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滞日日記「入院した母さんのその後、そして、ぼくの人生のその後を考えみた」 Posted on 2022/11/21 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、秘書の菅間理恵子が急逝して一年が過ぎた。
ぼくの秘書を30年ほどつとめてくださった。菅間さんがいたから、ぼくはなんとか今日までやってこれたのだ、と改めて思った。
菅間さんと事務所をスタートさせた30年前のことを振り返って懐かしく思った。感謝しかない、とはこのことだろう。
近頃、この問題、菅間さんならどう対応したかな、と思う案件ばかりである。
昨日、救急車で病院に運び込まれた母さん、今日は日曜日なので、特に検査も治療もないのだ、という。それだけ緊急性がないということだ。とりあえず、よかった・・・。
軽い脳梗塞だったらしいが、よくわからないけれど、もう、呂律も戻り(が回り)、手足も動くので、喋りたいし、動きまわりたくてうずうずしているのだそうだ。
「自由がほしい」
と看護師さんに訴えているということを弟から聞いて、母さんらしい、と思った。
「自由」って、あなたね、まずは、安静にして、リハビリをしてくださいね。
ぼくら兄弟は、月曜日の検査結果を待つことになった。

滞日日記「入院した母さんのその後、そして、ぼくの人生のその後を考えみた」

※ さんちゃんも心配しているのだ。



昨夜、48時間ほど、何も食べてないことに気が付いて、夜中にコンビニに走ったら、お弁当がずらりと並んでいて、思わず衝動買いをした、父ちゃん・・・。
料理会で23人分の豪華な料理を作ったのはいいが、自分はコンビニ弁当なのが、面白い。
しかし、このつけ麺、美味かった。(もちろん、買ったのはいいけれど、半分も食べられず、日曜の朝飯用に残ってしまったのであーる)
なんで、フランスには24時間開いているセブンイレブンとかローソンがないのだろう、と思った。利用者がいない、ということと、働く人がいない、という問題がある。
日本もコンビニは(特に深夜は)日本語の上手な外国の人ばかりである。
「すいません。ギターを福岡に送りたいんですけど、ここから宅急便だせますか?」
インドかパキスタン人だと思うけれど、若い青年が、
「あ、ギターですか、ちょっと待ってくださいね。・・さん、すいませーん」
すると、中国名の名札の女性がやってきて、
「梱包されていれば可能ですよ。ギターケースが傷つかないようになっていますか?」
と言われた。めっちゃ日本語が上手で、毎回、驚くのだ。
「きちんと梱包しました」
「ただ、高価なものは難しいかもしれないです」
「大丈夫、もう、ボロボロのギターだから」
2人は笑顔になった。
「コロッケ、ください」
「はい」
何だろう、この安心感、と思った。癒された。
深夜、二時とか、三時のことである。
もっとも、食い意地はあるのだけど、術後だから口が開かない・・・・。ううう。そうか、自分もまだ術後だった・・・、あはは。

滞日日記「入院した母さんのその後、そして、ぼくの人生のその後を考えみた」

※、真夜中に広げたコンビニ弁当・・・。食べきれない。



顔の腫れも痣も消えた。
健康というものも、この年齢になると確かめながら進んで行かないとならない。ますます、生きるのが大変になるなぁ、と思った。
昔みたいに無茶もできなくなったし、高齢の親のこと、ぼくや弟も若くないし、いろいろと今後のことを視野にいれて生きていかないとならないのである。
思い通りに人生をかじ取りできない年齢になってきたのかな、とコンビニ弁当を食べながら、思った。
息子が社会人になるまで頑張ったとして、その後の人生をぼくはぼくなりにイメージしていこうかな、とつけ麺を食べながら思った。
世にいう「老後」って、よくよく、考えてみると、老いた後、ということだが、老いるというのはどこからを指し、またいつからを「老後」というのかが難しい。
大学生の頃、63歳は立派な老人だったが、今、ぼくの周りの60代はみんな元気で、お爺ちゃんという感じの人はいない。
10歳くらい上のミュージシャンや大学教授たちとも最近よく仕事をするけれど、みんな頭も身体もしっかりしていて、老人、ではない。
何をもって老後であり、老人なのか、線引きは自分で決めるしかない。
ぼくは80歳になっても、セクシーなお爺ちゃんでいたいなぁ、と常々思っている。セクシーというのはエロっぽいということじゃなくて、どこか雰囲気のある、自分の肉体と精神を若々しく保っている人、多少、エッチな人とか、いいね~。思考の柔らかい人。
色香というか、背中の線とか、へーとか思うくらい綺麗なご高齢の人がいるけれど、そういう人を目指したい。
あ、数年前に、岸恵子さんと日本大使館で面会したことがあって、あまりに綺麗な人だったので、驚いたけれど、彼女、1932年生まれだった。
ぼくは、拙著「ダリア」を手渡したら、とっても好きだったのよ、とあとで菅間さんのところに連絡があった。あの本はなかなか難しく、若々しい感性がないと理解不能なものがあるのに、・・・。
母さんよりも年上なんだ、岸さんって、と今、改めて驚いた次第である。

滞日日記「入院した母さんのその後、そして、ぼくの人生のその後を考えみた」



岸恵子さん、多分、お会いした時は、今のぼくの母さんより、ちょっと若いくらいだった(多分、80歳ちょっとだった)はず、でも、背がぴしゃっと伸びていて、魅力のある人だった。
今、岸さん、90歳なのである。
何を思い、どこを見つめているのだろう、と想像する。
人生百年の時代をぼくらは生きている。医療技術も進んだので、健康に注意をすれば、長生きは可能である。でも、どう生きるか、が問われるのだろうなぁ、と思った。
ぼくがノルマンディに居を構えたのも、きっと、生きようと思ってのことだろう。生きるならば、雑音の届かない自然と向き合う世界がいい、と思った。
息子たちとは、ずっと仲良しでいたい。
面白いおやじだ、と思われ続けるセクシーな父ちゃんでいたいのだぁ~。

滞日日記「入院した母さんのその後、そして、ぼくの人生のその後を考えみた」



つづく。

今日も読んでくれて、ありがとうございます。
そのためには、「歯」は大事だな、と思って、今回、頑張って手術をしたのだけど、よかったと思います。今、顔も戻ったし、歯の感じも良好なので、あと十年は頑張れますかね。「健康」というもの、これからますます、考えることになりますね。よく笑い、よく食べて、楽しく生き切りましょう。

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