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滞日日記「個展開催は嬉しいが、絵を売るということに悲しみを覚えた父ちゃん」 Posted on 2023/08/07 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、初個展が伊勢丹アートギャラリー(2月末から)で決まったのはよかったが、日が立つうちに、どうしようもなくやるせない問題が父ちゃんに押し寄せ、悲しくさせているのだった。
というのは、今まで、こつこつ描き続けてきた絵が個展会場で販売されるのである。
美術館に展示されるわけじゃなく、ギャラリーなので、販売が目的なのだ。
伊勢丹で個展が出来るのは飛び上がるほどに嬉しいものだが、手塩に掛けて育ててきた(描いてきた大事な)作品が人手に渡る、ということなのである。
画廊側から金額も提示された。値段を見て、子供を売るような気持ちになった。
ずいぶんと前から描き続けてきたのだ、当然であーる。プロじゃないし・・・。
売るということまで頭の中に置いてなかったので、自分の大切なものが、違う方のものになってしまう、ということは実に、想定外であった。
個展が決まった、と大喜びしていたが、今回、その中の一部をすでに画廊さんに納品しているのだ。画廊に残してきた子たち、どちらにしても、もうノルマンディのアパルトマンには戻ってこない・・・。えええ、そういうことか!
画家というのは大変のお仕事だなぁ、と思った。
小説ならば手書き原稿は自分の元に残るし、映画だってフィルムは監督のものだったりするのだけれど、絵は違う。絵は違うのだ。その年月が、そこから消える・・・。
そうか、そこまで考えていなかった。
画家の人たちはどうやって、この問題と折り合いを付けているのであろう。

滞日日記「個展開催は嬉しいが、絵を売るということに悲しみを覚えた父ちゃん」



小淵沢の保管倉庫に、今回行ったが、そこで昔描いていた絵を数点発掘した。
その中に一枚、F30号(91センチ×73センチ)の作品があった。
ここ最近の画風とはぜんぜん違って、かなり自由に描かれているのびのび油彩画だ。
マジックで、1996、と記されていた。
あの頃か、と懐かしい思いがした。
今とは作風もサインもぜんぜん違っているが、もちろん、この作品は個展には出さないので、永遠に自分の手元においておくわけだけれど、・・・。

滞日日記「個展開催は嬉しいが、絵を売るということに悲しみを覚えた父ちゃん」



今回、画廊さんに引き渡した作品はほとんどが、ノルマンディで製作されたものになっている。
パリで描いた作品とノルマンディで描いた作品は(タイトルは今のところ一緒だが)ぜんぜん違っていて、風景が違うので当然だけれど、ノルマンディの絵は悪くない。
英仏海峡を見下ろしながら、時間の許す限り描いてきた。
画家でもないので、自画自賛はできないのだけれど、想い出があって、三四郎が足元に寝転がって、その横で、黙々と描いた。(NHKのパリごはんではあえて撮影してこなかった。今回の番組には入ってない)
今回の個展は、les invisible「見えないものたち」というタイトルでまとめられるここ数年の作品群なのである。
ぼくらは見ているが、実は見えてないものがあって、知っているようで、戦争や、日常や、宇宙の力関係など、知らない世界があるわけで、ぼくはそれを油絵の中に隠した。
ノルマンディの風景を描いているが、街の哲学者アドリアーノも、それがノルマンディだとは分からなかった。
「アドリアン。これは抽象画じゃない。リアルな世界を模写している。ただ、ぼくにだけ見えている世界がある」
ぼく=今=世界=ノルマンディが一体になると、こういう絵になるのだ、と説明をして、ああ、なるほど、と彼は唸った。(パリのアトリエに彼が来た時、ちょうど、日本への輸送の準備をしていて、彼だけが一瞬、絵を見た)
初個展の総合タイトルがles invisibleなのだけれど、この中に、les invisible、blanc et noir(黒と白)、irreversible(不可逆的)、la croix(十字)、visible(可視)という5つのテーマに分かれていて、見えない世界を疑似可視化しているのだ。
それはいいとして、非常に複雑な絵で、一枚を仕上げるのに、ある意味、膨大な時間を擁している。もっとも、その時間は無意味なのだけれど、そこに値札がついてしまうことに、何か、得体のしれない衝撃を覚えているのである。
なので、2,3点は、その中から展示をしないで、ノルマンディに置き続けることにした。
とはいえ、手元に残すのは、三四郎がやって来た時に描いた作品とか、ノルマンディに拠点を移した初期のものばかりだ。

滞日日記「個展開催は嬉しいが、絵を売るということに悲しみを覚えた父ちゃん」



ノルマンディで描いているものは実に面白いと思う。
でも、同時に、パリで描いているものも、これが、自画自賛なのだけれど、(皆さんは父ちゃんの自画自賛には慣れていると思うので言っとくが・・・)、悪くないのだ。あはは、言っちゃった。悪くないよー。
このパリのアトリエも事務所の横の建物の最上階にある作業場で描いたもので、窓をあけると、モンマルトル、エッフェル塔、パリが一望できる。
で、ここでも、パリ版のles invisible de parisを創作しているのだ。
ともかく、父ちゃん画伯は衝撃を受けており、個展開催までに、自分との折り合いをつけて、手放すことを納得できるように成長したいと思っている。
ま、でも、ぼくだと思って大事にしてくださる方々のところへもらわれていくのは、いいね。きっと、毎晩、見つめて貰えるんだろうな。
そうだ、絵は、作家の命を削って描いた一点ものなので、同じものは、ぼくはもう描けないから、貴重だし、ぼくが死んでも絵は残る・・・。

滞日日記「個展開催は嬉しいが、絵を売るということに悲しみを覚えた父ちゃん」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。

ということで、大学生の頃の作品も今回、小淵沢倉庫から出てきたのです。年数が記されていないのですが、多分、大学生の頃にアパートで描いたものでしょう。限られた絵具で描いているのですが、これは今の作品に相通じるものがあります。たいした作品ではありませんが、息子が小学校の頃に描いた絵と同じ箱にいれて、家族ギャラリーに保管しておきますね。ふふふ。
さて、次の日曜日、いよいよ最後のオンライン小説教室です。絵は素人ですけれど、小説はプロとして、きちんと教える必要がありますね。詳しくは下の地球カレッジのバナーをクリックしてみてください。
また、映画「中洲のこども」は10日までロングラン中、あと、4日なので、まだ観てない皆さん、よろしくお願いします。
24日は、福岡国際会議場メインホールで、日本公演初日です。新しい父ちゃんのスタイルにぜひ、酔いしれて(自画自賛男)くださいね。
辻󠄀仁成 アコースティック セレナーデ フロム パリ 2023
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