JINSEI STORIES
退屈日記「眠れない夜に、リタイア後の世界について想像をしてみた」 Posted on 2022/09/21 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、咳き込んで何度も目が覚める。自分ではどうすることもでない。
熟睡しはじめると体が温まって、咳が出る。
寝たいけど、眠れないので、寝室にある机に座って、午前三時半に、これを今、書きはじめる。
吸入型のステロイド薬を処方された直後は効いて、ちょっと眠れたのだけど、身体が薬に慣れたのか、再び咳がひどくなって、寝ては目覚めて、を繰り返している。
気管支炎、なかなか手ごわい、一進一退である。
キッチンに行き、冷蔵庫を漁る。冷たいコーラを探したのだけど、なかった。
ワインとか泡とかばかりだ。やれやれ。
引っ越しに備え、キッチンの片づけをやった。調味料をどうにかしないとならない。
使えるものは持っていくが、古いのは捨てることに。
キッチンの丸椅子に座り、肺が落ち着くのを待った。仕方がないので、ワインを取り出し、舐めてみる。健康じゃないと、美味しく感じない。
身体の調子が今一つだと、どんなに夢を持っていても、どんなに仕事があっても、心細くなるものだ。これから、どうしよう、と思わず考えてしまった。
あと2年すると年金が支給されるのだ。ここ、フランスで。
年金がもらえる年齢になったのだ、と驚きもある。
しかし、ぼくにはリタイアというものがきっとない。リタイアはないけれど、全部を出し切った後の人生を消化試合みたい、生きていくのもよくない。
そのために田舎に引っ越したのじゃなかったのか、と自分に言い聞かせた。
昨日、ネットで見つけたのだが、「退職後、毎日家にいないでね」と奥さんに言われた人の手記であった。
奥さんの気持ちもわからんではないけれど、そんなこと言われたら、生きる気力も失ってしまうだろうなァ、と思ったし、何かをやらないと、まだ若いのに、と思った。
余計なお世話である。自分のことをまず考えろよ。ここで、苦笑した。
人生百年時代なのだそうだ。
ぼくは6割を生きたことになる。まだ4割も残っている。
気管支炎だけど、これさえ治ればまた健康的な生活に戻ることが出来る。それでもいつ大病を患うかわからない。若い頃にはなかった、不安もある。
リタイアはないが、人生の最終コーナーを目掛けて走るぼくは、走り切った後の長い残りの人生をどうやって生きていくのかを、きちんと考えておく必要がある。
十年後、二十年後の自分を想像する必要があった。
どんな頑固な爺さんになっていることであろう。苦笑しかおきない。
三四郎はいつまで生きてくれるだろう。そんな悲しいことを想像したら、眠れない夜が重くのしかかって来た。
なるようにしかならない、とぼくは思った。
とにかく、なんでもいいので、夢を持ち続けることは大事だろう。
楽しいことをどんどん開発し、そこに向かっていくエネルギーを持続させたい。
大長編小説を構想して、毎日少しずつ書いていくのもいいだろう。
音楽+演出+文学の競演でもあるミュージカルを作ってみたい。自分で全曲作詞作曲をして、壮大な物語を書いて、自分が演出をするスペクタクルである。
悪くない、自分にしかできない世界を築けそうである。
そんなことを真夜中のキッチンで考えはじめたら、不安が遠ざかる。
やっぱり、明るい方へと自分をしむけないとダメだ。心細くなった時こそ、希望の光を探せ。ぼくはあまりおいしくないワインを飲みほした。
自分が死ぬまで打ち込める何か、を持つこと。
もちろん、理解しあえるパートナーがいたら最高なのだけど、相手がいることだから、そうもいかない。そこにあまり期待が出来ない人は、ささやかでも朽ちない夢を持ち続けることが大事かもしれない。
ぼくは自分が頑固な人間だと分かっているから、人間関係で苦しむのはもう避けたい。
人間は好きだけど、いい距離感、というのは大事である。
期待しないけれど、希望を持つ、これがぼくのその後の世界の鉄則なのであろう。
さ、三四郎の朝の散歩までもう一度、寝る努力をしてみるか・・・。
つづく。
今日も読んでくれてありがとう。
窓をあけて、空を見上げたら、星が出ていました。なんとなく、その星を見ていたら、じんわりとしてしまった。何度、ぼくは星を見上げたことでしょう。世界で、一番、遠くに見えるもの、それが星なのです。月よりも、太陽よりも遠くにある。果てしないもの、ぼくは今、ここにいます。えへへ。
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