JINSEI STORIES
滞仏日記「昨夜は、やはり、新しいアパルトマンで老女の霊のご挨拶を受けた」 Posted on 2022/10/03 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、とりあえず、山積みにされた段ボール箱を出来るだけどかして、スペースを作り、三四郎とぼくの寝場所を確保した。
いきなり、箱をあけると、埃が舞って気管支炎が酷くなりそうだから、とりあえず、レコーディング中だし、本格的な片付けは落ち着いてからにする。
バスルームが比較的にスペースがあったので、そこに三四郎の仮の住処を拵えてやった。いつものふかふかマットを敷き、餌入れとか、水飲み場を置いた。
サンシーは、この新居は気に入っているようだ。
柵はとっぱらい、居住区内を自由に移動できるようにしてあげた。
ぼくの寝室は、前のアパルトマンのよりも狭いので、ベッドの周りは段ボール箱だらけだった。
とりあえず、暫く生活する分の衣服を小さなトランクに詰め込んでおいたので、ホテル住まいのような感じで、最低限のものを取り出し、環境を整えた。
大急ぎでベッド・シーツと枕カヴァーを洗濯機で洗い、乾燥させた。一月も咳が続いたので、臀部から腰、足の付け根が炎症を起こしているようで、咳をすると、痛い。
気管支炎は終わりかけているのだけど、長くステロイド剤を飲んできたので、身体が自分のものじゃないような変な感じである。
せめて、ベッドだけは心地よくして寝たいじゃないか。乾くのを待って、ベッドメイキングをしてから、横になった。
すると、夜中に、ぼくの枕もとに、不思議な霊体が立った。来た来た、と思った。
霊感が強いので、必ず、引っ越したりするとその土地の主のような霊体がやって来て、ぼくを見下ろす。
今日に始まったことじゃないので、ぼくは怖くない。またか、と思ったのでほっといたら、その人はぼくの心臓のあたりに手を静かに置いた。
薄目をあけて、様子を見た。
もちろん、ぼくは守護霊に守られているので、直にその存在を見ることはない。
目を開けると、暗い天井が見えた。
でも、そこにいる。
存在しているわけではない、言葉で表すと、「感じる」に近い。
なんで、老女かと言うと、ぼくの頭の中に、その人の生前の記憶が降りしきるからである。ぼくの身体は痛い。どう痛いかというと、骨から肉体が、ゆっくりと剥がされる感じ。こういう時、霊的なものがぼくに侵入を試みている。
気を付けないといけないのは、あまり深入りさせると、明日あたり、ちょっと重たい風邪に近い症状に見舞われる。具体的にいうと、熱が出たり、震えたり、寒気がしたりして、具合が悪くなるのである。
気管支炎が治りかけているのに、ここでそういう邪気を貰うと最悪だから、ぼくは「南無阿弥陀仏」を念じた。
この呪文はインドあたりから始まったが、東洋だけではなく、西洋方面でも効く。何度かこの呪文で悪霊を退散させたことが過去にあった。
老女の手がぼくの胸のあたりをまさぐった。
これは、新参者がどのようなものか、探っているのである。ぼくは早く、このアパルトマンに居ついている主に認められる必要があった。馴染んでしまえば、(ぼくの仮説だけれど、霊界と現世界は同じ場所にある)、同居が可能となる。
最初の洗礼を無事に通過出来れば、もう、日常生活を邪魔されることはないのだ。
力を抜いて、抵抗しないのが一番である。虞は禁物だ。
ぼくはよそ者なのだから、郷に入っては郷に従え、である。
老女が何か言ったが、よくわからなかった。
でも、危害が加えられるような感じではない。
たぶん、一時間ほど、悪夢にうなされたのではないか、と思う。
覚えてはいないが、嫌な、悲しい、暗い夢を見た。その霊魂の情報であった。
ここで、たぶん、この寝室で亡くなった人の情念のような訴えであろう。さざ波のような波動がぼくを揺さぶった。落ち着くのを待った。
長い夜だったが、霊魂がぼくを開放したのは、真夜中の終わりだった。
気が付くと、三四郎が、風呂場で、ううう、と唸り声をあげていた。
彼にはわかるようだ。ううう、ううう、と敵対するもの、侵入者に対する威嚇の唸り声であった。ぼくは起き上がり、三四郎の傍に行き、
「もう大丈夫だ。気にするな」
と教えてあげた。
延暦寺でもらった元三大師のお札があったので、鬼門に貼っておいた。これもけっこう、効く。
霊魂を追い出すわけじゃなく、悪霊の侵入を防いでくれる。
いろいろなものが出入りできる状態の空間だったので、ぼくらが暮らしやすくなるよう、整える必要があった。
夜が明ける頃には新しいアパルトマンとぼくは和解していた。三四郎もぐっすりと眠りについていた。ありがとう、とぼくはお礼を言った。
今日、中島君ことエリックが掃除に来てくれるはずだったが、お子さんが病気になったとかで結局来なかった。明日からさっそく田舎に行く予定(向こうにも荷物が届く)なので、この家の片づけは今年いっぱいかけて、少しずつやることになりそうだ。ともかく、三四郎を早朝、散歩に連れ出した。
角地に小さな三角公園があり、そこでピッピとポッポ(おしっことうんち)をさせた。
気が流れた。きっと、いい暮らしをおくることができる、と確信をした。
つづく。
今日も読んでくださり、ありがとうございました。
今年いっぱいは暮らしが落ち着くまでに時間がかかるでしょう。新しい土地がぼくをきちんと受け入れてくれるまでに、もう少し、時間がかかるとは思いますが、きっと大丈夫だと思います。三四郎は新しいアパルトマンを気に入っているようですし、なによりですね。