JINSEI STORIES

滞日日記「父ちゃんは孤独だね、とか思わないで。父ちゃんは、めっちゃ幸せなの」 Posted on 2022/11/11 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくは寂しい東京ライフを過ごしているのだろうか。
確かに、寂しくないと言えばウソになる。大丈夫ですか、と知り合いから連絡もくる。
いろいろあるけれど、どんな状態でも、まあまあ自分は幸せな方じゃないだろうか、と自分に言い聞かせている。
最近ぼくの中で流行中の「幻の妻ごっこ」も、作家なので、寂しさを面白おかしく書くことで、笑いに変えて楽しんでいるところもある。
そもそも、バーに行くのに、誰かを誘うのが苦手なのだ。そうすると、もっと孤独になってしまうじゃないか。
人が増えると孤独になることはないですか?
ぼくはいっそ、一人で静かに呑みたい。
今日も知り合いから電話がかかって来ていたけれど、出なかった。
話すこともないし、そういう気分じゃない。
ラインで「東京でしょ、呑みませんか?」と来ても、そもそも既読にしない。嫌な奴だ、父ちゃんは・・・。
いや、そうじゃなくて、ぼくはきっと孤独が好きなんだと思うし、バーに誰かと行くと、その孤独を邪魔されるようで暗くなってしまうのであーる。これ、わからないよね?
気を使って頑張り続ける自分から解放されるために、ぼくはバーで一人呑むのである。
「みんなで集まりわいわい盛り上がっている時が幸せ」という人がいるけれど、ぼくはそういう時、みんなから離れて、キッチンでみんなのために料理をするタイプ。
それがぼくの幸せなのだから、これ、説明が厄介なんだよなぁ。

滞日日記「父ちゃんは孤独だね、とか思わないで。父ちゃんは、めっちゃ幸せなの」



うまく言えないのだけど、バーは、一人で行くからいい。
声とかかけられると、ぼくはサービス精神が旺盛だから、くたびれてしまうのだ。
自分のことをよく知っているから、一番端っこの席で、蹲ってアルコールを舐めている。
で、強いウイスキーとかをあおる。ぼくは酒が強いので、酔いつぶれることはない。
酒におぼれた経験もほぼない。でも、ギリギリまで飲む。
そうすると、自分の想像力がぼくを超越して勝手に幸福を描き始める、という寸法だ。
最近は、「幻の妻」が出現するようになった。ま、遊びである。
本当に出現していたら、病院に行かないとならないけれど、いるような空想をして、言葉遊びみたいな、一人遊びのようなことをやっている。
案外、これが幸せなのである。
ぼくはその幻の妻に何を見ているのか、そこだ、そこに、興味がある。
「その人は辻さんの理想の人でしょ」と今日、編集スタジオで誰かに訊かれた。
いやいや、そうじゃない。理想なんてものこそ幻なのである。ぼくはそこに期待などはしない。
でも、作家なので、自分は持つことのできなかった幸福を、幻の妻を通して、味わったりしている。実に高尚な遊びである。
毎回、なんとなく、その人の様子が違っているのは、たぶん、ぼくの幸福感が日によって少し変化しているからか。
でも、その人のことをぼくは尊敬しているし、その人が賢いことも知っている。ぼくはその人をねぎらわないとならない。その人との距離感を大切にしたい、と思いながら、ウイスキーを舐めるのだ。
ぼくがグラスを手に、仄かに笑っていたとしても、ほっとくほうがいい。たぶん、ぼくは幸せなのだから。
こういう感じの人間のことを人は「孤独な人」と呼ぶ。
でも、実際は、他人に干渉されない自分だけの時間というものが実に素晴らしいということを知っている人・・・。
ぼくはそういうことをちゃんと理解出来ている人のことを、逆に、「孤独な人」と呼んでいる。

滞日日記「父ちゃんは孤独だね、とか思わないで。父ちゃんは、めっちゃ幸せなの」



世の中の多くの人が、思い描く幸福というイメージは、厳密にいえば、一つじゃない。
孤独がとっても幸せな人もこの世界には大勢いることをまずは認めてほしい。
あの人は一人でいつも飲んでいる。寂しい人だ、と決めつけてはいけない。
ぼくのようにあえて、一人を満喫している人もいる。いや、負け惜しみじゃなくて、本当に、嬉しくなる。
酔いながら、泣いていることもある。
でも、それはほとんどが悲しくて泣いているのじゃなく、真逆、心が感動をして、涙があふれ出ているのだ。
時々、自分にもあった本当に幸せな瞬間を、それを経験出来たことに、まず、感謝をしながら、呑んでいるのである。
ああ、なんて人間ってやつはこんなに愛おしいんだ、と思って嬉しくて泣いている。アルコールはぼくをとっても素直にさせるので、ぼくの一番の友達かもしれない。

滞日日記「父ちゃんは孤独だね、とか思わないで。父ちゃんは、めっちゃ幸せなの」



ぼくは並木道を歩いて、大きな月を見上げながら、どこかに静かに飲めるバーがないかな、と探しまわっている。
ドアがちょっと開いていて、カウンターに一人か二人、黙って飲んでいる人がいると、そこにする。
「東京にいつまでいるんですか、会いに行きます」と助監督のてっちゃんからちょうど連絡があった。携帯をみて、めっちゃ、嬉しかった。
でも、ぼくは一人でいたいから、ごめんね、歯の手術があってね、と返事をした。嬉しいなぁ、てっちゃん、嬉しいなぁ、と思いながら、ウイスキーを舐めるのである。
わかるかな、わからないだろうな。この感覚・・・。
会って議論をする、会って盛り上がる、会って何かを確認する、そういうことは素敵だけれど、それをしないで、静かに、頬を緩めて、一人で飲んでいるのが今のぼくの人との接し方かもしれない。そういう時、ぼくは幸せなのである。

滞日日記「父ちゃんは孤独だね、とか思わないで。父ちゃんは、めっちゃ幸せなの」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
映画の仕上げスタジオの人たちも、皆さん、黙々と仕事をしています。彼ら、彼女らは撮影現場にはほぼ来たことがない、影の存在なんですね。実は映画はクランクアップしてから、こういう静かな製作者たちの力を借りて、こつこつ、仕上げ作業をしているんです。素敵でしょ? 音、光、時間、・・・映画がもの凄くイキイキとする瞬間なんです。「よーい、スタート」の撮影時間だけが映画ではないのです。ぼくの幸せ感と近いものが、この静かな仕上げ作業場にはあります。今日はニタニタ静かに感動をしておりました。

地球カレッジ

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