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滞仏日記「ついに63歳の誕生日を迎えてしまった、老境の人」 Posted on 2022/10/04 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、パリの引っ越しは完了したが、ぼくの気管支炎は(実は)まだくすぶり続けているので、ここは用心をして、一度、新鮮な空気を吸うために田舎のアパルトマンへと向かうことにした。
今朝、ZOOM会議をやったが、途中で咳が止まらなくなった。
一方、夜は、咳が出なくなったので、快方へ向かっているのは確かなようである。あと一歩、ここは拗らせないで、しっかり、治さないと・・・。
段ボール箱が山積みだったが、時間をかけてゆっくりと片付けていけばいい。急ぐ必要はない。三四郎を車に乗せ、高速に飛び乗った。
それに、新しいアパルトマンと和解するのに、それなりに時間がかかりそうだ。ま、ゆっくりとやるしかない。
高速の休憩所で三四郎のトイレ休憩を取っていると、ラインにメッセージが飛び込んだ。あれ、誰だろう?
携帯を覗くと、俳優の村井良大くんからであーる。
「辻さん、お誕生日おめでとうございます」
おお、まさか、日付が変わったのか? 見ると、日本時間で10月4日0時であった。
まさか、男から、一番最初に「おめでとう」を言われるとは、・・・。
三四郎のリードを引っ張ったまま、暫く、佇み、悩んでしまった。

滞仏日記「ついに63歳の誕生日を迎えてしまった、老境の人」



村井くんとは舞台でご一緒したのが出会いで、その後、めきめきと人気を博し、今や押しも押されぬ実力派の一人となった。
今までに数本の舞台、数本の映画をご一緒させてもらったが、真面目な俳優である。
とはいえ、誕生日にいきなり若い男性から「おめでとう」を貰うとは・・・。父ちゃんの歴史の中でも、初めての経験かもしれない。くくく・・・。
ちなみに、二番手は弟子入りしたばかりの長谷っちであった。
「先生、お誕生日おめでとうございます。一番最初がぼくですいません。でも、弟子にさせてもらったので、常に、先生ファーストで挑みます」
あはは、二番だけど、ま、よかね。
ぼくは三四郎のポッポ(うんち)を始末してから、再びハンドルを握りしめた。
そうか、63歳になってしまったのか、江戸時代だったら、もうとっくに死んでいる年齢だなぁ、と思ったら、笑いが起きた。
63年も生きてきたのに、なぜ生きているのか、いまだにわからないのだから人間という生き物は実に厄介で不思議である。
アクセルを踏み込みながら、生きている間に、もうちょっと暴れてみたいな、と思った。丸くなるのはまだ早い・・・。レッツゴー!

滞仏日記「ついに63歳の誕生日を迎えてしまった、老境の人」

滞仏日記「ついに63歳の誕生日を迎えてしまった、老境の人」



田舎のアパルトマンに着いたら、家の周囲の木々はすっかり赤く色づいており、秋、真っただ中であった。
暫く、ここに滞在する予定なので、暖房を付けたり、片付けをしたり、水とかワインとかを買い出しに行ったり、生活周辺を整えた。
三四郎を抱きかかえ、ソファに座り、窓外の赤く染まりだした空を見つめた。
太陽が沈んでいく。
息子は大学生になり、一人暮らしをはじめ、ぼくは古いアパルトマンを解約し、ここで暮らすことになった。
NHKの番組で語ってきた通りの道筋を辿って生きているが、そうじゃない、と思った。ぼくがやりたかったことは隠居生活ではないのだ。そうじゃない、と言葉にしてみた。
そのことを今日は一日、これから、ゆっくりと考えてみることにしたい。
この新しい一年をぼくの人生の中で、もっとも輝いた一年にしてみせたいじゃないか。何か忘れてないか、父ちゃん。
そうだ、合言葉である。
合言葉を忘れちゃいけないなぁ。はい、その通り。それでは皆さん、ご一緒に!
「合言葉は熱血!」

滞仏日記「ついに63歳の誕生日を迎えてしまった、老境の人」



つづく。

今日も読んでくれて、ありがとう、ございます。
今日からはじまる新しい一年、頑張って邁進していきたいと思うのです。三四郎と一緒にいられる十年ほどの間も、出来るだけ愛を分かち合いたいですね。ふふふ。村井くん、ありがとう。長谷っちもね・・・。

滞仏日記「ついに63歳の誕生日を迎えてしまった、老境の人」