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滞福日記「もうこの世にいないあの人に、ぼくは引き寄せられたのである」 Posted on 2022/10/24 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、冒頭からいきなりのお願い、であーる。
中洲交番の前で撮影をしていたら、助監督のT君がやってきて、辻さんのファンの皆さんから中洲交番に連絡が来るようですよ、と言われた。
「ええ~。マジか? なんて?」
「辻さんの映画撮影、どちらでやられているか教えてください、というお問い合わせが数軒あったようです」
「ありゃ、それは困ったね。お巡りさん、困っただろうね」
「たぶん、あとで謝りに行っておきます」
というか、ぼくらは今日、中洲交番前で撮影していたのだった。
通りの向こうに中洲交番が見えた。中洲のお巡りさん、ご苦労様でした。
本当のおまわりさんの動きなどをこっそりと研究した、父ちゃん監督であった。えへへ。
ただ、中洲交番には撮影許可を出していたので、警察の皆さんには、ぼくらだとわかっていたはずである。
こちらも、村井くんはじめ、3人の、巡査の格好をした俳優さんがいた(?)ので道を挟んで奇妙な対峙であった。
(※ ともかく、お巡りさんの公務の邪魔になってはいけませんので、すいませんが、交番にだけは問い合わせなどはひかえてくださいませ。この後の撮影はほとんど室内になりますので・・・)

滞福日記「もうこの世にいないあの人に、ぼくは引き寄せられたのである」



それより、撮影は順調なのだけど、昨夜、幽霊がやって来たことはここに書いたが、除霊がうまくいかなかったみたいで、・・・そのせいか、何か、今日は、いつもの熱血が出ないのであーる。
「邪気」を追い出し切れてない感じがするのだ。
自分の心のバランスがつかめない。平たく言ってしまうと「鬱」っぽい状態なのである。
魂に膜がかかっているような鈍い感じが朝からずっと続いている。
そのためにはたくさんの睡眠と栄養が必要だが、映画が始まると時間がなくなり、時差ぼけも手伝って不眠になり、ますます、元気が吸い取られていくのである。
パワースポットがあれば、除霊も出来るのだが・・・、そうか、櫛田神社に行けば、ご神木があるから、そこで辻式精神統一が出来る。たぶん・・・。
そうすれば邪気は退散となるはずだが、ううう、しかし、連日、撮影で朝から晩まで今は一番時間のない時なのであった。残念・・・。

滞福日記「もうこの世にいないあの人に、ぼくは引き寄せられたのである」



その日の撮影が終わり、ぼくは18時半に帰路についた。博多橋を渡って家路についたのだけれど、橋の出口で「辻さーん」と声をかけられた。
見たことがあるような、どこか懐かしい顔立ちのマダムであった。
「あ、こんばんは」
ぼくは誰にでも、きちんと挨拶をするようにしている。
するとその人が、
「わたしよ、辻君、同じクラスだった、ほら、岡部よ」
と言うのである。
「あ、え? 岡部さん? マジ?」
とぼく。
「ひさしぶりね。博多で撮影していると聞いたから、来てみたの。中洲に」
「わ、びっくりした。君、岡部だよね?」
「ええ、OKABEよ。わかった」
切れ長の目をした美人で、ぼくと同年代だけれど、驚くほどに、若々しい。
「すごいね、辻君、中洲の映画を撮ったのね。同級生として鼻が高いわ」
「うん。ありがとう。忙しいのにわざわざ探しに来てくれたんだね」
「そうよ。同級生だし、私たち、ちょっとは素敵な関係だったじゃない」
「(ん?)・・・え? どんな関係?」
岡部が笑った。もしかして、ぼくは彼女を口説いたことがあったのか、と思わず、記憶をまさぐってしまったのである。
「覚えてないの?」
「あ、いや、でも、小学生だったから」
「そうよね。大昔のことだものね」
ぼくは必死で記憶をまさぐった。岡部、あの岡部・・・。あれ? あの岡部は高校生の時の同級生じゃなかったっけ?

滞福日記「もうこの世にいないあの人に、ぼくは引き寄せられたのである」



博多橋の中ほどにぼくはいたのだけど、太陽が落ちて周囲は真っ暗であった。
「覚えてないの?」
「君のことは覚えているけど、・・・ちょっと思い出せないんだ」
岡部と名乗った女性はぼくをじっと見ていた。
ぼくは撮影が終わり、くたくただった。しかも時差ぼけで寝てないし・・・。
太陽は完全に沈み込んでいる。
「辻君、わたし、君のこと好きだった。いつもバレンタインにラブレターを書いていたでしょ?」
「え? そうだっけ? どの岡部?」
「OKABEよ」
言うなり、岡部さんはぼくに抱き着き、キスをしたのだった。
びっくりして、動けなくなった。でも、次の瞬間、ぼくは微かに思い出していた。
あの「岡部」さんだ。
岡部さんはぼくが中学の時に事故で死んでしまったんじゃなかったっけ・・・。そうだ、そうだ、きっと、・・・だんだん、思い出した。あの岡部さんだ・・・。
ぼくは後ずさりしていた。この橋を渡っちゃいけない、と思ったのだった。
「辻君」
「岡部さん」
次の瞬間、ぼくは踵を返して、来た道を走って中洲まで必死で戻っているのだった。
そして、路地を曲がり、スタッフが片付けをしている場所まで戻ったのである。
「あれ、辻さん、忘れ物ですか?」
ああ、なんて悲しい記憶であろう。

滞福日記「もうこの世にいないあの人に、ぼくは引き寄せられたのである」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
でも、ぼくの記憶の中に岡部さんがいるのです。その岡部さんがどの人か、ちょっと多い出せないのだけど、たしかに、いました。記憶と現実のはざまで、まだ揺れています。ううむ、不思議だ。今回の福岡滞在はちょっと奇妙な感じがします。

 

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