JINSEI STORIES
第六感日記「静かな恐怖。幽霊と対面する直前、怪しい夜の虹がぼくの館を覆っていた」 Posted on 2022/12/09 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、築160年前のこの館に居を構えてから、奇妙な現象が続いている。
階段で見知らぬ少女とすれ違ったり、幽体離脱のようなことが起きたり、しかし、これはその序章に過ぎなかった。
一昨日、ぼくのアパルトマンの柱に、人型の模様が出現しはじめたのだ。
どくろの模様も現れた。三四郎が夜中に「うううう」と唸り声を張り上げた。普段、吠えない子が、明らかに何かを察知し、攻撃態勢に入っている。
「どうした、三四郎?」
このポーズは敵対的な相手が出現した時にとる三四郎の行為であった。今にも飛びかかりそうな感じで、ある。
ぼくは三四郎の背後に回り込み、彼が睨んでいる方を見た。
風呂場の突き当りに、何かがいた。でも、それは次の瞬間に消えた。古い写真の中に出てくる人のような残像がぼくの網膜に焼き付いていた。
ぼくは驚き、バスルームの方へと歩いてみた。手探りでスイッチを探し、灯りを付けた。
8畳間ほどのバスルームで、風呂、手洗い場、奥にトイレが設置されている。異常なし。変わったことはなかった。
三四郎がやって来た。
「誰かいたね」
三四郎がぼくを見上げた。
その次の瞬間、地下の方から、配管を叩く音がした。規則正しい鉄の音である。
三四郎に餌を与え、ぼくは夜の散歩に出かけることにした。
この建物は160年前の洋館で、建立された当時、ここはクリニックだった。
博士がいて、患者さんがいて、何か特別な治療を施していた、というようなことを、下の階の矍鑠紳士に教えてもらったことがあった。
どんな治療をここで行っていたのかは、もはや、誰も、わからない。
近代科学と魔術のようなものが混ざった不思議な治療だったようで、フランス全土から、ここに特別な治療を受けに、人が集まっていた、という噂・・・。
ぼくのアパルトマンは最上階、五階なのでここは当時の女中さんらが住んでいた場所なのだろう。
当時はいくつもの小さな部屋に区切られており、数名の女中さんらが暮らしていた。
3階の矍鑠紳士のアパルトマンは天井が高く、そこが博士の居住空間であった。うちの下は多分、博士の寝室のようであった。
1階と2階がクリニックだったようだ。一階はかなり広く、地下にもつながっている。建物の裏側に掘っ立て小屋があり、そこで、暮らしている男性がいる。
1階に住んでいる夫婦の息子さんで、ここのある種の管理人のような役割を果たしているが、ぼくは一度か二度しか顔を見たことがない。鉄の配管を叩く癖がある・・・。
青白い顔の、髭の剃り跡が痛々しいおじさんなのだ。彼の住処とここは、半地下の通路で繋がっている。
三四郎と外に出ると、満月が屋敷の上にかかっていた。
奇妙な月であった。
怪奇現象が前にも起きたが、その時も満月であった。
教会まで三四郎と散歩をしたのだが、月光がぼくらの上に降り注いでいた。
この教会もとっても不思議な教会で、昨日、棺桶が、石段の途中に放置されていた。何だろうと思って近づいたら、棺桶だった。
すると、教会の中から黒装束の人たちが出て来て、棺桶を取り囲み、抱えたのだ。
重みがあったので、中に死体が入っているようだった。その人たちは無言で、棺桶を抱えて、教会の中へと入っていったのだ。
「戻ろうか?」
ぼくは三四郎のリードを引っ張って、踵を返した。
すると、目の中で奇妙な現象がおこったのである。
正確に言うと、霊魂のようなエネルギー体がぼくの顔の前を通過したのである。
「うわ」
急いで、三四郎のリードを引っ張り、自分の建物の方へと坂道を駆け上がった。
すると、ぼくが見上げた屋敷の上空に、夜なのに、虹がかかったのである。
ぼくは驚き、動けなくなった。
慌てて、携帯を取り出し、撮影をしたが、その一部しか映っていなかった。
それがその瞬間の写真である。
家に帰り、三四郎をベッドに寝かせつけ、ぼくは自分の部屋へと入った。
室内が、あかりもついていないのに、明るかった。文字が読めそうなほど、明るかった。
パジャマに着替え、窓の外を見たら、怪しい月が少し離れたところにあるお屋敷の上にかかっていた。
まるで人格のあるような奇妙な月であった。
「何を言いに来たの?」
ぼくは問いかけてみた。
返事はなかった。暫くの間、屋敷の上にかかる月を見上げていたが、埒が明かないので、ぼくはベッドの中へと潜り込んだのだった。
その後、ぼくは悪夢とは言えない奇妙な夢を見た。
誰かが、ぼくに、耳元で何かを伝えようとしているのだ。大勢の人が、ぼくの耳元で語り合っている。ひそひそと、小声で、言った。
それは古いラテン語のようで、ぼくには理解が出来ない。まるで呪文のように、低いリズムを奏でているのである。
ぼくは夢の世界から引き戻されてしまった。
ドアの向こう側から、三四郎の唸り声が聞こえてきたからだ。
ううう、ううう・・・。
ぼくは、サンシー、寝なさい、とつぶやいていた。でも、唸り声は鳴りやまないので、頑張って、目を開けたのだ。
すると、ぼくの目の前に、少女の顔があった。
青白い女の子の、笑い顔・・・。あああああ!
少女といっても中学生ぐらいか。
ぼくは思わず、大きな声を張り上げてしまった。次の瞬間、その子は、壁の前に、たぶん、立っていた。青白い顔をした少女だったが、笑っていた。笑っていた。
その後、その子は壁の向こう側へと消えていった。戻って行くように・・・。
三四郎がついに吠えた。
ぼくは起き上がり、月光の中で少女が消えた壁を見つめた。夢ではない。三四郎が吠え続けているのだから・・・、真夜中に。
何かに呼ばれたような気がして振り返ったら、窓の向こうに、あまりに怪しい月がいた。
月がいたのである。
※ その時、窓の向こう側にあり、この世界の全ての悲しみを吸い込むような、あまるで魂のように、輝いていた月・・・。
つづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
結局、眠れくなり、今、仕事部屋で思い出しながら、これを書いているのですが、それとは別の月が今、海の上に出ています。
ぼくが見た月は山側の月でしたから、あれは本当に月だったのか、わかりません。海側の月は穏やかです。
ぼくに危害はなく、三四郎はもう爆睡しています。
怖いということはないのです。でも、あの少女はきっと前に階段ですれ違った子で、この館で悲しく亡くなったのだろう、と思いました。その子がここいることが分かったので、ぼくにはしなければならないことがあります。時間をかけて、その魂を、成仏させてあげなければ、と思いました。
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※ 海側の月です。よくみると、やっぱ、ちょっと怪しいですね。
気分をかえたい、皆さん!!!
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