JINSEI STORIES
小説日記「プーチンの焦燥、ショイグの憂鬱。マトリョーシカの一番最後に潜む男」 Posted on 2022/10/09 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、クレムリンの奥深く、そこがどこかは誰も知らないが、その安全な場所で、ウラジミール・プーチンは今、苦悩している。
彼は思いもよらなかった、このウクライナ侵攻の半年間を、いつも通りの表情の見えない顔で、振り返っている。
そして、思いもしなかった「ロシアの敗退」の現状をどう打開するか、一人で、まさに、その通り、相談できる本当の意味での側近もおらず、一人で考えている。
心底信頼できる人間は周囲にはいない。もっとも、いても彼がどこまで心を許すか、誰にもわからない。本人にもわからない。
核兵器を使うという切り札はある。
しかし、「そんなことはいとも簡単なのだ」と嘯いても、実際にやると取り返しがつかなくなるのも事実だ。
それは切り札なんだから、と自分に言い聞かせ、なんとか踏みとどまっている。核兵器部隊にはまだ指示が出せずにいる。
アメリカは衛星などを使って、逐次ロシア国内に散らばる核兵器部隊の行動をチェックしている。なので、配備は慎重にしないとならない。
それは今じゃない、と追い詰められながらもウラジミール・プーチンは心の中で繰り返す・・・。
いつ、どんな時であろうと、彼は誰よりも冷静に冷徹にやってきた。
妥協をしたことはない。KGB時代からのポリシーでもある。
屈することの嫌いな自分の心をよく理解している男なのだ。だからこそ、破れかぶれになる前に、なんとか、この予期しなかった現実の落としどころを見つけたい。いや、自分の心の中で「落としどころ」などと弱気なことは考えたらダメだ。
恥をかかない、それなりの勝利でこの戦争を決着させないと。それだけだ。
見て見ろ、ロシアはロシアだ、とプーチンはクレムリンの、小さな窓から、そっと世界を覗きながら、思う。
けれども、現実はうかうかしていられない問題を孕んでいる。思い通りにいかない戦況が次第に分かってきた。国民にも伝わりつつある・・・。
そのようにしたのは無能な(自己保身の)部下たちで、その粛清、更迭、左遷、などもウクライナ侵攻直後から、順次、やってきた。しかし、どんなにトップの頭を付け替えても、戦況は悪くなるばかり。
KGBの流れを組む、連邦保安庁(FSB)がウクライナ侵攻後、自分に虚偽の情報を提供していたことがわかり、その結果、侵攻は出鼻をくじかれ、予想外の敗退でスタートした。ウラジミール・プーチンは、あの悪夢を忘れることができない・・・。
芳しくない戦況の責任を負わせるカタチで、侵攻直後の4月に150人のFSB職員を追放した。
それだけでは気が済まず、重要なポストにいた職員は逮捕した。仲間のはずだったFSBがプーチンにもたらした不信感はその後、周囲の人間へと向けられていく。結果を出さないトップたちの更迭、追放、左遷は続いた。
逆らうことを許さない独裁体制を作ってしまった井の中の蛙に本当のことを言える者などいるはずもない。
ますます、孤立を深め、その結果、ウラジミール・プーチンは前線にいる軍の指揮にまで口を出すようになった。
さすがにこれには、高齢の退役将校らを中心に、不満をつぶやく者も出た。だが、知ったこっちゃない。あからさまに意見を言える者などいないのだ。
プロの戦争屋ではないプーチンの無謀な指揮により、ロシア軍の迷走は続いた。
側近の者も、誰一人、彼に逆らうことが出来ず、顔色をうかがっては、嘘と腐敗にまみれ、どこへむけていいのかわからない現実を前に、私利私欲へと逃げた。
プーチン大統領は、この半年間、偽物の勝利情報だけを聞かされ続けてきたのだ。
数万人の兵士がすでに死傷していても、最初の頃、彼の耳に本当の棺の数は届かない状態が続いた。
ところが、戦争も次第に膠着化し、時が流れ、本当の数字が分かるようになった。
半年が過ぎた今、さすがの孤独な皇帝の耳にも、現実が届くようになる。
焦燥感にかられつつも、偉大なロシアという幻想にすがって、ウクライナ4州を併合したはいいが、中立的な立場を貫いていたトルコまでもが、イタリアの極右政党も、これには反発した。
しかも、併合直後のウクライナの善戦により、ロシア軍は戦車を乗り捨てて撤退という無様な状況なのだ。
ウクライナ軍の反転攻勢の前で、動員令でかき集められた素人軍の士気など、そもそも、あがるはずもない。
焦った親露派の軍人たちは低出力の核兵器使用をプーチンに提言しはじめるが、その禁じ手を使えば、ロシアもなくなるというジレンマ・・・。
これはまずい、とプーチンも、その側にいる実働側近たちも、思い始める。これはおかしい、とみんなが口々に言うようになった。
けれども、あからさまにプーチン批判はできない。
恐怖政治の中で真実を語れない人々はプーチンの影で、ダメなのは国防省だと言い始めた。
不思議なことに、権力の中枢にいる者、それまで愛国者としてメディアで活躍してきた者たちが、口を揃えて、国防省と国防相を同タイミングで批判しはじめた。
プーチンの盟友、セルゲイ・ショイグ国防相の批判を公然という者が出来てきたのだ。
南部へルソン州の高官、ストレモウソフ次官が、「もし自分がこうした状況を許している国防相だったなら、将校として自ら命を絶ったと言う人は多い」と発言したのを皮切りに、ショイグとは仲良しだった下院国防委員長、カルタボロフまでもが、「嘘をつくのをやめろ」と国防省を批判した。さらに今となってはプーチンの右腕にまで上り詰めたチェチェンのカディロフ首長までもがショイグの責任を口にしはじめた。
この公然批判がプーチンによるものかどうか、ショイグは疑心暗鬼に陥っている。
ショイグは身を隠し、怯え、自分に降りかかった火の粉をどうやって払うか、悩みだした。
どこに行くのも一緒、家族同然の付き合いをしてきたウラジミール・プーチンとショイグ国防相、仲のいい一枚の写真がネットでは流通している・・・。
まさに今、自分はこの失敗のしりぬぐいをさせられようとしているのだ、と国防相は気が付いてしまった。俺が一人悪いわけもない。なんであいつらは俺のせいにするのだ。
ここにきて、セルゲイ・ショイグもまた人間不信に陥っている。自分を悪者にし、このロシア軍敗退の責任を背負わされるのか、とショイグは怒りさえ覚えているのである。
ところで、ショイグには優秀な側近が一人いた。長年、ショイグの傍にいて彼の実務を司ってきた人物である。この男は冷静にこの状況を見つめてきた。
世界各国のメディアはその正体を掴んでないが、この人物が今、まさに、大きなカギを握ろうとしている。仮にXと呼んでおく。
Xは不意にはじまったショイグ批判の裏側に、プーチンの息がかかった人物がいることを知っている。
彼の側近中の側近なのだ。
ショイグはもともと、この戦争には乗り気ではなかった。
しかし、このまま、自分が責任を取るとなれば、自分の名誉にかかわってくる。
ロシア人は名誉を重んじる、命よりも・・・。
Xはこの状況を分析し、何が起こるか情報を集めはじめた。そして、一計を案じる。
ショイグはXに打ち明けられた時、わが耳を疑った。
しかし、仲間だと思っていた友人やかつての同僚たちが、自分を名指しで批判するのであれば、遅かれ早かれ、そのような結末へと向かうことになるのだろう。
犬死はよくありません、とXは言った。
今、すぐに自分が切られないのは、すべての失態が出尽くすのを、その更迭のタイミングを、プーチンが待っているからだろう。誰よりもプーチンのことは知っている。
冷血にこの世界を維持させることが独裁者の仕事だからである。
自分の首が切られるのが先か、プーチンの失脚が先か、ショイグは考えを巡らせることになった。
核戦争をとめられるのも、あるいは、自分しかいないのではないか、とセルゲオ・ショイグはXに告げた。二人は綿密にその日を計画しはじめる。
自分が抹殺される前に、手を下さないとならない。そのシナリオはXが考えた。
つづく。
今日も読んでくれてありがとう。
ま、小説ですから、あまり、深く考えないでください。実在の人物にヒント、影響は受けていますが、あくまでも、小説ですので、あはは。