JINSEI STORIES
滞仏日記「アントニオ・猪木さんとの想い出」 Posted on 2022/10/02 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ネットニュースを覗いていたら、猪木さんの訃報が流れていて、思わず、時間がとまった。
ぼくが猪木さんとお会いしたのは、2007年が最初だったと思う。映画撮影の計画中だったが、主役が決まっていなかった。
オークラホテルに滞在していたぼくは制作の人たちとラウンジで打ち合わせをしていたのだ。自分の子供をなくしたプロレスラー、大魔神の物語であった。
「猪木さんがやってくれたら、凄いことなんだけどなぁ」
と、ぼくがぽつんと呟いた時、目の前を実物のアントニオ・猪木さんが、信じがたいことに、あの風貌で、あのマフラー姿で、あの歩き方で、通過していったのである。
誰かが走って、猪木さんに、声をかけた。猪木さんがぼくを振り返った。ぼくは思わず、立ち上がり、お辞儀をしたのだった。
それがご縁となり、2008年、アントニオ猪木主演映画「アカシア」は撮影を開始することになった。
その後、何度か猪木さんとお話をする機会が続いた。
猪木さんは好奇心旺盛な少年のような目でぼくを見つめ、ぼくの話を微笑みながら聞いていた。
仕事の話しというよりも、人生を面白がっていて、ぼくは猪木んさんの掌の上で、つねに、踊らされていたように思う。
印象は、あまりにピュアで、全身アントニオで、まったく裏のない人であった。
こんな人がこの世に存在するのだ、と邪念だらけのぼくにはあまりに眩くて、何度も目を細めないとならなかった。
猪木さんはつねにスターで、ダイナミックな人だった。
リハーサルなどにも参加してくださったが、笑っていたし、ぜんぜん関係ないシーンのセリフを突然、言い出したりして、ぼくを不安にさせた。
一番、不安にさせられたのは、撮影の初日である。
「監督、猪木さんがおりません」
撮影時間に助監督たちが慌てはじめ、チームはまもなく、パニックになった。
なんと、撮影初日、猪木さんは撮影地函館の駅前でプロレスの興行を打っていたのである。
翌日、現場にやってきた猪木さんは、
「辻監督を喜ばせようと思ってね、景気づけに駅前で興行をやっておいたよ」
そう言って、あの人懐っこい笑いをするのだった。あまりに豪快であった。
猪木さんとはあちこちで飲んだ。
「監督、ここに、座って」
猪木さんは、自分の横のスペースをぼんぼんと叩いて、遠くにいるぼくを横に呼びつけ、いつも笑うのだった。
なぜか、ぼくは猪木さんの横にぴたっとくっついて、毎回、たっぷりと、お話を聞かされたものである。
撮影中にも飲んだ。星を見上げながら、パラオの話をされた時の、本当に少年のようなあのピュアな顔が忘れられない。
自然とか、星とか、人間のきれいな部分だけを信じている、そういう雲の上の人だった。
この作品の中に、「子供をなくした過去を持つ大魔神というレスラーが男泣きをするシーン」があった。
「監督、猪木さんが、時間がほしいと言っています」
本当に泣くのだ、というのが伝わってきた。
彼自身が抱える子供の死を静かに思い出しているのだった。
助監督が走って来て、やれそうです、と言った。不意に、場に緊張が駆け抜けた。
カメラはずっと猪木さんを狙っていた。
カメラの前に猪木さんが立った。ぼくは、スタートをかけた。
まもなく、猪木さんが号泣をしたのだった。たった一度の本気の涙であった。
ぼくには猪木さんの目から、流れ落ちていくような輝く星が見えていた。
映画は完成をしたが、制作側の事情で、作品はお蔵入りになりそうな状況に置かれていた。
映画が完成しているのに、公開できず、猪木さんに申し訳ない、と思っていた。
すると、2年後、2010年のある日、この作品が「第22回、東京国際映画祭のコンペティション」に選ばれた、という知らせが舞い込んだのだ。
凄いことであった。
お蔵入りになりそうだったあの作品を救ったのは、大魔神を演じた猪木さんの演技力とあの闘魂の精神力のたまものであった。
ぼくが猪木さんと再会したのは、東京国際映画祭の会場でのことだ。
猪木さんは体調を崩されて、うまく歩けなかった。カーペットを一緒に歩けないので、彼はゴールでぼくらを待ち受けていた。
遠くに猪木さんが見えた。山のような大きな人間であった。
遠くにいるのに、ものすごく眩しかった。
あまりにピュアな人だからやっぱりぼくにはとてつもなく眩しい人間に見えてならなかった。
こんなすごい人とはもう二度と会えないだろうな、と思った。
本当にもう会えないのかなぁ、と思うと、涙が目元に滲んでしまう・・・。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。
猪木さん、ご冥福をお祈り申し上げます。この作品でご一緒出来たことは、ぼくにとって、何ものにもかえることができない、一生の宝物となりました。映画の世界で、また、会えますね。ありがとうございました。
闘魂、ぼくも大切に抱えて生きたいと思います。