JINSEI STORIES
滞仏日記、2「繋ぎとめることのできない愛。支配と被支配の形」 Posted on 2020/01/27 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日は小さな愛のドラマがあった。10年前、とっても仲の良いカップルの友人、パトリシアとシリル(仮名)がいた。二人にはアンという名前の女の子がいた。うちの息子と同じ歳の子だった。しかし、パトリシアとシリルは僕と同じ歳ではない。ちょうど一まわり年下になる。最後のパトリシアからのメールをよく覚えている。彼女はこう書いた。
「あなたの忠告には後ろ髪を引かれます。でも、私たちは一度、立ち止まり、モチベーションを探さないとならない。今はそういう時で、この状態はもう変わらないでしょう。そして、私はあなたとの出会いに感謝するし、忘れないでしょう。あなたは私にいろいろと言いたいでしょうけど、もう決めたの。ヒトナリ、ごめんなさい。シリルとは離婚をする」
このあと、どんなにパトリシアに連絡をいれても返事は戻ってこなかったばかりか、彼女はアメリカに引っ越してしまったのだ。シリルと離婚をして。
シリルとは一度二人きりで会った。離婚が決まった直後のことで、あんなに小さくなって、別人のようなシリルを見たのは初めてだった。カフェで待ち合わせたのに同じ人間とは思えないほど小さくなっていた。
「ヒトナリ、ぼくはもう力が残っていない。パトリシアはあの通り、こうだと決めたら考えを変えない子だから、この離婚はもう覆らない。どんなに愛しても、どんなに頑張っても、どうにもならないことがあるんだ。ぼくはベストを尽くしたけど、もうパトリシアを繋ぎ留めておく自信がない」
繋ぎとめるという言葉がものすごく印象的だった。いい夫婦だったのに。シリルは本当に優しい男で、彼は家族第一主義者だった。でも、パトリシアはエキセントリックな人でどちらかというと支配者だった。パトリシアの機嫌のいい時はいいのだけど、そうじゃない時は全ての負担がシリルに向かう。シリルが壊れるのじゃないか、とハラハラしていた。彼ら夫婦の間には本人たちは気づいていない支配と被支配の関係があった。対等の関係ではなかった。愛は対等じゃないと長く続けていくことができなくなる。パトリシアのメールの最後にこう書かれてあった。
「ヒトナリ、私はあなたと出会えたことを忘れない。毎年が素晴らしい時間の連続だった。あなたのコンサートで聞いた日本語の歌を覚えています。サボテンの心という曲。人間は棘があるから、人を近づけない。棘を生やすサボテンの私だけど、いつか花を咲かせたい、というやつ。心にしまっておく。さようなら」
最後の「さようなら」は日本語だった。
今日、ライブが終わって、帰る準備をしていると、スタッフが「アメリカからご友人が来ています」と言ったので、どなた、と訊いたら「パトリシアとシリルと伝えてくれたらわかると」と言った。ぼくは驚き、すぐに飛んでいった。受付の前に立つ二人を見つけた時、ぼくは思わず大声で叫んでしまった。そして、ぼくは二人に抱き着いたのだ。シリルは涙を流していた。フランスでは親権を両方が持たないとならないので、離婚後も二人はずっと行き来があった。そして、10年の時を越えて、今、二人は再び三人で暮らしているのだという。ロサンジェルスで。その経緯はわからないけれど、二人の笑顔から、支配と被支配の関係が終わったことを悟った。
「話したいことはたくさんある。でも、10年の歳月が流れる中で、もう一度やり直そうってことになったの。ヒトナリ、サボテンだったのよ、私」
ぼくは今日、アンコールで「サボテンの心」をたまたま歌っていた。二人がまさかいるとは思わなかった。シリルもパトリシアも昔よりふっくらとしていた。時が流れたのだ、と思った。ぼくはもう一度、この二人と抱き合った。