JINSEI STORIES
滞福日記「母さんが食事中に不意に倒れた。いったい87歳に何が・・・」 Posted on 2022/10/21 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、明日から映画の仕事でびっしり忙しくなるので、うちの母さんと弟の恒ちゃん、それから福岡済生会病院副医院長の大倉先生(脳外科医)、その奥様のまさこ先生(お医者さん)の5人で、博多の小料理屋で食事をしたのである。
大倉先生はぼくと同じ年で、大親友なのだ。
奥様のまさこさんもお医者さんで一族は病院をやっておられる、なんと、ぼくの祖父の主治医がまさこさんのお爺ちゃん、という不思議なご縁。(拙著「白仏」に譲る)
しかも、なんとお二人はこれも偶然、ぼくが先生をやっている、帝京大学は、医学部の第一期卒業生なのだ。(これも偶然!)
大倉先生はもともと母さんの主治医であり、ぼくの主治医でもある。
仲良しな5人で食事ということで母さん、ちょっと興奮をしたのであろう。
最初の頃は、笑顔でまさこさんと写真撮影などをしていたのだけど、
「ちょっとトイレに行く」
と言って、立ち上がった直後、異変がおきた。
ぼくはその瞬間を見ていなかったのだけど、個室から出ようとしたあたりで、
「おかあさん、おかあさん、おかあさん!大丈夫ですか?」
という誰かの声が飛んだ。
「救急車を呼んで」
と誰かが言ったので、ぼくは驚いた。
弟が、すぐに駆け寄り、倒れかけた母さんを抱きしめた。
「救急車を」
と大将も叫んだのだけど、その時、
「いや、大丈夫、わたしが医者です」
と大倉先生が母さんに駆け寄った。
母さんを後ろから抱きかかえる恒久、その横で母さんの動脈とか様子をみている大倉先生。
意識が飛んでいたようだけど、すぐに回復した。
「救急車はいりません。もう大丈夫」と先生。
「母さん、大丈夫かい?」とぼく。
「あら、どうしたのかしら。こんなことはないんだけど」
弟がぼくを振り返り、たまーに、あるんだよ、と言った。
大倉先生の奥様のまさこ先生が、母さんに付き添って、お手洗いまで行き、十分後、戻ってきた。申し訳なさそうな、顔で・・・。
一同、元の席に座って、再び食事会に戻った。
「なんだったのですか?」とぼく。
「脳の貧血ですね」と先生が言った。
その後、ぼくらは母さんに、介護の人を頼みましょう、と説得することになる。
※母さんの意識が戻って、動けるようになり、まさこさんがお手洗いに付き添ってくださるという場面・・・。手前、弟の恒ちゃん、母さんの腕を掴んでいる、奥の背の高い紳士が大倉先生である。母さんが、気が強いので、よか、よか、大丈夫、と一人で行こうとするから、みんなが振り回されて・・・。
「まだ、必要なかです」
と母さん。
「でも、こういうことがこれからも起きる。起きた時にいつも恒久がいるとは限らないからね、母さん、ぼくからもお願いだから、介護の人、元気な人を探すから、いいでしょ?」
母さん、じっとぼくの顔をみて、うん、とうなずいた。
87歳なのである。あと、3年で90歳だ。
杖をつかないで歩けることが自慢なのだけど、もう、そういう年齢ではない。
用心にこしたことはないのである。
何事もなくてよかったけれど、先生がたがいるこのタイミングで話し合いが出来てよかった。
大倉先生が
「お母さん、もう必要ですよ、週三回でいいので、はじめてください」
とおっしゃってくれた。
ぼくら兄弟の言うことはあまり聞かないけれど、先生には弱い、辻の恭子さんなのであった。
※ そして、誰もいなくなった・・・。
つづく。
ということで、ご心配おかけしました。大ごとにならないですみました。先生、ありがとうございます。その後、母さんは先生たちと一緒に帰って行きましたが、もう大丈夫です。でも、何が起こるか本当にわからないもので、誰もいない時に貧血になって、打ち所がわるければどうなったのか、と思うと怖いですね。弟とちょうど、昨日、博多入りをした直後、「介護士さんを探そう」と話しあったところだったので、今回の福岡滞在中に何とか目途をつけたいと思います。