JINSEI STORIES
滞仏日記「引っ越しの手伝いに来た息子に、20年開けない段ボール箱の秘密を教えた」 Posted on 2022/10/01 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、引っ越し屋のボス、マルコさんが、朝やって来て、ぜんぜん、準備できてないじゃないか、と怒られたのは昨日の日記に書いた通りであーる。
「いいですか、ムッシュ・ツジー。明日の朝、7時から引っ越しは開始されます。それまでにすべての荷物を段ボール箱に詰めておいてください。詰めてなければ運ぶことが出来ませんからね、知りませんよー」
午前中、マルコさんたちは二人がかりでデリケートなシャンパングラスなどを箱詰めにしてくれた。
これは助かった。さすがに不器用で短気なぼくには出来ない。
父ちゃんは、ハッと気が付いた。そうだ、自撮り撮影をしないと!
NHKの「パリごはん」、次回の秋冬編にフランスの引っ越し風景というのは面白いかもしれない。
今まで、凱旋門の円形交差点に突っ込むシーンや、フランスの地下室探検など、いろいろと日常生活を撮って来たのだけど、フランスの引っ越しは日本では考えられないことの連続である。
何度も経験をしてきたぼくだからこその、面白いガイドが出来る、と思いついたら、暗かった気管支炎人生に光が差した。えへへ。
ということで、自撮り棒を探したのだけど、見当たらない。
おっと、片づけてしまったかもしれない。
そこで、またしても急ごしらえの自撮り棒で撮影をすることになったのだった。
今回、ぼくが採用したのは、木製のずぼんハンガー。ずぼんを挟むところに携帯を挟んで、逆さにし、吊るす柄のところをぎゅっと握りしめて、撮影したのだけど、けっこう、これは、良かった。あはは。
「ムッシュ、何やってるの? 時間がないのに!?」
「マルコさん、実は、何を隠そう、ぼくは日本のユーチューバーなんです」
「有名なの?」
「そこそこ」
「へー」
こわもてのマルコさんだったが、YouTube大好きらしい・・・。
「たくさんの人たちにフランスの優秀な引っ越し技術を見せたいんですよ」
嘘ではないが、ほんとうでもない。しかし、マルコさん、笑顔になって、ポーズまで作ってくれたのであーる。(そこは撮影し忘れた。えへへ)
夕方、息子が応援に駆けつけてくれた。(地下室の整理などを手伝ってくれたのであーる。頼もしい)
二人であの怖い地下室へと降りて行った。
「これね、この段ボール箱、・・・20年開けないって、書いてるだろ?」
地下室の段ボール箱を移動させながら、ぼくが言った。
「この中に、君の小さい頃の写真とかノートとか想い出の品々が入ってる。パパに何かあったら、これだけはお前が引き取れ。いいな」
「え? あ、うん」
「今は見たくないものもあるだろうけど、いつか、必要になるから。過去と和解出来た時でいい、大切にしてほしい。わかったな」
「うん」
これが地下室での、父子の会話である。
息子は、「20年開けない」とマジックで殴り書きされた段ボール箱をしげしげと見降ろしていた。その中には、母親との写真も入っている・・・。
ところで、こんなに大変な時期ではあるが、大阪からスーパーマー君がまた今年もやって来たので、一緒に食事をすることになった。←だれ? スーパーマー君って、という熱視線の皆さん。去年、パリ市内バスツアーライブの撮影をしてくれたあの大阪を代表するカメラマンのスーパーマー君なのである。武豊さんのおっかけだったが、武豊さんの写真を撮り続けているうちに、武豊さんに気に入られ、オフィシャルカレンダーなどにも採用されるようになり、今や、武豊さんファンの中では一目を置かれる存在なのだとか・・・。本業は硬い仕事をされているが、武豊さんのおっかけをしているうちに、写真家として開眼し、今回はパリで行われる凱旋門賞の撮影に自費で同行しているという強者。なんで、父ちゃんとごはんをするのか? ええと、あれ? なんでやろう!?
「マー君。一つ、質問があるんやけど」
「はい、なんでしょう」
息子とマー君と弟子の長谷川と4人で、魚介専門のレストランへお連れしたのであーる。息子が魚の美味しいフレンチが食べたい、というので・・・。大奮発! 見よ、この、魚介のプラトーを! この季節からが食べごろのフランス名物、魚介のプラトーである。牡蠣、ハマグリ、アーモンド貝、手長海老、蟹、びゅろ貝、とにかくいろんな貝類が入ったプラト~。ひっらぱ~。はまぐりを生で食べたら、悶絶なうまさなのであーる。大奮発じゃ~。そんなに興奮をして、気管支炎は大丈夫なのか!?
※ 左が息子、右がスーパーマー君。
「武豊さんの凱旋門賞について来てるんやね? じゃあ、武豊さんとごはんとかもするの?」
マー君、下を向き、地べたを這うような、意味深な笑みを浮かべて見せた。
「ぼくはただの大ファンですから、一緒の席でごはんとか、無理です。武豊さんの写真を撮ることが出来たら、それでいいんです」
ぬ、ぬあんと、凄い、本物のおっかけである。
武豊さんと食事などはおこがましいというような発言をしながら、毎回、ぼくにご馳走になっているこの男は、ぼくの隣にいる弟子の長谷川に負けないくらい、癒着体質かもしれない。長谷川が、じっと、マー君を見つめていた。
ぼくは横にいる弟子の長谷川をちら見した。目が合った。やばい、という顔をしやがった。
「長谷っち。耳が痛い発言やのォ」
「えええ、しぇんしぇー。そんな」
マー君がぼくらを交互にみた。
「マー君、長谷川さんなんですが、昨日から、ぼくの弟子になったんですよ。どう思います? 同席が当たり前みたいな顔しているこの人のこと」
息子は黙って、牡蠣を食べている。うまい、とか呟きながら・・・。
「あ、いや、でも、人それぞれですから。ぼくは武豊さんが輝いてくだされば、それが一番なんです」
マー君、マー君、泣きそう・・・。長谷川は、いっそう、やばいという顔をした。七三分けの髪の毛が静電気で俄かに立ち上がりはじめている・・・。
※ 合言葉は熱血!
とまれ、それ以上の追求はしないことに。なぜなら、明日はいよいよ引っ越しなのだ。ぼくの気管支炎も復調傾向にあるので、ここは穏便に明日を迎えたい!
え? ワイン?
まさか、呑んでるわけないじゃないですか。いや、本当です。明日、引っ越しなのに、呑むわけがないのであーる。信じてください。
「長谷川、そうだよな?」
「先生、その通りでございます」
つづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
なんとか、明日の本引っ越し前にすべての荷物が段ボール箱の中におさまりました。明日はいよいよ、新しい街へと旅立ちます。今回は荷物がパリと田舎の二か所へ搬送されるのと、一週間後、事務所の引っ越しもあるのです。(そちらは事務所スタッフでやるので、ぼくはやりません)とにかく、新しい10年に向けて、オリンピックもあるので、ぼくの個人事務所は忙しくなりそうです。弟子の長谷川は暫く、面倒をみてあげようと思っています。彼もいろいろと辛い人生を生きてきた男なので(詳しくは先の日記に譲ります)、なんとか、文筆家になれればいいですね。応援してあげてください。