JINSEI STORIES
滞仏日記「友だちから電話、うちに料理に来なよ、と言われ、出張料理人見参」 Posted on 2022/11/06 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、友だちから電話がかかってきて、
「ツジちゃん、なんか日記読んだけど、大丈夫? 時間あるなら我が家にごはん作りにおいでよ。我が家はあたたかいよー。食材ならばなんでも用意しとくから、包丁一本持ってくればいいよ。ついでに泊ればいいじゃない」
ということで、身軽な出張料理人は諸々準備をして、出かけることになったのであーる。
こんなに毎晩、料理をし歩いておっていいものか、と逆に心配にもなるが、料理をしている時は無心になることが出来るので、むしろ、OK!
とはいえ、新しい料理は出来ないので、今、手もとにある調味料などを最大限駆使して、手料理を作ることになった。
この男、もともと米屋のせがれで、そこからベトナム・フォーのお店を展開し、最近は、日本酒とか介護とかリハウスとか、手広く手掛けているまさに同世代の経営者。パリのクレイジーホースで大喧嘩をしたこともあるし、肩を組んで飲み明かした夜もあった。
父ちゃんにはめずらしい男友だちなのであーる。父ちゃんは男性恐怖症なので、あ、だから女の人が好きなのかなぁ、知らなかった。あはは。
「シマちゃん」、「ツジちゃん」と呼び合う仲である。パリの呑もちゃんこと野本氏とはまた毛色の違う男で、自称、「ツジちゃんの東京応援団」なのであーる。出た~。
人の家のキッチンはいろいろと使い慣れないので、まずは宿のキッチンでベースを作って、それをタッパーなどに詰めて持っていく作戦となった。
オープンキッチンなので、作るのを見せびらかしながら、奥さんとシマちゃんとシマちゃんの秘書さんの三人にふるまったのである。
「ツジちゃん、あのね、ツジちゃんのお墓を作りたいんだ」
「ハ、まだ言ってんの?だから、まだぼく生きてるから」
「うん、あ、いや、辻仁成の墓っていう名前のミュージアムだよ。こんなにいろいろな創作活動をしているけれど、それを多角的に一か所でどんと見せたことないでしょ? だから、いろんな評論家がそれぞれの視点では語るけど、ツジちゃんは語り切れないから。墓という名の箱を作って、作品をそこに集める。もし、ツジちゃんが急逝しても、作品は永遠とは言わないけど、残るんじゃないかな」
ぼくは、なるほど、と思ってしまった。
実はぼくは息子に「死んでも墓はいらない。火葬後の骨をノルマンディの海にでも撒いてくれ。会いたくなったら海に来い」
と言い続けてきた。
45歳も離れているので、間違いなく、長くは一緒に生きられない。短くても濃厚に生きてやりたいのだ。
で、ぼくは死んで土の中に埋められるのは嫌なのだった。
「そうなんだよ、ツジちゃん。ツジちゃんやぼくはそう長くない将来、死ぬだろう。でも、君はアートの人だから作品はずっと残る、残っていいと思う。そういう場所を、ツジちゃんのゆかりの土地に作ったら、ファンの皆さんがあつまって、語り合えるしなぁ、と思って」
「まだ、辻さんは生きてますよ」
と奥さんのふくみさんが言った。
でも、ぼくはいいアイデアだな、と思ってしまった。
自分は死んでも、作品は生き残るって、凄いことだな、と思ってしまったのだ。
とはいえ、シマちゃんも死んで、シマちゃんの会社が倒産をしたら、そのミュージアムも閉館しないとならない。でも、それはもう、死後の世界のことだからね、えへへ。
「あの、大規模なミュージアムじゃなくて、気楽に立ち寄れるお墓みたいな場所ね」
「なるほど。面白いね。生きていることが作品になるね」
「うん」
※ あはは、こちらが同世代のシマちゃん。
ぼくは魚料理や肉料理を作って、ふるまった。
「美味しい、美味しい」
と皆さんが唸ってくれるので嬉しくなった。
その時、携帯に息子のお嫁さんからメッセージが飛び込んできた。あ、十斗ではない、十斗のお兄ちゃんのお嫁さん・・・。
「お父さん、今、日本なんですね。明日会えませんか?」
「え? ああいいよ。明日、暇です」
ということで、今度は息子夫婦にご飯を作ることになった。あはは。
みんな、大笑いであった。
寂しかった日本滞在だったが、シマちゃんのおかげで、なんとなく楽しい週末になってしまった。
「ところでツジちゃん、日記読んだけど、オランピア劇場でのライブって決まったの?」
痛いところをつかれた。いてて・・・。
「あ、いや、まだ。でも、いいところまではいってるよーとプロモーターが言っていたから、待ってる。ここんとこ、返事が戻って来ない・・・しゅん」
「実現すると凄いね」
「うん。いろいろと大変なんだけど、実現させたい。63歳だからね。後がない。20年もパリで活動してきたから、一花咲かせたい」
「うん、同じ年だから、支援させてよ。まだ、募集しているなら」
呑みかけていたワインを吹き出しそうになった。
「マジか?」
「同世代で頑張ってるツジちゃんの夢の片棒を担ぎたい。その、パリの野本さんね、紹介してよ。仲良しになりそうだね」
「ああ、マジか。実現させなきゃ」
思わぬところから援軍が出現した。高知土佐の男、野本が中心になって、パリの一風堂さんや日本酒の輸入会社さんを口説いて、応援団を結成してくれた。今度は東京で、名乗りをあげた男がいた。米屋のせがれ、島田さんである。
「大変だよ。いろいろ」
「大丈夫。夢にかけようよ。必ず、観に行くよ」
ううう、父ちゃん、目が覚めた。
よっしゃー、「合言葉は熱血~」
つづく。
今日も読んでくれてありがとう。
ということで、いいことがありました。いやあ、真面目に生きているとこういうことが降って来るもんですねぇ。しかし、連絡がない、べ、ベルトラン、マジ、頼むよ。。。ベルトラン・トロペドー・・・。