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退屈日記「主婦、久田早苗、49歳からの挑戦。現在、75歳の熱血に父ちゃん震えた」 Posted on 2023/06/11 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日は、「ぜひ、お会いして執筆をお願いしたいことがあります。会って頂けますか?」と久田さんに言われ、オペラ地区まで出かけた。
マダム・久田早苗は、世界的にも希少なチーズ熟成士の資格を持つ、いわば、日本のチーズの窓口のような人物なのである。
パリのチーズ屋、HISADAは、父ちゃんのコンサートの応援団をやってくださった。
オランピア劇場のコンサートが成功したのは、日仏の人たちに広めてくれた、久田さんたちの地道な愛と努力の賜物なのである。
なので、恩返しできるのであれば、と思って、オペラまで出かけた父ちゃんであった。
しかし、もちろん、出来ることとできないことがある。
身構えていると、マダム久田さんが「実は辻さん、49歳からはじめた私の挑戦を、自伝として世に出したいのです」と言った。
もちろん、父ちゃんはマダム久田がどんなに頑張ってフランスのチーズを日本に広めたのか、そのおおよそを、知っている。
でも、誰かの自伝を書くほどの精神的余裕も、時間も、パワーも、今の父ちゃんにはないのも明らかであった。
本当に、オランピアで、自分の全精力を出し尽くしたのだから・・・。
「ごめんなさい。今まで、いくつかそういう自伝の執筆の依頼を受けたことがありますが、いまだ一度も、書き上げたことがないのです」
ぼくは当然、誰かのために時間を割く余裕など、ないのであった。
すると、久田さんは、ですよね、とがっかりされたのだ。

退屈日記「主婦、久田早苗、49歳からの挑戦。現在、75歳の熱血に父ちゃん震えた」



そこからは雑談になった。
75歳のマダム・HISADAがどうやってチーズを日本で広めたのか、という話に。
仏語も最初は一切喋ることが出来なかった彼女は、49歳で一台決意、渡仏し、チーズのことを勉強しはじめ、53歳で、チーズ熟成士の資格を、日本人として、はじめて取得するに至った。
熟成士というのは聞きなれない言葉だが、要は、生産者が作ったチーズを自分色に染めて(アフィネ)新しいチーズを創造していく、人のことだった。
その第一人者になった久田さんは、53歳を過ぎて、パリ16区に、自分のチーズ屋を開店することになる。当時は、日本人界隈が、ざわついた。
日本人が本場、フランスで、しかも、一等地の16区でチーズ屋を開店するのだから。
20年ほど前のことである。
かくいうぼくもその頃、人づてに日本人が経営するチーズ屋があると聞いて、足繁く買いに出かけ、その出来栄えにうなった一人であった。

退屈日記「主婦、久田早苗、49歳からの挑戦。現在、75歳の熱血に父ちゃん震えた」



それから20年の歳月が流れた。
16区からオペラの中心地に店を移し、さらに、久田早苗さんの娘のえりさんが受け継ぐことになったが、早苗さんのチーズ愛は衰えることはなかった。
彼女はチーズの本質を日本に届けるために、日々、頑張っている。
病気になって、聴力を失っても、手術で乗り越え、現在も、その仕事を続けているのだった。
49歳でスタートしてから、75歳までの彼女の人生は、実に波乱万丈の連続なのだった。
49歳といえば、人生の半ばを過ぎた年齢である。
50歳を前にして、なかなか人は人生をスタートすることが出来ない。
でも、彼女はアクセルを踏んで、53歳で熟成士の資格を取得、自分の店をパリの一等地に出したのだった。
そこまでも、すごいが、それからも大変の連続だったに違いない。
でも、彼女はやり切った。
来年、日本でチーズを販売しはじめて40年の節目なのだという。
その記念すべき年を祝して、本にしたい、という依頼であった。
ごめんなさい、とぼくは真っ先に謝った。
ぼくに、その時間がないのだ。
チーズを一から学び直し、久田早苗さんの人生をなぞる時間がない。
しかし、その情熱を失わず、日本にチーズを普及させることに全精力を傾けた一人の女性の生涯をぼくは知っている。
今日は、呼び出されてとっても響いた一日であった。
ここにも、もう一つのすさまじい熱血、があった。

退屈日記「主婦、久田早苗、49歳からの挑戦。現在、75歳の熱血に父ちゃん震えた」

※ シェーブルチーズに、まんべんなく、菌がいきわたるように、つまり、あかごに愛を与えるように、一つ一つ、手で、愛を注いでいるのである。



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
父ちゃんは、こういう依頼をきちんと受け止め、考えて、その人の気持ちになって、お断りするとしても、何かできることをしてあげたい、といつも思っているのであります。だって、同じ宇宙的時代に生きて、同じような熱血を持っている人なのですから・・・。別に本にしなくても、ここで、連載でもすればいいのに、と思ったのでした。皆さん、よろしく、お願いいたします。
さて、今日、6月11日が、父ちゃんの日本公演、チケット応募の締め切り日となりますよ!!!

「辻󠄀仁成 アコースティック セレナーデ フロム パリ 2023」
Tsuji Acoustic Serenade From Paris 2023
出演アーティスト:
辻仁成(Vo・Ag)/Dr.kyOn(Piano・Chorus)/ユン ファソン(Flugelhorn・Trumpet・Chorus)
各会場:
8/29(火)愛知・名古屋DIAMOND HALL
open18:00/19:00
8/30(水)東京・EX THEATER ROPPONGI
open18:00/19:00
9/3(日)京都・京都劇場
open17:30/18:00
さて、デザインストーリーズから、一般発売に先立ち、オフィシャル最速先行、のお知らせを行いします。特別に、「ぴあ」内に、このミニツアーの先行窓口が6月11日まで設置されています。
チケット購入を希望される皆さんは、下のURLをクリックお願いいたします。

https://w.pia.jp/t/tsujihitonari-k/

最速先行発売期間、5/30(火)09:00~6/11(日)23:59/日本時間

※ 6月18日の地球カレッジは、サンジェルマン・デ・プレ界隈を散策するオンライン・ツアーです。詳しくは上の地球カレッジのバナーをクリックしてください。

地球カレッジ

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