじゃないか!

さーて、父ちゃんからの、お知らせだよー!!!

NHK/BS「ボンジュール、辻仁成のパリごはん」
いま、毎日、放送中だよ!!!!!!
新作は16日!!!
今後の全ての放送スケジュールがアップになりました。
https://www.nhk.jp/p/ts/6XW8NZ748V/schedule/

退屈日記「真夜中、トントントン、ツーツーツー、とモールス信号のような音で目覚める」



自分流×帝京大学