JINSEI STORIES
滞仏日記「ついに、ああ、ついに、コロナに罹った父ちゃんであった~」 Posted on 2023/06/13
某月某日、あんなに頑張ってきた父ちゃんだったが、ついに、コロナに罹ったのであーる。
と、いっても、感染をしたのは今年のはじめ、だいたい2月頃のことなのだ。
その時はある意味、本当に大変だったので、後日談になるが、聞いてもらいた~い。
階段落ちをした3月も相当に大変だったが、2月頃のコロナ感染は衝撃であった。
パリでコロナ禍がはじまった2020年の3月から、FFP2最強マスクをつけて、三回のロックダウンを乗り切ってきたにもかかわらず・・・。
一度もコロナに感染せず、ここまで、頑張って来た父ちゃんであったにもかかわらず、・・・。
ついに、感染したのだった。くやじィ。
オランピア劇場のライブが決まった、去年の暮から、もっとも恐れていたのが、気管支炎、風邪、インフルエンザ、そしてコロナであった。
なので、用心に用心を重ね、マスクは2枚つけて過ごしたし、息子が家に持ってくる可能性があったので、話し合い、(かわいそうだけど)家には来ないようにしてもらった。
彼も歌うから、そこはよく理解してくれたのであーる。
スタッフさんにもテストを繰り返し受けてもらい、本当に用心をしていたのだ。
で、ぼくはノルマンディの田舎の家に隔離に近い状態で閉じこもり、誰ともあわないように過ごした。
ところが、何かの用事があってパリに帰らないとならなくなってて、ええと、そうだ、息子と会うことになったのだ。
で、彼とカフェで待ち合わせをしたとき、鼻水が出て、ちょっと喉にイガイガを感じた・・・。あれ?
あれ、おかしいなぁ、と思って、一応、軽い気持ちで検査を受けたら、まさかの、陽性反応だったのである。
それで、主治医の先生に相談をし、ライブが3か月後だから、どうしても悪化させられない、と伝えた。
すると、バイデン大統領が飲んだ薬なるものを処方してくださったのだ。
これが、発症して48時間以内に飲めば、コロナを封じ込めるというお薬であった。
半信半疑だったが、服用したら、これが、効いた。
熱が出たのは3日間くらいで、喉の痛みもすぐにひき、5日目には陰性に戻っていた。
薬局のテストでも陰性となった。
息子に発症直前に会っていたのだけれど、彼にはうつしていなかった。ふー。
まもなく、日常生活が戻っていたのだけれど、用心をして、田舎に戻り、人と会わない生活を続けたのであーる。
※ これは、1000年以上前から、邪気払い、または、場の浄化に、よくつかわれるホワイトセージである。これに火をつけると、ちょっとお線香のような香りがするのだ。父ちゃんはつねに、場を浄化しているのじゃ。
ところが、感染したことが分かった時、この時、ぼくは相当に打ちのめされることになった。
というのは昨年暮れに罹った、気管支炎は完治までに1か月以上の歳月を要したからだった。
しかも、咳が酷く、体力が消耗し、体重も激減した。
今年の初頭にコロナの陽性になった時、頭をかすめたのは、もしも、長引いてオランピアライブに影響したら、という恐怖だった。
なので、主治医の近藤先生に即座に連絡をし、対応してもらったのである。48時間以内に飲まないと効力がない薬を、ぼくは少なくとも感染発覚から24時間以内に飲んでいた。
そのおかげで、コロナは悪化せず、まもなく鎮静したのである。
この時ばかりは、必死であった。
事務所のスタッフの応援があったからこそ、乗り越えることが出来たのだ。感謝である。
その時、相談をしたとある関係者が面白いことを言った。
「今でよかった。ライブ直前だったら、大変だった。ある意味、おめでとうございます」
マジ、その通りだった。捻挫の時にも知り合いに同じようなことを言われたっけ。早ければ早い不幸の方が乗り越えるチャンスがある、ということなのだ。
「ありがとう。助かりました」
「辻さん、これでもうライブまでのあいだは免疫が出来て、罹らない可能性が高いですね」
「ああ、確かに」
でも、3度のロックダウンの時には一度も罹らなかったのに、こんなに注意をしても罹るのだ、から、正直、防ぎようがない、と思った。
何度も何度も、どこで感染したのか、一生懸命に考えるのだけど、不思議なことに、誰とも会ってないのだ、思い当たる場所がないのだった。
この時期、長谷っちとも、スタッフさんとも会ってない。
逆をいえば、それほど、コロナは日常生活の中に普通に入り込んでいるということなのかもしれない。
陰性に戻った時に、日記に書こうとしたのだけれど、そこでもまた、スタッフの長谷っちが、
「先生、ファンの皆さんを心配させない方がいいですよ、たいしたことなかったのだから、落ち着いてからにしたらどうでしょう。まずはライブに全力で挑んでください」
と、すごくもっともなことを言ってくれたので、その日記はボツにして、世に出さないことにしたのだった。
いやはや、大変な状況であった。
そもそも、ぼくは絶対感染しない自信があった。
マスクは今でも必ず装着して外出しているし、部屋には3個の加湿器が回っているし、カフェとかレストランにはいかなかったのだから・・・。
でも、コロナウイルスはどこからやって来て、ぼくを陽性にしてしまった・・・。謎だ。
オランピア劇場ライブはかくして成功したが、思い返すと、コロナに感染し、階段から落ちて足をねん挫し、ほかにもいろいろとあって、よくライブが出来たものだ、とつくづく思うこの半年間だった。
4月と5月は禁酒もやって乗り切ったオランピア・ライブであった。
これから、日本公演に向けて、また、マスクと加湿器と要注意の日々に入ることになる。
いやはや、シンガーは、大変だ。
これからもいっそう用心をして頑張る所存である。
熱血、あるのみ!!
人生はつづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
ということで、今だから話せる後日談でした。ほとんど、症状もでなかったので、いったい、あれはなんだったのだろう、と不思議な気持ちだけが残っています。ま、ライブが成功してよかったです。
さて、6月18日、サンジェルマン・デ・プレ界隈を散策するオンライン・ツアーがありますよ。オンラインで、パリの夏の風景をお楽しみください。ブラタモリならぬ、ブラツジ、しまーす。お付き合いください。詳しくは下の地球カレッジのバナーをクリックね。7月エッセイ、8月小説教室もありますよー。熱血~。