JINSEI STORIES
滞日日記「人生の最悪をもって生きる」 Posted on 2022/10/26 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ぼくは常に人生の最悪を持って生きるようにしている。
こう、書くと驚かれる人も多いかもしれない。けれども、もっとも悪い事態をいつも心に携えておくことで、思わぬ出来事が降りかかった時にも、本当の意味での最悪からは免れることが出来る。
どういうことかというと、人生というものは、自分の力だけではどうすることもできない事故のような出来事にぶつかることがままある。
そして、長い人生の中でそういう予期せぬ事態というものは必ず何度か訪れるものだ。
ものごとがうまくいっている時とか、平穏な時とか、愛に包まれている時とかに、忍び寄っていると思った方がいい。
ここ最近のぼくで言えば、映画がクランクアップしたり、母さんが不意に認知症の傾向を示したり、エッセイ集が増刷されたり、ぼくの体調が悪くなったり、円が急激に下がったり、人生は乱高下の連続なのである。
いい時には悪いことも起こりえると身構え、悪い時にこそ必ず雨は上がると言い聞かせる。その振幅の中で人間は生きているのだ。
気持ちを引き締め、いつか来るだろう最悪の日とか、あるいはぼくや、ぼくにとって大事な人たちの死なども、時々、想像をしている・・・。
※美味しかった~。
不吉なことを言うようだが、今日は、朝から、多分、映画の撮影で疲れ切っていたからかもしれないけれど、自分に不意に死がやってきたらどうしよう、と思った。
そんな時、たとえばパリにいる息子はどうなるのだろう、三四郎は誰が引き取って育ててくれるのだろう、などと思わず考えてしまう。
ロシアがウクライナに戦術核を使用する可能性を否定できないうっすらとした緊迫の中に今の世界がある。
そんなのないよ、と思う人がいるかもしれないが、あり得ないことじゃない。そうなったら、ぼくはフランスに戻れなくなるかもしれないし、世界戦争に発展したら大学生の息子はどうなるのだろう、などと考えた。
運命論者ではないが、人間一人の力ではどうすることも出来ない問題をこの地球は山ほど抱えている。
或いは、ころっと死んでしまうかもしれない。理由はわからないけど、無理がたたって、孤独死するかもしれない。
ありえるな、と朝、自分の心臓がバクバクしているのを感じながら、目覚めた。
二時間ほどしか、眠れなかった。早朝、昔、ぼくに迷惑をかけた人がやって来て、ぼくに謝罪をした。カメラマンが昨日までのデータをハードディスクに入れて持ってきた。弟と母さんが福岡空港まで見送ってくれた。
母さんが車の助手席でいつまでも手を振っていた。その眼球は光を失いつつあるが、目の奥にぼくを必死で焼き付けようとしていた。
ぼくはトランクを押しながら空港に入り、今、機内でこの日記を書いている。
これがぼくを取り巻く今の世界である。
※ これも美味しかった。
毎日、日記を書いている。
365日、休まず書いている。
ばかばかしい日記もあれば、今日のようにちょっと告白的な日記もある。
それが毎日というものなのである。実に切実ではないか。
何千字もの文字量を日々配信している。
これはある種の修行のようなもので、書くことでぼくはぼくを理解しようとしているし、生きていることの意味を探し、刻み、考察し、吟味している。
いつか、最悪の日が来ても、ぼくはびくともしないでいられるような、心の筋トレなのかもしれない。
けれども、最終的に何百万字、何千万字書こうと、人生というものはなかなかその正体を現さない。
輪郭さえも日々変化している。
しかし、書くことで覚悟はできるし、意味を見つけられるような気もする。気もするのだ・・・。
それでいい。
※ これは最高だった。全部、福岡でいただいた美味しいものたち・・・。
※ クランクアップの前日、少女緋真役のさなちゃんからもらったラブレター。笑。だいすき、と書かれています。似顔絵、似とるね。えへへ。
つづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
間もなく、羽田空港に到着します。この機が無事にランディングするのを待ちながら・・・。この日記が配信されたのならば、ぼくは東京に到着したことになり、まだこの瞬間、生きているということですね・・・。あはは。
さて、お知らせです。
「ボンジュール!辻仁成のパリごはん〜 2022 夏〜」の再放送が決まりました。小さな声で、よっしゃー。
11月3日、文化の日の夕方の放送になります。
●再放送「ボンジュール!辻仁成のパリごはん〜 2022 夏〜」
【BSP】 11月3日(木) 午後4時35分~〜5時34分