JINSEI STORIES
第六感日記「ぼくが考える死について。なぜ、ぼくは永遠の現在にいるのか」 Posted on 2023/01/24 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、死というものを考察していたら眠れなくなった。
人生というのは「繰り返し」の連続なのである。
で、その最後に「死」があるようだけれど、その「死」で人生が終わるということについて、実は、だれも(自分の死を)立証することができない。
生きている人間は、死を経験した人がいないからである。
死の淵を彷徨い、生還した人が臨死体験などを語るけど、それは脳の問題なので、一旦脇においといて、天国を知っている人はいないということになる・・・。
知っていると言い張る人はいるけど、ちょっとその人たちも横においといて、笑、ようは、人間の終わりについて、明確に言える人はおらず、誰も知らないのである。
死の先に行った人が振り返る時に、死、が確定するのだけれど、死んだら終わりじゃ、という概念からすると、その死を確定できる術は生きている人間にはないということになるのだ。
ということは、繰り返し繰り返しの人生が永遠と続いていることになって、というのは、ぼくらは生まれた時の記憶すらないので、或る時から以降の記憶しかないわけで、すなわち、他人の死を見ているから死とはこうだという固定概念があるけれど、実は、それが自分に起きた場合、どうなるかは、わからないのである。
つまり、結論として、人間は、永遠に死を知らないで終わることになる。
こういうことを夜中に考えていると、眠れなくなるので、幻の妻でも呼び出して一緒に飲もうかな、と思って、一生懸命、ウイスキーを舐めたのだけれど、ついぞ、出現しなかった。あはは。
人間は、夜、眠り、朝に、起きる。
ごはんを食べ、排泄をし、何かやるべきことをやって、再び、ベッドに潜り込むのだけれど、一日は短く、起きたら、次に、寝る日々の中にあって、鏡を見ると、少しずつ、老けていく自分はわかるのだけど、そういう「繰り返し」の中にい続けている。
つまり、ぼくらは常に始まりも終わりもない永遠の現在にいる、ということなのだ。
死は、生がそうであったように、認識できないので、死があるのかどうかも、実は疑わしいわな、と気が付いた。
ウイスキーを飲みすぎたかな、と思いつつも、だとすると、この繰り返される永遠の現在だけが、そこに在ることになる。
なるほど、そうであったか、と足元を見ると、三四郎が噛み千切ったぬいぐるみの破片、(三四郎にとってはそれは大切なものなのだけれど)が転がっていた。
NHKのSさんから頂いた『噛み癖をなくすためのぬいぐるみ』であったが、見事に噛み砕かれ、しゃぶりつくされている。
三四郎になってみよう。
三四郎も同じように、寝て、起きて、を繰り返している。
彼の喜びは「ごはん」「散歩」「昼寝」「おやつ」「パパしゃんと遊ぶこと」なのである。
三四郎はぼくのように生死について考えることも、社会保障や税金について悩むこともない。
彼は夢をみて、よくうなされるが、彼が抱える世界にも、人間に負けない、いろいろが存在するのである。公園で大きな犬に追いかけまわされるとか、・・・彼にとっては怖いものが存在している。
しかし、彼もまた、永遠の現在を生きているのである。
ある時、ぼくの側から見ていると彼に死が訪れるかもしれないが、彼自身はその死を知る(認識する)ことすらない。
苦しいかもしれないが、そこで終わるので、これが「死」だと気づくことはない。そもそも、犬に「死」の概念はない。
同じように、ぼくも「死」を疑い始めている。テレビや学校や社会で学んだ「死」という概念は、あまりに固定化されすぎてはいないか・・・。
終わるという概念があいまいなので、固定概念で考えるところの「終わる」としか説明できないのだけれど、それを見ている人には「死」と定義することが起きたとして、その定義出来た自分の死については、みんな、最後まで曖昧でわからない。
というか、永遠の現在であるならば、最期、なんてないのかもしれない。恐ろしく悩ましい曖昧ではないか。
これはウイスキーの呑みすぎのせい?
そんなことを考えながら、幻妻を待ったが、出てこなかったので、「もう、寝なきゃ、明日が大変になるぞ」と自分に言い聞かせ、グラスをキッチンに持っていったら、そこにも、ぬいぐるみの破片が転がっていた。
どうやら、足の痕跡のようである。
この記憶の残骸のような光景のなんとも、美しいことか、と思いながら携帯に記録をした、夜中の三時に・・・。
風呂場で寝ている三四郎を確認に行ってから、ぼくはベッドに潜り込んだ。
ほら、また、寝ようとしている。そして、起きたら日記でも書くのであろう。(やっぱり、書いている)
この永遠の繰り返しの中にしか、ぼくは存在しないのだ。
「どこから来てどこへ行くのか」と若い頃の僕はずっと考えていた。
小学生の頃、授業中、ぼくは目の前の好きな女の子の後頭部を見つめ、なんでこの子が考えていることをぼくは理解できないのだろう、と思った。
そこから、ぼくの思考の探求はスタートしたのだ。
あの頃、毎日、「どこからぼくは来て、この子も来て、ぼくらはどこへ行くのだろう」と思っていた。
今は、ちょっと違う。
ぼくらは「どこからも来ていないし、どこへ行くこともない。ずっとこの繰り返しの中にいるのだ」と考えているのである。
さて、
つづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
こういうことを毎日、少しずつ考えて、頭の中で整理をしているんですが・・・、これが今書いている小説「動かぬ時の扉」の主題なのであります。エッセイにすると、ふーん、で終わることですけど、小説には可能な世界があります。ぼくが生きている間ずっと書き続ける、終わりのない小説になる予定なんですけど、あはは、どうなることでしょう。
さて、お知らせです。
29日の日曜日に父ちゃんのオンライン・熱血文章教室を開催いたします。気まぐれ文章教室ですから、脱線もありつつ、楽しく文章を学んでいくような講座になれば、辻父ちゃん講師も本望です。
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5月29日のオランピア劇場での父ちゃんの単独ライブ、これはね、たぶん、もう生涯で一度しかできないライブだと思います。間違いなく、ぼくの歴史の中で、最高の瞬間になるはずだから、見に来てほしいです。DeepForestのゲスト出演も決まったことだし!!!!!
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そして、NHKの「パリごはん」来月、新作(秋冬編)が登場をします。
2023/2/17(金)後10:00~10:59【BSプレミアム・4K同時】です。ついにちくわず男の義和Dが編集に入った模様です。4か月半に及ぶ、父ちゃんのアフター子育ての記録です。引っ越しあり、三四郎との旅もあり、てんこもりですぞ。
「辻仁成のパリごはん 2022年秋冬」(59分)
そして、再放送もあります。
2023/2/21(火)後5:00~5:59【BS4K】※再放送
2023/2/21(火)後11:00~11:59【BSプレミアム】※再放送