JINSEI STORIES
滞日日記「初期の小説の手書き生原稿を発掘した。東京拠点ルームに展示できるね」 Posted on 2023/08/02 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ということで、ぼくは今、森の中にいる。
その家は急逝した秘書の菅間さんのご友人が今は別荘とされているところだが、その方のご厚意で、倉庫の中に、当時の自分の大切な絵とかギターなどが保管され続けてきた。
本来ならば、すぐに移動させないとならなかったが、菅間さんが不意に亡くなり、事務所の移転とか、コロナとか、いろいろとあって、どうしていいのかわからず、やっと落ち着いたので、今、人生の後始末にやってきたのであった。
ギターはなんとECHOES時代のものからザムザの頃に特注して作ったオリジナルまで、数えたら、30本!!!
絵は、イラストなどを含めるとかなりの数があって、自分でもびっくりした。
1996年の日付が付された抽象画は30号くらいの大きなもので、自分の小説の表紙にしようと思って描いたものであった。
1980年代に描かれたと思われる鬼の絵も見つかった。
他にも、たくさん。マジで、記念館が出来てしまう。
さて、これはどうしよう。
運送会社さんを頼んで、大切なものは福岡の事務所に送り、一部は東京拠点に、そして、残りは廃棄業者さんに頼んで捨ててもらうことになった。
とにかく、本も楽器も油絵も映像のデータも、ぼくの創作のほとんどがそこに眠っていたのだけれど、さすがに、パリに持っていくことが出来ず、最重要なものは東京拠点の「キッチン&ミュージアム」に展示をしようかな、と思っている。
というのは、手書き原稿、映画撮影のためのスケッチ画、手書きカット割り、創作メモ、イラスト、楽譜、ソングブックなどの詰まった段ボール箱が、200箱くらい出てきたのだから・・・。
200箱は無理・・・。
もったいない話だけれど、ほとんどを捨てた。
もう、ぼくも若くないので、全部を持っていくことが出来ない。
パルコギャラリーでやった「錆びた世界のガイドブック」のオリジナルプリントなども、捨ててしまった。さようなら。
映画やレコードのポスターなども全部、全部、捨ててしまったのだった。
夜、ぼくはこの森の住人たち数名で食事をすることになった。
この土地にも、ノルマンディに負けないくらい、親しい人たちが、住んでいたからね。
大ちゃんとか、もこちゃんとか、たくさんいらして、皆さんで、食事をすることに。
車で数分のところに住んでいる親戚の英子さんは、この日記にしょっちゅう登場する十斗の東京のお母さんがわりを長年務めてくれたミナの実のお母さん・・・。
英子さんは、実は若い時代のぼくの東京のお母さんみたいな存在で、ええと、母さんのお父さん(ぼくのお爺ちゃん)の妹の娘だったかな・・・。ややかこしやー。
ミナは、だからぼくとはハトコになるんだね。
でも、ぼくは英子さんのところで居候をしたことがあったので、英子さんはぼくのマミーであり、ミナは妹のような存在なのだ。
とにかく、東家とは縁が深い。
学生時代、文化的な英子さんがぼくの個性を引きだしてくださった。
8分の1、ポルトガルの血が入っているらしい。そんな話になった。
ご主人は童話作家の東くんぺいさんで、ぼくに自由業の素晴らしさを教えてくださった師匠みたいな人であった。46歳で星にご帰還されてしまった・・・。
彼らの家にいた短い時期に、ぼくはあらゆる可能性について学んだことになる。
鬼の絵は、この頃に描いたものだ。(見つかって、よかった)
で、みんなでご飯を食べたのだ、森のレストランで。
18時から高木に囲まれたテラス席で食事をするのだけれど、20時には真っ暗で、木々の向こう側から怪しい月が出現し、まるで、英国の童話のような世界になった・・・。
電気をつけるとでっかい蛾が飛んでくるので、蝋燭の光の中で、ひそひそ話をするのだけれど、これが楽しかった。
それに、森のレストランの洋食がこれまた、美味しいのであーる。
なんの話をしたのか、というと、やっぱり、ぼくが居候をしていた19歳くらいの頃のことで、そうそう、ぼくは今以上に好奇心のかたまりなのであった。
英子さんは85歳なのだけれど、頭の回転がもの凄く早くて、よく、当時のぼくのことを覚えておられ、出席者たちを笑わせた。
ぼくは母さんに人生の処世術を学び、この英子さんにアートを学んだように思う。
25歳の時にぼくはECHOESの一員としてアルバムデビューを果たすのだけれど、くんぺいさんはそれまで「ひとなり」とぼくのことを呼び捨てにしていたのに、そのレコードを聴いてくれた直後から、「ひとなり君」になった。
昇格したような嬉しさをを噛みしめたものであーる。あはは。
売れっ子の詩人でイラストレーターだったくんぺいさんに認められ、いやー、めっちゃ嬉しかったなぁ、も~。
もし、今、生きていたら90歳くらいかなぁ。
きっと新宿の裏路地あたり、一緒に飲み歩いていたに違いない。
今、ぼくは筋肉痛で節々が痛いのだけれど、昔日の光が、月光の心に染み入る・・・。
つづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
倉庫の中には、宮本輝さんからのお手紙や、水上勉さんから頂いた絵とか、中上健二さんとの2ショットとか、自筆の生原稿だけではなく、昭和の作家の先輩たちとの交流の記録もいろいろと出て来て、超懐かしかった。とりあえず、弟に全部託したお兄ちゃんなのでした。あはは。
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