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滞日日記「最後の晩餐は美女じゃなく、むくつけき義和と。でも話すこともなく悲惨な夜」 Posted on 2022/11/25 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、色気のない父ちゃんだが、日本滞在最後の夜くらい女性と食事をしたかった。別に変な意味ではなく、そういうロマンスもなく、ぼくは結局、この最後の晩餐をむくつけきNHKBS「パリごはん」のディレクター西山義和とはしごすることになったのであーる。
あの番組は2021年、フランス全土における3度目のロックダウン中に第一回が収録されたのだ。その時に自分にはむかないと思って、一度だけの出演と決めて終えたはずなのに、気が付けば、すでに、5回も続編が続いており、なんと、今は6回目の撮影中。
しかし、一度もうちあげをしたこともない、という関係でここまで来てしまった。制作会社さんとは、そういう関係だと思って貰っていいと思う。事実だから。
毎回、今回で終えたいと思っているのだけど、視聴者の皆さんがNHKに電話をしてくださるので、NHKの編成?の方々の期待があがって、ここまで続いたというのが真実かもしれない。感謝しかない。
だけど、どこまで本当に製作者さんらはこの番組を思っているのかは、わからない。
何せ、打ち上げもやったことがないのだから。
ZOOM会議もあんまりない(たぶん、今日までで3回くらい?)
ようはぼくが勝手にカメラ回しているのを義和が上手にまとめているというスタイルで、ここまで続いたある意味、作為のない、まぐれの番組なのであーる。
だからこそ、ぼくは不安というか、そんな番組が人気なわけはない、と思い込んでいるのも真実。
たまたま、今回、日本滞在中に生で再放送を観る機会があったが、ぼくには恥ずかしいばかりで、良さがわからなかった。60過ぎのロン毛のおやじ、実に、奇妙であった。
あれは、ホラーか? ほら、あはは。

滞日日記「最後の晩餐は美女じゃなく、むくつけき義和と。でも話すこともなく悲惨な夜」



ということで、今回、第6回目の収録中だから、ディレクターの義和くらいにはご馳走をした方がいいだろう、と思った優しい父ちゃんなのであった。
やっぱり、人間関係って一緒にご飯くらい食べないと成立しないこともあるし、何せ番組名が「パリごはん」なのだから、ごはんも食べたことのない相手と番組を作るのはどうなのか、ということはあるだろう。
今回で最終回になるかもしれない相手だからこそ、ぼくは膝を付け合わせて飲みたかった。
気まぐれで、呼び出したら、来る、というので、ま、奢ってやることにした。年上だし・・・。笑。
最近、いきつけになった「あけみちゃん」の店のカウンターに並んだ。マスクを外した義和にびっくりした父ちゃんであった。
「あんた」
「はい」
「いや、へー、あんたそんな顔をしていたんだ。ほー」
「え? あ、すいません」
今の時代、マスクをしているので、(ZOOM会議でもマスクをしている)、相手の顔が分からない現象が起きている。
これは今の時代ならではだろう。6作も一緒に番組を作ってきたディレクターの顔がわからなかった、というのだから実に面妖である。
「いや、なんかイメージしていた顔と違うんだよね。そうか、そうきたか。まいったな。ぼくの中の義和的なものと違うので、びっくりした」
「はー」
そういって、義和が頼んだのは「ちくわぶ」であった。
知り合いで「ちくわぶ」をいきなり頼んだ奴ははじめてなので、それもびっくりした。
おでんは、大根とたまごから頼まないといけないものだと信じていた父ちゃん、ちくわぶ、から来たところで、この義和という人間の78%は見抜くことが出来た。
ところで、どういう会話をしたのか、覚えてないのだ。
ぼくの横にこの男がずっといたのは覚えているのだけど、黙々と食べている。
最初に、ちょっとだけ、カメラについて話をしたが、それも結論的にどんな話だったのか、ぼくは覚えてない。何を喋ったのか、いい意味で、心象に残らないタイプなのである。
すると義和が、
「すいません。そのアボカド岩のりっていうのをください」
といきなり注文をした。おっと、・・・。
話はとくにないけど、注文はがんがんしていたのは気に入った。ぼくは意見を言うより、黙って食べてくれる人が好きなのだ。
そもそも、数多あるメニューの中からぼくが絶対に頼まないような「アボカド岩のリ」なるものを頼んだ男ははじめてであった。
するとあけみちゃんが、それ、美味しいのよ、と言った。
で、出てきたものがこれである。
めっちゃ美味かった。これを注文するところが義和的なのか。嫁の恵子(同じ制作会社のプロデューサー)はどう思っているのだろう。嫁の恵子もアルプスで育ってそのまま40代になったような人物である。
「恵子はぼくの5歳下なんです」
それかよ、話したいのは・・・。てめー。

滞日日記「最後の晩餐は美女じゃなく、むくつけき義和と。でも話すこともなく悲惨な夜」

滞日日記「最後の晩餐は美女じゃなく、むくつけき義和と。でも話すこともなく悲惨な夜」



だいたい、ぼくは料理を作ってこういう身体の大きな男(180センチくらいある巨漢)にふるまうのが好き。自分は食べないで、ゆっくり飲んでるタイプなのだ。
しかし、ディレクターなのだから、番組のこととか、何か普通は話さなきゃならないこともあるだろう。ぼくがディレクターだったら、番組の改善点とか、何か言うだろう。
今、秋冬編の「パリごはん」を父ちゃんが頑張って自撮り撮影中しているのだから、労う、とか、あるいは、こういう料理を作ってください、と意見を出すとか。
『フランスにも鍋料理とかあるんでしょうか? もしあるなら辻さんの鍋料理食べてみたいなぁ、義和的に』
とか、訊けば話が弾むのに、こんなに弾まない相手も珍しい。
で、彼は豚の中華風スペアリブを黙々と食べているのであーる。なんか言いたいことはないんかい?
「どう?」
「美味しいです」
「でしょ?」
「はい」
これは会話じゃない。

滞日日記「最後の晩餐は美女じゃなく、むくつけき義和と。でも話すこともなく悲惨な夜」



NHKの番組を作ってるディレクターが、番組の話もしないで、2時間、ひたすら食って飲んでるって、変じゃないか。
「すいません、ビールください」
注文はする。
ぼくは焼き鳥を食べたい、と思ったので、お店の人に何が美味しいですか? と訊いたら、「首よ」と言われたので、せせり、を頼んだ。
ところが僕の知らない間に義和は焼き鳥を三皿食べていた。一皿に二本入っている。次にぼくが記憶している会話は、
「わ、このレバーでかい」
であった。
それかよ、と隣で泣きそうになっているのは、パリの父ちゃんである。
わざわざ最後の晩餐、並み居る美女たちの熱視線をむげにして、この義和を選んだのに、この男は、レバーがでかい、と一言言っただけだ。なんなんだ。
大物かもしれない、と父ちゃんは誤解をした。
「すいません。肉豆腐ください」
その辺のところまでの記憶はあるが、この男がしゃべったのは、注文、であり、意見でも主張でも哲学でもなかった。
「どうやって恵子と結婚したの?」
「はい、恵子は同じ制作会社勤務だったんですが、ぼくが先にやめて、その後、結婚したんです」
「へー」
どうでもええわ。

滞日日記「最後の晩餐は美女じゃなく、むくつけき義和と。でも話すこともなく悲惨な夜」

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ぼくが記憶している彼との唯一の会話はそこだけ。
それでも、その制作会社はNHKの番組をたくさん作っているのだというから、NHKのことが心配になった。
そこを出たあと、「あやのちゃん」のワインバーに行き、オーストラリアのスパークリングワインを一本頼んだ。
ぼくはこれ以上の会話はない、と判断をし、支払いをして、途中で席を立った。
「いいよ、見送りとかしないで」
と言ったら、ほんとうに見送りをしないで、義和は、店に残ってお客さんと飲んでいた。
面白い男である。
パリに帰ったら、秋冬版のパリごはんの撮影をがんばろっと。

つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
あやのちゃんのお子さん、こっふぃちゃんがぼくに懐いたので、ぼくは二軒目でずっと2歳児と遊んでいたのです。ちなみにこっふぃは一度も義和を見ませんでした。決して見ませんでした。こっふぃはぼくの手を握ったりしに来たのに、義和は眼中にない感じでした。ぼくは本当に、子供と動物には愛されるのです。そのことだけは、義和はわかったと思います。それでよかでしょう。

地球カレッジ

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